■『バイオグラフィー、エイブラハム・リンカーン、前・後編』を見ながら、というより解説を聞きながらせっせと版画を刷った
9日(日)である。
風邪かと思いきや、どうやら恒例の胃腸炎のようで(苦笑)、時々の胃の痛みに加えて今度は時々頭痛も・・・。
どちらも激痛ではないのだが、それにしてもこれでは仕事に集中できない。
「こうなったら病院に行くしかない」
と腹に決める(苦笑)。
体調不良もあって、夕方に妻のお義母さんや兄弟たちが集まる会に出るのを断念した。
午後2時過ぎに、妻と子供たちは都内の阿佐ヶ谷へ向かった。
私は、その後は黙々と年賀状の製作とあて名書きに没頭した。
その間、録画しておいたドキュメンタリー映画
『バイオグラフィー、エイブラハム・リンカーン、前・後編』
を見ながら、というより解説を聞きながらせっせと版画を刷った(笑)。
誰かの伝記を書く時、私もそうだが、好意的に描くのと、批判的に描くのとでは、そのエピソードの切り取り方がまるで違ってくる。
勿論、ベストは、好き嫌いではなく、公平中立の立場で描くべきであろうが、生身の人間である以上、それはなかなか難しい作業といえよう。
お互い様だろうが、好きで結婚したはずの妻に対してでさえ、ここは好きだけどあそこは嫌い、というのがあるのだから(苦笑)。
それが人間というものであろう。
そして、相手の嫌いなところが可愛く見えてきたら、それだけ自分が成長したということであろう。
■リンカーンは、「私という人物が築かれたのは、天使のような母のおかげだ」と語った
話を戻す。
以下は、記憶に頼っていることをお断りしておく。
この映画で、初めて、リンカーン(1809-1865)が、その幼少年期に、実の父親・トマスから過酷な虐待を受けていたことを知った。
その後、政治家として活躍していたリンカーンは、危篤になった父から
「息子に会いたい」
という連絡を受けるのだが、彼はその申し出を拒否している。
その理由は、
「暴力を受けた幼い頃のことを思い出したくない」
とのことだった。
そのヒューマンで誠実な人柄ゆえに、人々に好かれ、その支持を集めたリンカーンが、そこまで実の父親を嫌っていたというのは、相当な虐待があったのであろう。
にもかかわらず、リンカーンは、決してひねくれなかったし荒まなかった。私は、その点に注目したい。
というのも、環境の影響を過大評価する傾向が、未だにあるからだ。
どんなにいい環境に生まれても、駄目な人はダメだし、どんなに劣悪な環境に生まれようとも、立派な良い人なる場合がある。
問題は、物質的環境の良し悪し(親が裕福か貧乏か)ではなく、愛情なのだろうが、リンカーンの場合は、父親の愛情の欠落どころか、虐待を受けていたにもかかわらず、普通以上の立派な人間に成長しているのだ。
父親は反面教師であったようだ。
無学で大志もまるでない父親のような人間には成りたくない、との強い思いが醸成され、結果、独学で学問を身につけ、一流の政治家として活躍するまでになるのだ。
この点にも是非注目したいのだが、リンカーンは、貧しさから、学校にまともに通ったことが無かった。
リンカーンが、立派に成人出来たのは、どうやら母親・ナンシーの愛情が大きかったからのようである。
というのも、リンカーンは、
「私という人物が築かれたのは、天使のような母のおかげだ」
と語ったそうだ。
当時、リンカーンよりずっといい教育を受けることのできる家庭環境に育った人が大勢いたであろうに・・・、リンカーンを超える人は稀だった。
さらに、驚かされたことがある。
リンカーンは、家庭では不幸だった。
これは有名な話だが、その妻メアリーは、過度の浪費家で、まさに悪妻といっていい。
この話の続きは、またの機会に。
これは余談(笑)。
「現在リンカーンの子孫は存在しないが、リンカーンの母ナンシーの子孫に俳優のトム・ハンクスがいる」(「ウィキペディア」より)
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9日(日)である。
風邪かと思いきや、どうやら恒例の胃腸炎のようで(苦笑)、時々の胃の痛みに加えて今度は時々頭痛も・・・。
どちらも激痛ではないのだが、それにしてもこれでは仕事に集中できない。
「こうなったら病院に行くしかない」
と腹に決める(苦笑)。
体調不良もあって、夕方に妻のお義母さんや兄弟たちが集まる会に出るのを断念した。
午後2時過ぎに、妻と子供たちは都内の阿佐ヶ谷へ向かった。
私は、その後は黙々と年賀状の製作とあて名書きに没頭した。
その間、録画しておいたドキュメンタリー映画
『バイオグラフィー、エイブラハム・リンカーン、前・後編』
を見ながら、というより解説を聞きながらせっせと版画を刷った(笑)。
誰かの伝記を書く時、私もそうだが、好意的に描くのと、批判的に描くのとでは、そのエピソードの切り取り方がまるで違ってくる。
勿論、ベストは、好き嫌いではなく、公平中立の立場で描くべきであろうが、生身の人間である以上、それはなかなか難しい作業といえよう。
お互い様だろうが、好きで結婚したはずの妻に対してでさえ、ここは好きだけどあそこは嫌い、というのがあるのだから(苦笑)。
それが人間というものであろう。
そして、相手の嫌いなところが可愛く見えてきたら、それだけ自分が成長したということであろう。
■リンカーンは、「私という人物が築かれたのは、天使のような母のおかげだ」と語った
話を戻す。
以下は、記憶に頼っていることをお断りしておく。
この映画で、初めて、リンカーン(1809-1865)が、その幼少年期に、実の父親・トマスから過酷な虐待を受けていたことを知った。
その後、政治家として活躍していたリンカーンは、危篤になった父から
「息子に会いたい」
という連絡を受けるのだが、彼はその申し出を拒否している。
その理由は、
「暴力を受けた幼い頃のことを思い出したくない」
とのことだった。
そのヒューマンで誠実な人柄ゆえに、人々に好かれ、その支持を集めたリンカーンが、そこまで実の父親を嫌っていたというのは、相当な虐待があったのであろう。
にもかかわらず、リンカーンは、決してひねくれなかったし荒まなかった。私は、その点に注目したい。
というのも、環境の影響を過大評価する傾向が、未だにあるからだ。
どんなにいい環境に生まれても、駄目な人はダメだし、どんなに劣悪な環境に生まれようとも、立派な良い人なる場合がある。
問題は、物質的環境の良し悪し(親が裕福か貧乏か)ではなく、愛情なのだろうが、リンカーンの場合は、父親の愛情の欠落どころか、虐待を受けていたにもかかわらず、普通以上の立派な人間に成長しているのだ。
父親は反面教師であったようだ。
無学で大志もまるでない父親のような人間には成りたくない、との強い思いが醸成され、結果、独学で学問を身につけ、一流の政治家として活躍するまでになるのだ。
この点にも是非注目したいのだが、リンカーンは、貧しさから、学校にまともに通ったことが無かった。
リンカーンが、立派に成人出来たのは、どうやら母親・ナンシーの愛情が大きかったからのようである。
というのも、リンカーンは、
「私という人物が築かれたのは、天使のような母のおかげだ」
と語ったそうだ。
当時、リンカーンよりずっといい教育を受けることのできる家庭環境に育った人が大勢いたであろうに・・・、リンカーンを超える人は稀だった。
さらに、驚かされたことがある。
リンカーンは、家庭では不幸だった。
これは有名な話だが、その妻メアリーは、過度の浪費家で、まさに悪妻といっていい。
この話の続きは、またの機会に。
これは余談(笑)。
「現在リンカーンの子孫は存在しないが、リンカーンの母ナンシーの子孫に俳優のトム・ハンクスがいる」(「ウィキペディア」より)
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