《豆腐・葛湯》の上にある物 | シラスとウシハク【保守・革新でなく、日本獨自のありかたにもとづく區別をとり、時事・歴史問題を考へるブログ】

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7月10、11日の記事で、地震の問題にすこし、言及いたしました。けふは、その地震問題を、地盤といふ觀點から、やや詳しく書いてみます。





なほ、本ブログにおいては、正字正假名遣で表記してゐます。なぜ、わざわざ讀みづらくて難しい表記をするのか? その理由を御知りになりたいかたは、わがウェブサイト(クリックすると、ジャンプします。)に御越しください。わけを、おしらせいたします。


或いは、この本を御讀みください。さすれば、この問題について、關心をおもちになり、知識・教養をふかめることができます。文庫ながら、じつにすばらしい本です。

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7月10、11日の記事では、數値を示して日本におこる地震が異常に多いこと、《地震・雷・火事・おやぢ》といふことわざをひいて、わが日本が世界一の地震大國であること、などを指摘いたしました。
日本が世界一の地震大國であることは、みなが頷かざるをえない眞實でございます。したがって、そのやうな國に原發をたてるにあたっては、地震への對策が、必須の項目になってきます。地震に耐へられない原發は、わが國に存在する資格がないのです。


さう書くと、このやうに言ふかたが、をられるやもしれません。

「安全對策を萬全にとりさへすれば、安全な原發ができあがる。」
「安全な原發を、これから推進するのだ。」

論理的には、たしかにその通りです。安全な原發であるならば、どこに建てても恐くはありません。


專門家では、武田邦彦氏がその立場です。著書においても、
「安全な原發を推進したい。」
と、明言してをられます。


武田氏がおっしゃるのなら、その通りのやうな氣がいたしますが、わたくしには、どうも腑に落ちない。
私の根源的な疑問は、つぎのものです。

「わが日本国において、《安全な原發》といふ發想が、そもそもできるのだらうか?」

わたくしは、この日本列島で《安全な原發》ができあがることは、ありえないと考へます。これから、そのわけを御話いたしませう。理由は、おほきくわけて3つ。けふは、そのうちのひとつを、御話申上げます。





【理由その1】
日本列島のどこをさがしても、《強固な地盤》は見當たらないから。






地質學的にみて、この日本列島は、非常に若い大地でございます。陸地となって間もない土地、といふことです。今の形にやっと落ち着いたのが、約1萬年前。人間の一生とくらべれば、遠い遠い昔のことではありますけれど、地質學的にみれば、それはとても新しいのです。


日本列島のなりたちを説明しつくさうとすると、非常にながくなってしまひますから、要點をかいつまんで、御説明いたしますね。





まづ、4億年前から昔、日本列島は、影もかたちもありませんでした。





約4億年前から、海がドンドン下へ沈みこみ、數千萬年にわたって、はげしい海底火山運動がおこりました。
そのメカニズムは、かうです。砂・泥・火山灰・熔岩などがつもりつづけ、徐々に重くなります。重くなると、下方向の壓力が加はって、下へ下へと沈みこみます。
堆積物の下の方から、岩石に變ってゆきます。つひには地殼を破り、マグマがふきだしはじめます。すると、岩石になるときに生じた熱や、マグマの熱によって、その堆積物が膨脹します。そのため、今度は上へむかって動きはじめるのです。もちろん、マグマじたいが噴出することもあります。海底火山運動です。
その運動に加へ、みなさま御存じ《プレートの沈み込み運動》もございます。プレート理論は、みなさまおわかりでせうから、ここでは御説明いたしません。


そんなメカニズムで誕生したのが、この日本列島なのです。そして、海底火山運動は、いまでも續いてゐます。もちろん、プレートも動きつづけてをります。日本列島は生きてゐる、といふことです。つまり、その海底火山運動(造山運動とも言ふ)により地下内部にできた龜裂・斷層と、プレートの沈み込み・衝突こそが、われわれを常に搖らしつづける、地震の犯人なのです。さらに言ふなら、日本列島を危なくしてゐる《犯人》であり、列島をつくった《生みの親》でもあるわけです。わが日本で地震が多いのは、なりたちからみても當然で、地震は、《日本の宿命》と申せませう。





造山運動じたいは、4億年ほど前から始まりましたが、列島のかたちは、絶えず變化しました。《陸地ができたり、海の底に沈んだり》を繰り返してゐたのです。日本列島の變遷を詳しく知りたいかたは、広瀬隆氏の著書『原子炉時限爆弾』(ダイヤモンド社)を御覽ください。あまりの變化に、きっと驚かれることでせう。内容もさることながら、廣瀬氏の御説明じたいがおもしろいので、熟讀してしまふとおもひます。すばらしい本です。





さて、造山運動により、日本の土臺となる骨組が、やうやく海底に生まれると、海上にたくさんの火山島が出現しはじめました。そして、徐々にそれらの島がつながり、陸地らしくなってゆきました。ここでやっと、日本列島がその姿を現したのです。


2億年ほど前、始祖鳥がゐたジュラ紀初期の時代、日本列島は、大陸側にひん曲った、奇妙なかたちをしてをりました。


ところが、さらに時代がくだり、6500萬年ほど前(中生代最後の白堊紀)から、新生代の第3紀の初めにかけて、日本列島の姿がなくなります。大陸がひろがり、列島を吸收してしまったのです。そしてその時期、大陸の沿海部で、はげしい火山活動がおこりました。いまの九州北部から、中國・近畿地方をへて、長野縣にいたる地域で、火山が大噴火いたしました。その噴火ラインにそってできたのが、世界最大の活斷層《中央構造線》でございます。


ちなみに、その附近にあるのが、愛媛縣の伊方原發・山口縣の上關原發・鹿兒島縣の川内原發です。





さらに時代をくだり、2500萬~1900萬年前になると、日本列島は、ふたたび大陸から離れました。さうしてできたのが《日本海》でございます。ところが、その時代に日本列島の原型ができたとおもったら、1900萬~900萬年前にかけては、ふたたび列島が海中に沒してしまふのです。非常にめまぐるしい、海岸線の大變化です。その原因は、大陸の移動と擴大・分裂にあります。大陸のスケールに比べれば、日本列島はホコリみたいなもの。たちまち影響をうけてしまひます。


また、氷期(氷河期・寒冷期)と間氷期(温暖期)とが、交互におとづれたことも、海岸線・大變化の一要因でございます。3000萬年前以降、地球は、寒くなったり暖かくなったりを、くりかへしました。そのため、海水面の高さが激變したのです。





900萬年より先においては、水沒をくりかへしながらも、すこしづつ日本列島が成型されてゆきました。最後の氷期が終り、1萬年前の繩紋海進をへて、現在にいたります。なほ、現在は間氷期です。





ここまで、非常に簡單ではございますが、日本列島のなりたちを御紹介いたしました。寫眞が、廣瀬氏の本に載ってをりますので、ぜひ參照なさってください。





さきほど、日本列島そのものが《陸地ができたり、海の底に沈んだり》をくりかへしてきた、と申しました。その眞實こそ、日本に硬い地盤が存在しない、なによりの證據なのです。


土を水のなかに入れれば、すぐに柔くなりますね。その原理と同じです。とくに、今の日本列島の海岸線附近は、ほんの數千年前(繩紋時代)まで、海水に洗はれてゐました。繩紋時代は、温暖な時代であったことが有名であり、海が内陸のかなりの地點まで、進出してをりました。その海の波浪により、岩石はたちまち侵蝕され、くだかれて海岸の砂になります。そのやうな場所は、非常に軟弱な地盤なのです。


その軟弱な地盤の上に建てられたのが、われわれの原子力發電所、といふわけです。いかがです? 鳥肌がたってきたでせう?





たとへば、靜岡縣の濱岡原子力發電所。その下にある地層は《相良層》です。その相良層も、やはり強度のひくい岩盤なのです。岩石を、地質工學的に分類すると、
①軟岩、②中硬岩、③硬岩
の3つにわけられます。相良層は《軟岩》です。もっとも、何度も言ふとほり、日本には硬い地盤がほとんどありません。とくに原發立地周邊は、すべて《軟岩》なのです。





廣瀬氏の濱岡レポートが迫眞的なので、そのまま引用してみます。

浜岡原発が建設された地層は、相良層である。これを中部電力は、強固な地盤と呼んでいる。強固な地盤? 相良層は、「強度が低い」軟岩なのである。・・・・・・実際に私たちが、浜岡原発から一キロのところにある相良層の露頭を見学にゆくと、素手でも崩れる泥岩と砂岩で成り立ち、ボロボロであった。そこで私は大きな岩のかけらを手で取り、サンプルとして大切に包んでから、背中のナップザックに入れた。家に着き、ザックから相良層の“強固な岩盤”をとり出して見たのだが、どうなっていただろうか。“強固な岩盤”は、写真のように、何のショックも与えずに、粉々になっていた。この時、取り出した荷物の中から、まったく割れていないビスケットの包みが出てきたとき、私は深く考えこんだ。
(廣瀬、前掲書、134~5ページ)

あの廣瀬さんもビスケット食べるんだ、などとおもはないやうに(笑)!
つまり、相良層は、《ビスケット以下》の硬さしかない、といふことです。ほかの原發附近の地盤も、似たやうなものでせう。そのやうに危險な場所に、原發は建てざるをえないのです。





たしかに内陸部なら、《そこそこに》硬い地盤はあります。けれども、原發は、つねに大量の水をつかふ施設でございます。原子爐をつねに冷却しなければならないためです。ところが、日本列島には、大河がございません。それゆゑ原發は、海岸線附近に建てるほかないのです。それもまた、《日本の宿命》と言へませう。





さらに、《日本の宿命》が、まだございます。何かといふと、わが日本は國土が非常にせまい、といふことです。國土面積じたいがせまいのに加へ、居住可能面積が、さらにせまい。人の住めない土地が、日本列島にはかなり存在します。そんなせまい島に、異常に多くの人々が、ひしめきあって暮らしてゐます。それが、わが日本國の特徴なのです。


それゆゑに、地盤の《そこそこ》硬い、建物をたてるにふさはしい土地は、とっくの昔に民間取得され、使はれてをります。原發が建つ、はるか前からです。民家などから、なるべく離して建設しなければならないことも考へあはせると、原發の建設は、軟弱な、物をたてるにむかぬ土地を、選ばざるをえないのです。


つまり、ただでさへ海岸線の地盤はやはらかいのに、さらにやはらかい・劣惡な土地のうへにしか、原發は建てられないといふわけ。そんなていたらくで、《安全な原發》そのものを、想定しうるでせうか? できるわけがありません。





これ以上書くと、ながくなりすぎますので、續きはまた明日といふことにし、最後に、けふの記事の題名について、その意味を御話申上げます。





御氣づきのとほり、《豆腐・葛湯》とは、日本の脆弱な地盤をあらはします。すなはち、《豆腐・葛湯の上にある物》とは、原子力發電所のことです。廣瀬氏の本に、さういふ表現がありましたので、盜んできました。


青森縣の六ヶ所再處理工場・新潟縣の柏崎刈羽原發・石川縣の志賀原發・靜岡縣の濱岡原發、その4つの建物の敷地は、繩紋海進時代(ピーク期・6500~5500年前)において、みな海底にありました。つひ最近まで、海の底だった場所に、核施設が建てられてしまったわけです。地盤がやはらかくないはずがありません。


とくに、柏崎原發は、まへから「豆腐の上の原發」と呼ばれてきたさうです。それだけでもおもしろいのですが、さらに、2007年の中越沖地震のあとは、「くず湯に浮かぶ原發」と呼ばれてゐるらしい。爆笑してしまひましたので、それを題名につかはせていただいた次第です。
その地質は、40メートルほど掘って、やうやく岩盤らしきものに達したとのこと。6號機・7號機にいたっては、それでも岩盤と呼べないほどの強度しかもたないので、鐵筋コンクリートの人工岩盤によって、基礎をつくらなければならなかったのです。





豆腐の上にのせるものは、ネギ・ショウガ・シソに決まってゐます。葛湯にうかべるものは、ときにショウガなど、でせうか。
上に原發をのせ、うかべてしまふとは、電力會社、醉狂なり・・・・・・。
(本篇・・・終)





コメント・質問等、どんどん御寄せください。「この字、よめないんだけど?」といふものでも、かまひません。よろこんで、御答へいたします。





ここで、參考にした本の御紹介です。世の中には、この本のほかにも、すばらしい本がたくさんあります。すばらしい先生が、たくさんいらっしゃいます。御自分の目でおさがしになり、いろいろ讀んでみられることを、ここでつよくおすすめいたします。


本を讀みはじめると、自分の視野がいかにせまかったか、自分の考へがいかにあさかったか、がわかります。《井の中の蛙》が、《大海を知り、泳ぎはじめた》瞬間です。ひとり(一匹)でも多くの《井蛙》に、《大海を知って、泳ぎはじめて》ほしい。本ブログのタイトル「井蛙(せいあ)、大海を泳ぐ。」は、そのやうな願ひをこめて、かかげました。

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最後まで讀んでくださり、ほんたうにありがたうございます。「《葛湯にうかぶ原發》とは、おもしろいことを言ったもんだ。」とおもったかたは、ぜひ、《人氣ブログランキング》に清き一票を、よろしく御頼み申上げます。


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