これは私自身が忘れない為に、

私の記録の為に書いておく話。



9/7夕方。



今まで漠然とそうだろうとは分かっていたことが

突然、全ての点と点が繋がった感覚が起きた。



今までも目の前の在るものを見てきたつもりだった。



でもそれは、知識(思考)でそうだと思っていた部分、

今回は大いなる存在、源や魂と完全に繋がった、

それ位の一致した感覚が訪れた。



言い換えれば【人間的な視点】と【大いなる視点】

その両方を得たような感覚。



自分が大いなる存在や宇宙そのものになったとか、そういうものではない。



この第3次元に存在する為には私に肉体がなければならない。



でも、その肉体は

大いなる存在といつも、どんな時も繋がっていて

その肉体で感じることが源の拡大に繋がる。



人間的な、私(泉穂)としての視点では

思考から来る感情に飲み込まれ、

その感情の揺れ動きに右往左往することがある、

そんな状態。



大いなる源と繋がるわたしの視点では

『その感情を感じる人間の私の事も全て包み込む』

そこから物事を見ている感覚。



なかなか言葉にするのが難しい。



今までは思考で、知識として知ってることを話していた感覚。



肉体と源を完全に分離されていたことが今なら分かる。



それでも大いなる源に存在するわたしの意識は

ずっとずっと、ただ起こることとして出来事を見ていて

人間としての私のすべてを大きな愛でただ見ていた。



感じること、経験していること、肉体そのもの…

人間の私がいくら自分を責めても、ジャッジしても、嫌っても、すべてに対してただ受け入れる大きな愛。




その視点に気付いた



そういうことなんだろう。




そしてこの視点を得たことで分かったことは

肉体としての私の視点と、大いなる存在から見るわたしの視点

ここがあまりにもかけ離れた状態になっている時



人間としての私としては感じたくない感情としてずっと教えてくれていた



違う方を見てるよ

そっちじゃないよ


そうやって感情として教えてくれていただけだった。



本当にシンプル。



人間の視点だけで何かを成し遂げようとしても

いつも苦しさしかなかった理由がはっきり分かった。



この2つの視点を分離させていたこと。



ただそれだけだった。



どんなに怖くても、今年は自分の内面と向き合い続けよう、そう決めてやって来た。



生まれて半世紀近く、この視点に気付けたこと。



自分を諦めなくてよかった。



いつも中途半端、そうやって自分を責めて消化不良を起こしてた。



でも、今も今までも


そのままの自分でただ存在するだけでよかったんだ


地球に肉体として存在している間に

この視点を得られたことに心から感謝します。