■「ズボンにはもっとたくさん血がついてるんだ。凄く出たんだよ」

 17日(月)である。
 息子の龍明(小5)が帰宅早々、
「今日、凄く鼻血が出たんだ」
 と言ってきた。
 息子は、よく、鼻血を出すので、
「かわいい女の子でも見てたんじゃないの(笑)」 
 といったら、
「違うよ。○○○が投げたボールが鼻に当たったんだよ」
 と言って、帽子を持ってきて
「ここに血がついたんだけど、落ちるかなあ」
 と聞いてきた。
 学校の登下校時にかぶる帽子で、ひさしの内側に飛び散った血痕が付着していた。
「水で洗いな。落ちるから」
 と教えると、洗面所で洗い始めた。
「ズボンにはもっとたくさん血がついてるんだ。凄く出たんだよ」
 と言うので、ズボンを洗濯機に入れて水洗いをすることにした。
 黒色のズボンなので、どの程度の血がついたのかを確認することはできなかったのだが、○○○君とは同じクラスで、このところ仲が良くなかったので、気になって、どういう状態だったのかを聞いてみたのである。
 バスケット・ボールで遊んでたらしいのだが、○○○君が約1メートルの距離のところから投げたボールが、息子の鼻に命中したのだという。
 ○○○君はすぐに謝って、保健室へ付き添ってくれたというのだが、そんな近い距離から投げたボールだったとは思いもしなかったのである。
 帰宅した妻に、そのことを告げると、
「私の経験からいって、バスケット・ボールは、相手の胸をめがけて投げるはずで、顔面に当たることはまずない」
 と言うのである。
 息子は、背が低いわけではなく、むしろ高い方なので、胸を狙ったのに顔に当たったという言い訳は通用しない。
 また、最近、その○○○君とはひと悶着あったばかりで、息子が恨みを買ってもおかしくない関係だったのだ(苦笑)。
 二人の仲の悪さに、担任の先生も心配していたほどである。
 友達と遊んでいて、偶々ボールが当たったんだ、と思っていたのだが、話を聞いているうちに、一メートルくらいの至近距離から投げたボールが、顔面に当たった、という点に、それも仲が悪い相手だった
ということもあり、
「この件は、うやむやにできないな」
 
との判断にいきついたのである。
 間に入る先生のこともあるので、事を大きくするつもりは毛頭ない。当人にも、ご両親にも会って、話をしておきたいという程度であるが・・・。
 担任の先生からお電話を頂き、その後、○○○君のお母さんと本人からお電話を頂いたのだが、いずれも妻が対応した。
 妻は、冷静に対応していたが、それでも
「お父さんが、かなり怒ってるんです」
 と、伝えていた。 

■9歳前後の子供たちというのは、とても重要な時期を生きているのである。

 本ブログでも、シュタイナー教育の
「9歳の危機」 
 について幾度か触れてきたが、9歳前後の子供たちというのは、とても重要な時期を生きているのである。
 私の場合は、その点を考慮に入れるので、うやむやにはしたくないのだ。このままうやむやにしたとして、かつての娘の時のように、きちんと対応しないまま、トラブルの火種はくすぶり続けて、中学校でエスカレートして、手がつけられなくなる可能性があるからだ。
 娘の小5の時に、やはりいじめが表面化したのだが、話し合いに行ったものの校長・PTAの対応があまりにもお粗末で、呆れて彼らと関わることを止めてしまったことがある。
 止めてしまったことで、結果、中学校ではエスカレートし、荒れた中学校と化してしまったのだ。荒れる兆しは、小学校高学年時に見られたのである。そのときに、手当てをしておくべきだったのだ。

 余談である。
 息子の仲のいい遊び友達にN君がいるが、お母さんが働きに出ていて、ほぼ毎日、コンビニ弁当で、お母さんの手料理を食べることがめったにないのだという。
 さらに驚きなのは、家にいることの多い御父さんは、自分の分だけ買ってきて、一人で食べているのだそうだ。
「お父さん、Nは、ラーメンが大好きなんだって。でも、食べれないから、今度、南古谷の〈青葉〉に一緒に連れて行って食べさせてあげようよ」
 と息子が言ってくるほどである。
 
 息子は○○○君と同じ中学校へ行くのだが、中学でさらに険悪な関係になることを恐れるのなら、今の内に手当てをしておくべきであろう。
 ましてや、息子は、○○○君と同じサッカーチームに所属しているのである。

■9歳は、母親の世界に居た幼児期が終わりを告げて、外へ出ていく時期なのである。

 ここで、あらためて「9歳の危機」についてである。
 小4頃から、特に男の子の場合が多いと思うが、親に対して批判的になってくるのだ。
 それは、ごくごく自然なことなのだが、シュタイナー教育の「9歳の危機」についてある程度の理解があれば、心配し過ぎたりの右往左往はないはずなのだ。
 9歳は、母親の世界に居た幼児期が終わりを告げて、外へ出ていく時期なのである。
 母親と一つだった時期は、終りなのだ。母親の膝から降りて、隣に立ったのである。自立を始めたのだ。そのことは、母親にとって、悲しくもあり、嬉しくもあり、複雑である(笑)。
 9歳と言っているが、個人差があることを忘れてはいけない。正確には、9歳前後と理解すべきで、8~10歳前後ということになる。

■「小学校にはいった子どもにとって、親というのはただ甘えるためにいるだけの存在ではなく、親身になって話を聞いてくれる、自分のことを子どもの頃からよく知っている一番親しい友達であってくれたらと願っているのです」


 以下、参考までに、ブログ『私が学んだシュタイナー教育』「9歳の危機」からである。

母親のひざから降りた9歳の子どもたちは、自分の周りにいる人たちが、自分とは別の人であることを実感するようになります。
 そのとき<死>の恐怖を味わい、孤独感や寂しさにおそわれます。
 9歳は、幼児期に別れをつげ
、別の世界に入っていく子どもにとっては一番大事な時期なのです。

〈自分の子どもが9歳の危機を体験しているとき、自分は親としてどうすることが一番望ましいか〉
 についてとてもわかりやすく述べている仲正雄先生の文章があります。
 以下、抜粋引用しますので、興味のある方はご参照ください。

 親も兄弟もそして先生も、みんな友達であってほしいのです。(略)

 先生も本当は友達であってほしいと願っているといいました。
 もしかすると
『先生は子どもにとって友達なんかではなく、子どもの前に権威をもって立っていなければならない存在なのである』
 と反論する人もいるかもしれません。
 もちろんです。
 
先生が子どもの前にたってナアナアの単なる友達でいれば、子どもは授業から喜びを得ることはないでしょう。
 子どもにとって先生はどこまでいっても先生で、尊敬すべき存在なのです。
 しかし一方で子どもたちの中に、先生という存在にも、ただの権威ではなくもうひとつの像を認めようとする要求が育っています。その要求の中で先生も今は友達として見えているのです
。(略)

 (幼児の子どもにとって)親というのは甘える対象でした。この甘えているというとき、子どもは自分を親にすっかり預けてしまえるということです。絶対の信頼感といえるものをそこに認めているから甘えられるのです。
 ところが小学校にはいった子どもにとって、親というのはただ甘えるためにいるだけの存在ではなく、親身になって話を聞いてくれる、自分のことを子どもの頃からよく知っている一番親しい友達であってくれたらと願っているのです。
 この点を親御さんたちが理解しない限り、子どもたちとは本当の信頼関係を持つことはないでしょう。(略)

 もう甘えることで環境から栄養を取ることは終わったのです。権威に服従することもないのです。幼児期は過ぎたのです(略)

 9歳児のもつ特殊な在り方は新しい社会関係、人間関係である横のつながりをマスターした時点で克服されるものです。
 親御さんたちはただ手をこまねいて見ているだけでなく、子どもの友達になる努力をすればいいということになります。

出典:Jan.&Feb.1999,No.93 日本アントロポゾフィー協会」


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 東洋思想へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ

ランキングに参加しました。
クリックしてください。