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けふは、まづもって當り前すぎる眞實を指摘し、それをふまへて、福島第一原發後の對策について、考へてみませう。
なほ、本ブログにおいては、正字正假名遣で表記してゐます。なぜ、わざわざ讀みづらくて難しい表記をするのか? その理由を御知りになりたいかたは、わがウェブサイト(クリックすると、ジャンプします。)に御越しください。わけを、おしらせいたします。
或いは、この本を御讀みください。さすれば、この問題について、關心をおもちになり、知識・教養をふかめることができます。文庫ながら、じつにすばらしい本です。
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はじめに、本記事の題名について、言ひ譯を少々。
題名の最後、「氣づけ」と、命令の調子になってをりますけれど、始めからさう書かうとは、おもってゐませんでした。みなさまに命令するつもりなど、毛ほども無いからです。
當初は、《氣づかう》と書くつもりでした。なぜ、變へたのかといふと、「氣づかう」と書いてしまふと、「現代かなづかい」で御暮らしのかたには、《氣をつかふ》といふ意味の「氣づかう」に、解釋されてしまふからです。
わたくしは、正字正假名遣派ですから、「氣づかう」と書けば、《氣づきませう》といふ、提案・呼びかけの意味になります。「現代かなづかい」で書けば、「氣づこう」です。
誤解のなきやうに、一言おしらせいたしました。
さういふわけで、本記事の題名には、
「この不動の眞實に、氣づきませう。」
といふ意味を、こめました。
それでは、何が《不動の眞實》なのでせうか?
それは、
「日本は、世界一の地震王國である。」
といふことです。
わが日本國は、國土面積こそ、世界の陸地面積の《0,25%》にすぎません。一方、地震の發生する割合は、世界の全地震の《約1割》、マグニチュード6以上の地震にかぎれば《約2割》にのぼります。(*アメリカ地質調査所USGS發行の統計値による。)
世界の全地域において、均等に地震がおこると假定すると、日本での地震發生割合は、0,25%になります。(*ただし、海底で地震がおこることもありますから、その割合はやや不正確ですが、ここではそれを無視します。)しかし、現實は、全地震の1割、M.6以上の2割なわけです。じつに、假定の《40倍》、《80倍》でございます。
その數値、すでに御存じのかたもいらっしゃいませう。が、さういふかたであっても、ここで改めて、その異常性に驚いていただきたいのです。
「日本は、世界一の地震王國である。」
といふことは、動かしやうのない眞實です。それを否定する人は、おそらくいらっしゃらないでせう。電力會社の人々・原子力ムラの人々でさへ、しぶしぶであっても肯定せざるをえません。
なぜ、わたくしがここまで念を押すのかといへば、その眞實をうべなふ人々のなかに、このやうな考へをもつ人々が、依然として、をられるからです。
「今すぐに原發をゼロにすることはできないけれど、いつか必ず、原發をゼロにしよう。」
そんな考へを御持ちのかたには、處方箋として、次の眞實の《服用》をおすすめいたします。それは、
「地震は、原發ゼロにするのを待ってはくれない。」
といふ、冷酷な眞實でございます。
地震をはじめとする災害は、人間の營みとは無關係に、やってきます。災害にたいし、
「まだ準備が整ってゐないから、もうちょっと待ってくれ。」
と言って、そのとほり待ってくれれば、これほど暮らしやすいことはございません。眞實は、眞逆なのです。災害は、こちらの都合でその發生をコントロールすることなど、できないのです。
政府のエネルギー・環境會議がだしてきた、「エネルギー・環境に關する選擇肢」によると、いまから18年後の2030年における、原發の割合は、①0%、②15%、③20~25%、の3候補です。
②の15%や③の20~25%を主張する方々にたいして、わたくしは、「かなりのマイペース、悠長な方々だなあ。」といふ印象をもちました。きっと、のんびりとした、牛のやうにおとなしい人々なのでせう。
そんなかれらを批判するのは氣がひけますが、批判しないわけにはまゐりません。かれらに御訊きしたいのは、
「2030年までに、大地震がやってこないといふ保證が、あるのですか?」
「もし、2030年までの間に大地震がおきて、原發が崩壞したら、どう責任をとるおつもりですか?」
といった質問です。
昨年(2011年)に大地震がおきたからと言って、しばらく大地震がこないだらうとおもふのは、錯覺・早合點でございます。
試みに、江戸時代末期におきた地震を、列擧してみませう。なほ、横の人數は、死者・行方不明者をあはせた人數です。
1847年5月8日・・・・・・・・・・・・(信濃)善光寺地震(1萬人)
1853年・・・・・・・・・・・・・・・・小田原地震
1854年7月9日・・・・・・・・・・・・伊賀上野地震(近畿地方に大被害)
1854年12月23日・・・・・・・・・・安政東海大地震M.8,4(一萬人)
1854年12月24日・・・・・・・・・・安政南海大地震M.8,4(3萬人)
1855年11月11日・・・・・・・・・・安政江戸大地震(1萬1千人)
1858年4月9日・・・・・・・・・・・・越中・飛騨大地震(飛騨で壓死者數千人)
幕末の騷がしい時期に、地面もさわがしく搖れたわけです。その時代を生きた日本人はさぞ、生きた心地がしなかったことでせう。
この記録からわかることは、わづか11年間に、いくつもの地震が集中したことです。とくに、安政東海大地震と安政南海大地震とは、2日連續でおこりました。それは極端な例であるとしても、そのやうに、大地震の周期は、とても短くなることがあるのです。
もうひとつ、明治・大正時代の關東地方附近でおきた地震を、ピックアップしてみます。
1891年・・・・・・・・・・・・・・・・・・山梨東部M.6,5
1894年6月・・・・・・・・・・・・・・・・東京地震M.7,0
1894年10月・・・・・・・・・・・・・・・東京M.6,7
1895年・・・・・・・・・・・・・・・・・・茨城霞ヶ浦M.7,2
1921年・・・・・・・・・・・・・・・・・・茨城龍ヶ崎M.7,2
1922年・・・・・・・・・・・・・・・・・・神奈川浦賀水道M.6,8
1923年・・・・・・・・・・・・・・・・・・關東大震災M.7,9
關東大震災前の30年間に、これだけの大地震がおきたのです。調べながら、背筋がさむくなりました。
それらの前例を知ってもなほ、
「いますぐ原發をゼロにすることはできないけれど・・・・・・。」
と言へますか?
もちろん、地震が發生しないこともあります。その可能性の方がたかいでせう。すべては確率の問題なので、「絶對におこる」とは、斷言できません。しかし、おこる確率がゼロでない以上、その對策はうっておかなければなりません。ふたたび原發事故がおこれば、またも取りかへしのつかない大慘事になるのですから・・・・・・。
これが、たとへば火力發電所の話ならば、ここまで警戒することはありません。假に、爆發事故がおきたとしても、復舊は迅速です。發電所のまはり、人が住めなくなるわけでもない。不幸なことに、犧牲者がでてしまふかもしれませんが、それは原發事故の比ではありません。《あともどり》が、はるかに容易なのです。
それにたいし、原發事故となると、さうはゆきません。それは、福島原發の事故が、すべてを物語ってをります。《あともどり》が、できないのです。
地震の眞理を痛感し、かつ、「福島のやうな事故を、2度とおこしてはならない。」と決意したひとならば、「いますぐ原發をゼロにできない。」などとは、言ってはならないのです。
「そんなこと言っても、電氣が足りなくなるのだから、仕方がないではないか。」
と考へる人には、一言、「本を御讀みなさい。」と、助言いたします。原發がなくても電氣が足りることは、多くの書籍にはっきりと書いてあります。本記事は、電力需給についての記事ではないので、ここでは助言のみにとどめます。
ただでさへ、東北大震災後、日本列島は地震のおきやすい時期にはひったと、專門家のあひだでは言はれます。あの大地震のあと、日本列島がつよく引張られてゐるといふ話です。
また、「健康と経済を考える人」さんの「正しい情報を探すブログ」でも、ちかごろ再三、警告してをられますが、太陽の活動が、地震を誘發するのです。太陽表皮でおほきいフレアが發生すると、それと期を一にして、地球で地震がおこるとの由。このところ、フレアが頻發してゐるさうですから、より地震に警戒せねばなりません。
再度申上げますが、地震の問題は、確率論でありますから、大地震がおこらないこともあります。が、だからと言って、地震の豫測をした人を、「ウソつき」呼ばはりしてはなりません。「狼少年」などと言ってはなりません。むしろ、豫測してくれた人に感謝しつつ、ホッとすべきなのです。「豫測が外れてよかった・・・・・・。」と。
東北大震災の震源地附近だけならば、しばらく地震がこないと言へるやもしれません。が、それにしたって、當てにはならない。餘震とよぶにはおほきすぎる地震が、本震のあとに來たではありませんか。
ましてや、他の地域は、いつどこで地震がおきても不思議ではないのです。
さういふわけで、もろもろの事象を考慮すれば、でてくる結論はただひとつです。
「一刻も早く、原子力發電所をゼロにする。廢爐にする。」
念を押しますが、《廢爐》にしなければなりません。現在のやうに《運轉停止》では、目的を達したうちに這入りません。福島第一原發の4號機は、運轉を停止してゐたにもかかはらず、爆發いたしました。廢爐にし、燃料棒をとりだし、發電所敷地から搬出しないかぎり、リスクはそのままなのです。運轉停止ではなく、《即刻、廢爐》が正しい解決策でございます。
「原發をなくすと、景氣がわるくなる。」
と、冗談のやうなことを、本氣で言ふ人もいらっしゃいます。
原發といふ超危險物を、なぜ景氣刺戟策くらゐのことに、使はなければならないのでせうか? 景氣を刺戟するだけなら、他の手段がいくらもあります。100%安全な手段が、たくさんあるのです。どうして、原發でなければならないのか。その釋明がないかぎり、その主張は、正しさをもちえません。
だいたい、廢爐にすることじたい、人手・費用が莫大にかかるのです。それも、何年とかかります。立派な《景氣刺戟策》になるではございませんか。そして、廢爐作業が終るまでのあひだに、新エネルギー技術の導入を《眞劍に》檢討し、廢爐の作業終了後、すみやかにその技術にもとづいた發電所を、原發跡地などに建てればよいのです。えっ、それではいけない? いけないとおっしゃるなら、その理由をとっくりきかせてもらひませう。
繰返しますが、《日本は、世界一の地震王國》なのです。その眞實を否定しさることは、何人たりともできないはずです。けれども、その眞實を人目のつかぬところにうっちゃって、危險な發電所を50基以上も建ててきたのが、わが國の電力會社でございます。
理系の世界は、とても嚴しうございます。法則にそむいたことをすれば、その報いがたちどころに發生します。物理法則を無視して、ビルを建てれば、すぐに崩壞いたします。嚴密な計算にもとづかずして設計された車は、すぐに不具合をおこし、リコールの對象になります。
このたびの日本人の悲劇は、《日本は世界一の地震王國》といふ眞實を無視したために、おこったことです。國會の、あやしげな原發事故調査委員會に言はれるまでもなく、原發事故は人災なのです。
わが日本では、昔から、
「地震・雷・火事・おやぢ」
と言はれてきました。イの一番に《地震》がくるほんたうの意味を、今こそ考へなければなりません。古人の格言は、おもいのです。
(本篇 終)
コメント・質問等、どんどん御寄せください。「この字、よめないんだけど?」といふものでも、かまひません。よろこんで、御答へいたします。
ここで、參考にした本の御紹介です。世の中には、この本のほかにも、すばらしい本がたくさんあります。すばらしい先生が、たくさんいらっしゃいます。御自分の目でおさがしになり、いろいろ讀んでみられることを、ここでつよくおすすめいたします。
本を讀みはじめると、自分の視野がいかにせまかったか、自分の考へがいかにあさかったか、がわかります。《井の中の蛙》が、《大海を知り、泳ぎはじめた》瞬間です。ひとり(一匹)でも多くの《井蛙》に、《大海を知って、泳ぎはじめて》ほしい。本ブログのタイトル「井蛙(せいあ)、大海を泳ぐ。」は、そのやうな願ひをこめて、かかげました。
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最後まで讀んでくださり、ほんたうにありがたうございます。「《地震・雷・火事・おやぢ》のほんたうの意味が、やっとわかった。」といふかたは、ぜひ、《人氣ブログランキング》に清き一票を、よろしく御頼み申上げます。

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