■川村妙慶『こんな時親鸞さんなら、こう答える』から、「19 誰かと比較するから本当の自分が見つからないのです」-2

 以下、川村妙慶『こんな時親鸞さんなら、こう答える』(教育評論社)から、前回(11月1日のブログ)「19 誰かと比較するから本当の自分が見つからないのです」の続きである。
 川村妙慶さんについては、前回の記事を参照して頂きたい。

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 ある日、寺の前で土いじりをしていた時、布教先から帰ってきた父に、
「何だ、抜け殻のような顔して!」
 と言われました。
「だって何をしてもうまくいかないし、面白くないもの。○○ちゃん家の子どもで生まれたらよかったのに」
 と私は言い返しました。
 すると父は
「お前をちゃんと認めてくれている方がおられるやろ」
 と言いました。
「どこにもおらんっ!」
 と、私は強く反発しました。
 父は、
「お前の足元をよく見てみろ。小さい虫がおるやろ。お前からは見えるが、虫からは見えない。
 私たちには阿弥陀さんというお方がおられる。阿弥陀さんからはお前が見えるが、お前は阿弥陀さんから守られていることを気がついていないだけや。
 お前は一人でこうしたい、ああしたいと独り相撲をとっていないか?
 と言いました。
 素直に聞けなかった私は
「父ちゃんはいつも私に説教しかせんね!一人で悟った顔せんといて。だいたい阿弥陀さんって誰が証明したんよ」
 と言い返しました。
 
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 以下、続く(笑)。
 ここまで読んで頂いても、まだ、何が言いたいのかがピンとは来ないと思うが、続きを読んで頂ければ、段々分かって来るはずなので、次回をお楽しみに。

■1986年に起きた事件だが、明子さんと同じ中2で、いじめている生徒たちには、いじめているという自覚があまりにも希薄だった

 
2日(火)である。
 またまた、なりを潜めていた慢性盲腸が疼きだした(苦笑)。
 というのも、いじめ問題について毎日ブログの記事を書いていることもあって、私の中学時代3年間のいじめられ体験が思い出されるので、つい酒量が増していたためである。増したと言っても、寝酒で飲む程度なので、飲んでも2合程度なのだが、年齢のせいもあるのだろう、流石に連日はもう駄目のようである(苦笑)。

 さらには、門野晴子
『少年は死んだ、中野・富士見中“いじめ地獄”の真実』(毎日新聞社)
 を読みふけってしまって・・・、気がついたら2日の午前4時を回っていたのである。
 10月30日のブログに書かせて頂いたが、
「このままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ」
 の遺書を残して男児中学生・鹿川裕史君が自殺した事件について書かれたノンフィクション本である。
 1986年に起きた事件だが、明子さんと同じ中2で、いじめている生徒たちには、いじめているという自覚があまりにも希薄だった。
 というべきか、むしろ本当に楽しんでいたのである。
 遺書の中で名指しを受けたA君の母親は、某宗教団体の支部を預かる人で、更にはPTA副会長であった。
 往々にして、いじめの実態とは、そういうものなのだろうが・・・、この件についても、いずれ触れさせて頂きたい。
 詳しくは、涙なしには読めない記事だが、

「中野・富士見中学いじめ自殺事件」
yabusaka.moo.jp/sousikigokko.htm

 をご参照のこと。

 参考までに、以下、上記ブログからである。

「1986年2月1日、岩手県の盛岡駅ビルのショッピングセンター「フェザン」のB1トイレ内で、東京中野の富士見中学2年の鹿川裕史君(13歳)が首を吊って自殺しているのが発見された。
 遺書が残されており、彼の自殺がいじめによるものだと判明した。いじめは日常的に行われており、”葬式ごっこ”なるいじめには教師も参加していた」

 驚かされるのは、事件後にも、さらに次のような事件が起きていることである。以下、同じく上記ブログからである。
 まるで小説のような話だが、実話なのだ。

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【事件後】

 鹿川君の死からまもない2月12日、2Aの隣りのクラス2年B組でひとつの事件が起こった。

 B組の生徒L(当時14歳)が授業中に理科の教師から注意を受けたことを前の席のMに八つ当たりし、
「お前は鹿川二世だ。鹿川のように自殺しろ」
「オレと喧嘩しろ」
 などと、3、40回こづき、さらにその前の席のNを殴った。
 さらにLはMを何度も殴り、Mは
「先生助けて」
 と教師に助けを求めたが、教師は気にせず、黒板に字を書きつづけていた。
 たまりかねたMは、Lに掴みかかり取っ組み合いとなった。
 この時、教諭はようやくMを止めに入る。
 Mは
「先生あんまりだ。Lを殺して、俺も自殺してやる。刃物を買ってくる」
 と300m先の金物店に走っていった。
 教諭はあわててMの後を追いかけ、金物店の手前でMと言い争うかたちとなった。それを警官が見つけて事件発覚、Lは暴行の疑いで逮捕された。


 また鹿川君の遺書で名指しされた2人の生徒は――自業自得ではあるが――、ショックを受けていた。
 そのうち1人は関西地方にある宗教団体の本山を訪ねている。
 責められたのは加害者側だけではない、鹿川家には
「どうして親が知らなかったのか」
「あの家庭なら子どもが自殺して当然」
「裕史が死んで良かった」
 というようないやがらせの電話が相次いだ。

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