■「みんなのことわすれるはずないよ!だってすごく楽しかったんだもん」

 以下は、いじめで自殺した上村明子さんについての最新の新聞記事である。
 いじめは、ケンカや戦争と同じで、なくなる事はないだろう。
 だが、私たちの目の前に繰り広げられている出来事というのは、それが何であれ、私たちに突き付けられた課題なのだ。
 宿題と言ってもいいものなのだ。
 毎日与えられる宿題をやらないで済ませることもできるのだが、そんな楽なことをやっていたら、数年後はどうなるかは、考えなくても分かるはずなのだ。
 いじめが目の前で行われているとして、それを見て見ぬふりをすることもできるのだが、何の対応もしないということは、いつまでたってもトラブル処理能力は身につかないということになる。
 仕事上のクレーム処理も同じで、嫌な仕事から逃げてばかりいて、忍耐力に代表される人間力が身につくはずもないのだ。すでに、何度も述べさせていただいたが、トラブルは、逆境は、乗り越えるためにあるのだ。成長のチャンスなのだ。
 逃げてばかりいては、なんの成長もないし、明るい未来があろうはずもない。

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「みんなのことわすれない、楽しかったもん」
毎日新聞 2010年10月31日 地方版

 桐生市立新里東小6年、上村明子さん(12)が自殺し、遺族が
「学校のいじめが原因」
 と訴えている問題で、明子さんが愛知県一宮市の元同級生に書いたまま投函(とうかん)されなかった手紙が明子さん宅で見つかった。
 給食で孤立する前の今年夏ごろに書かれたとみられ、元同級生と過ごした小4時代を振り返り、
「みんなのことわすれるはずないよ!だってすごく楽しかったんだもん」
 と記していた。

 父竜二さん(50)によると、母親(41)が29日夜、居間に置いてあったテレビゲーム機の下から見つけた。

 封筒に入った便せん1枚に
「中学になったら大阪に行くんだ。だから愛知県を通るかもしれない。だから、できたら会いにいくね!楽しみにしててね!」
 などと書かれていた。

 竜二さんは夏ごろ、明子さんがいじめに遭わないよう来春の中学進学を機に引っ越しを考えており、大阪は候補地の一つだった。
 竜二さんは
「前の学校では友達に囲まれていたのに……」
 と声を落とした。【塩田彩】


「大阪行くんだ」昔の友へ、届かなかった手紙 自殺女児
「アサヒ・コム」ニュース 2010年10月31日3時0分

 群馬県桐生市の市立小学校6年の上村明子さん(12)が自宅で自殺し、家族がいじめが原因だと訴えている問題で、明子さんが以前住んでいた愛知県の友達にあてたとみられる手紙が見つかった。
「中学生になったら大阪に行く」
 という内容があり、卒業後に予定していた引っ越しを楽しみにしていたことがうかがえる。
 手紙は投函(とうかん)されていなかった。

 明子さんは今月23日に自室で首をつって亡くなった。一昨年の4年生時に愛知県の小学校から桐生市の小学校に転入。
 家族によると、6年生になり、今年9月28日の席替えごろから学級では気の合う児童同士で給食を食べるようになったが、明子さんは1人で食べ、家族にいじめを訴えていたという。

 明子さんの手紙は、母親が今月29日に見つけた。小学3年の秋から1年間通っていた愛知県の学校の同級生あてで、
「あのね、中学になったら、大阪に行くんだ」
「みんなのことわすれるはずないよ! だってすごく楽しかったんだもん これからもお手紙でお話しようね」
 とイラスト付きで書かれていた。
 今年の夏ごろに書かれたとみられる。

 いじめを受け、明子さんの卒業後、家族で大阪に引っ越す予定だった。父親は
「学校を替わることを楽しみにしていたんだろう」
 と取材に対して話した。

 5年生のときの
「一学期をふりかえって」
 という作文も見つかった。
「あんまり楽しくなかったです」
 と始まるが、
「一番楽しいことは、全員と遊ぶおたのしみ会です」
 とも書かれていた。
 家族によると、5年生のころから同級生に言葉などでいじめを受けていたという。 父親は
「心にもないことを書いたのかな。それでも本人はみんなと遊べたことがうれしかったのかもしれない」
 と肩を落とした。(新宅あゆみ)

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■「本当に強い人間とは、負けた時にどう自分と向き合えるかです」

 これは、今回の群馬県桐生市の小6女児いじめ自殺問題についての、私の見解のうちのひとつである。
 自力の禅宗と、他力の真宗(浄土真宗)とが、二つで一つである、ということに、私は確信を持つように成ってきている。
 敢えて
「成ってきている」
 と言ったのには、理由がある。
 何となくでは駄目で、きちんと言葉にするまでは、真に分かったとは断言できないからである。
 言葉にするということ、相手が自分であれ他人であれ、説明できるということは、分かったということなのである。
 感覚的に分かった、というのは、まだまだと言っていい。
 話を戻す。
 哲学的な話よりも、と思って、ちょうどいい挿話が見つかったので、それを紹介させて頂き、私の見解の一つとさせて頂くことにする。
 その挿話というのは、実は、出版されたての、まだ湯気が立っていると言っても過言ではない本、川村妙慶
『こんな時親鸞(しんらん)さんなら、こう答える』(教育評論社)
 にある以下のような話である。( )内のルビは、筆者。
 参考までに、私はまだ面識が無いが、川村妙慶さんは、アナウンサー経験を経て、30代から真宗大谷派の僧侶として本格的に活動を始めて今日に至っている方である。
 現在、広島経済大学客員教授、光華中・高等学校講師、NHK京都文化センター・毎日文化センター「心の講座」講師等をお務めで、著書も沢山ある方だ。


『19 誰かと比較するから本当の自分が見つからないのです』―1

 あの人だけには負けたくない!あの人みたいに強くなりたい!
 本屋さんに入ると
「頑張ればなんとかなる」
 といった、自分を奮い立たせる本がたくさんありますね。
 勝つ自分、強い自分、成功した自分を見てがむしゃらに頑張ろうとするのは、それなりに効果があるでしょうが、やっぱり、頑張る気持ちだけでは無理があるのが私たちなのではないでしょうか。
 人の値打ちを、勝ち負けだけで測ることができると思いますか?
 そんなことはありませんね。
 私たちは自然界に生きる「人間」です。
 張りつめた糸がいつかは切れるように、誰だって今の自分に限界を感じることがあります。
 そんな時、
「私はダメ人間なんだ」
「私はあの人と違って、何の役にも立てないのだ」
 などと卑屈になってしまう人が多くいます。
 でも、本当に強い人間とは、負けた時にどう自分と向き合えるかです。
 私の十代は最悪でした。
「何で誰からも認められないのだろう?」
「何であの子は人気があるのだろう?」
「このまま生きていていいことあるのかな?」
 と考える日が続いていました。
 そうなると、
「何をしても楽しくないのは、恵まれていないからなんだ」
「私が寺に生まれたから夢も制約されるんだ」
 と思っていました。
 
 以下、次回に続く。


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