■「教室で暴れる子供を、大の大人がなんとかできないで、それでプロの教師、教育委員会と言えるのか」

 10日(水)である。
 尖閣ビデオ問題に進展があった。
 第五管区海上保安庁本部の神戸海上保安部(神戸市)の職員で43歳の男性が
「自分が流出させた」
 と名乗り出たニュースには
「やっぱり、義憤に駆られたのだろう」
 という思いがしたが、それでも私に言わせて頂くなら、いじめ自殺問題の方がはるかに深刻である。
 このまま、教育現場の崩壊が進むことは、学力低下をさらに加速し、確実に日本国の内部崩壊につながるからである。
「教室で暴れる子供を、大の大人がなんとかできないで、それでプロの教師、教育委員会と言えるのか」
 と私は言いたいのだが、学校や教育委員会側では、お互いの
「かばいあい」
 に終始し、責任の所在をうやむやにしようと躍起なのである

 いじめや学級崩壊は、娘が通うさいたま市の中学でも、切実な問題で、小学校の段階で、すでにその兆候がみられていた。
 私は、当時の浅見校長とPTA役員を前に
「このまま中学に上がってからでは、間に合わない。なんとかしたい」
 と具体策を提案したが、却下された。
 そのまま中学に上がったら、案の定、いじめがさらにひどくなり、さらに学級崩壊にまで発展した。
 娘のクラスで、某先生の授業中、紙飛行機が飛び交った。
 学級崩壊への具体的な対応策は、無い。
 もちろん、いじめも・・・。

■教育委員会の鈴木正三委員長の「因果関係は無かった」の発言には、心底驚いた。
 
 上村明子(うえむら・あきこ)さんいじめ自殺に関するテレビ番組「ミヤネ屋」を約1時間ほどであったが、注視した。
 番組中で、教育委員会の鈴木正三委員長の
「因果関係は無かった」
 の発言には、心底驚いた。
 信じられないことだが、そこには、岸校長のような苦悩の表情など微塵もなく、いじめと自殺に因果関係は
「無い」
 と断定したのである。
 しらを切ったというべきであろう。
 鈴木委員長は、血の通った人間であることを忘れている、教育行政の一角を担う教育者の一人であるという自覚を忘れている、としか言いようがない。
 
 江戸時代初期に、鈴木正三(しょうさん)(1579~1655)という非常に優れた曹洞宗の僧侶がいたが、その人物とまるで同姓同名の名を戴きながら、その人品には月とスッポンほどの違いがある。
 鈴木委員長の名前「正三」を、「しょうさん」と読むのかどうかは、今の私には分からない(苦笑)。

 余談ながら、江戸期の禅僧・鈴木正三は、私も尊敬する人物の一人である。
 さらに余談になるが、江戸期の、と敢えて言わせて頂くが、元・三河武士の鈴木正三は、三河国東加茂郡足助郷の出だという。今、執筆中の仕事に関連して興味を持って調べているところの
「三河加茂一揆」
 の現場となった所なのである。このことは、別の機会に触れさせて頂きたい。

 ただ、平成の鈴木正三こと教育委員会委員長の鈴木正三は、いじめと明子さんの自殺との間には「因果関係は無い」と断定し、胸を張ってとぼけているが、なんと江戸期の鈴木正三は、『因果物語』
 という著書を刊行していたのである(笑)。
 鈴木正三委員長には、ぜひとも鈴木正三の著書を熟読して欲しいものである。
 話を戻すが、善い名前を付けたつもりのそのご両親の嘆きは、いかばかりであろうか。

 以下、上村明子(うえむら・あきこ)さんいじめ自殺に関する最新ニュースである。

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12歳のSOS:桐生小6女児自殺/上 学校の対応、後手に

◇学級崩壊の中で 「いじめの温床」指摘
 
 いじめを受けていた桐生市立新里東小6年、上村明子さん(12)の自殺を巡り、学校側の対応が後手に回った実態が徐々に明らかになってきた。
 給食で孤立した10月は学校を欠席しがちになり、自殺の2日前には教諭に、ひとりぼっちで給食を食べる悲しみを涙ながらに訴えていた。明子さんのSOSは、学級崩壊の中でかき消されたのか。背景を追った。

 
10月23日。
 明子さんがカーテンレールにマフラーをかけて首をつったこの日、フィリピン出身の母(41)は1本の電話をかけた。
 相手は、明子さんをいじめていたとされる複数の児童の一人。受話器に出た相手に、たどたどしい日本語で明子さんが自殺したことを知らせた。母によると、児童は母親と一緒に訪れ釈明した。
「自分じゃない。他の児童がいじめていた」

 同小の6年生は2クラス。
 明子さんが在籍する6年1組が、学級崩壊に陥っていたことは隣の2組に知れ渡っていた。
「授業がやばいという話を聞いた」
「担任が生徒になめられていた」。
 複数の児童が証言する。
 明子さんが悪口を言われたり、無視されるなどのいじめに遭っていることも知られていた。
 授業中でさえ
「うざい」
「きもい」
 などの言葉が飛び交った。
 市教委によると、学級崩壊の兆候は1学期後半から見られるようになった。他クラスなどから応援の教諭を一部授業に投入するなどの対応をとった。
 しかし、10月に入ると
「指導が効かなくなった」(学校関係者)。
 対応にもがき続ける中、明子さんは命を絶った。
 学校側の調査結果が報告された今月8日の市教委臨時会。前原勝委員は
「学級崩壊といういじめの温床があった」
 と指摘した。
 藍原京子委員も
「学級崩壊の状態にある時に、毎日、毎時間でも複数態勢で授業にあたる必要があったのでは」
 と厳しい意見を述べた。
 では、学級崩壊にどう対応すればいいか。
 文部科学省によると、対応は各自治体の判断に委ねられている。群馬県教委の場合、学級崩壊の実態について広範な調査を行ったことはなく、マニュアルも作っていない。
 各市町村教委や学校が個別に対応しているが、新里東小6年1組の窮状は、市教委に伝わっていなかった。

 一方、隣の埼玉県は「学級崩壊」対応の先進県として知られる。
 同県教委は99年度から年1回、県内の全公立小学校を対象に
「学級がうまく機能しない状況」
 についてのアンケートを行い、現状を把握。
 成果を上げた対応策などは校長会などで周知する。05年度に最高112あった崩壊学級は、09年度に60学級に減少したという。
 また市町村教委が退職した教諭らを非常勤講師として派遣し、クラスの改善を支援する制度もあるという。
 明子さんのクラスをバックアップする体制は十分だったのか。検証が求められる。
毎日新聞 2010年11月10日 地方版


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