■「陽明学は我々の身近にあるものでありかつ、日本人の本質的なものにとても近い」

 「楽天みんなのレビュー」にある拙著
『真説「伝習録」入門』(三五館)
 に関するコメントである。
 こういうものを掲載すると、手前味噌というふうに受け取られそうだが、それが酷評であれ、好意的なものであれ、読者の感想は、次回作に役立てたいというのが、私ではなくても、作家の本音だと思う。
 偶々目にして、これほどきちんと書いてくださった方は稀なので、「IMasaさん」へのお礼方々、掲載させて頂くことにした。
 その前に、以下のコメントに対しての私の感想を述べさせて頂く。 
 ドキリとしたのは、
「読了して、〈陽明学は我々の身近にあるものでありかつ、日本人の本質的なものにとても近い〉と感じました。」
 の言葉である。
 実を言うと、私が、ドナルド・キーン氏や山本七平の日本文化論を学び続けてきて、同じことを感じてきたからである。
 陽明学は、今では、日本化して、日本陽明学となっているのだ。
 今では、中国の学術界でも、陽明学左派や日本陽明学に注目が集まっているというではないか。

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生き方の哲学~自らを律する~
IMasaさん(30代・男性)
投稿日:2008年6月6日

 人は常に
「人を指導する」
「組織を指導する」
「誰もやった事がないようなことに挑戦する」
「社会問題を解決する当事者となる」
 といった場面に遭遇します。
 こういった場面では、
「今の自分を超えていく」
「(自分にとって、あるいは組織や国家、人類にとっても)未知の世界に踏み込む」
 ことが求められることも少なくありません。
 そういった場合、その時持っている能力では見通せない・予期できない部分がどうしても発生します。
 その判断が正しいのかどうか。これまで日常生活で学んできた道徳観念や人生哲学だけでは、判断基準として不十分である。そういう状況に陥る場合があります。
 ここに信仰の重要性があります。
 たった一人で困難を乗り越えるのではない。自分には神(人間を超越した存在)がいらっしゃる。そう本心から信じることができる事が、どんなに気力と勇気を生み出すことでしょう。
 信仰とは、生きる哲学を提供してくれるものなのかもしれません。
 しかし、信仰を持たずとも、自らが信じ・実践に足る哲学があれば、同様の効果を得ることができるのではないか・・・そう私が感じていたときに出逢ったのが陽明学でした。
「陽明学」は、王陽明がおこした、中国明朝を代表する思想・学問であり、
「なぜ自らを律する必要があるのか」
「自らを律して生きるにはどうすれば良いのか」
 を具体的に学ぶことができます。 
 つまり、どう生きるべきかの判断基準を学ぶことができる哲学であると私は思います。
『伝習録』は王陽明の門人とその問答および論学の書簡を収録した書であり、
「陽明学派の経典」
「陽明学派の教科書」
 と言われます。
 その『伝習録』から
「現代にいきる私たちにとって、有効で分かりやすいものを選び(本書「はじめに」より抜粋)」
 丁寧で分かりやすい解説をつけてくれているのが本書です。
 どこから読んでも数ページ(長くても十数ページ)で一つの話が完結するように構成されています。読了後もそばにおき、実践の助けとする。そんな使い方も容易ですし、文章も平易です。
 読了して、
「陽明学は我々の身近にあるものでありかつ、日本人の本質的なものにとても近い」
 と感じました。
 陽明学への扉を開いてくれる良書です。


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