女の子が生まれたらピアノを習わせたいと思っていた。
私はそんなにピアノは上手くないけれど、それでもやっぱり少し弾けるのと全く弾けないのとでは違うと思うから。
何より、自分で音楽を奏でられるって素敵なことだと思うから。
夫は楽譜もろくに読めないが、義父は大の音楽好き。ピアノもギターもベースもコントラバスも弾ける。
そんな義父に娘が赤ちゃんの頃、いつかこの子にピアノを習わせたいという話をしたら大喜び。3歳の誕生日にピアノを贈るとはりきった。はりきりすぎて、やっと一人座りができた頃にはもうピアノが我が家にやってきた。しかも私の予定のアップライトのものではなく、ベビーグラウンドピアノ(普通のものより小さいグラウンドピアノ)が。
なので娘は物心つく前から家にピアノがあって、おもちゃのようにたまに遊んでいた。
娘が3歳半になったころ、それまで手のひらをひらいてじゃんじゃか鳴らしていたピアノを人差し指で一音一音「弾く」ようになった。そろそろピアノを始めてもいいかもしれない、そう思った私はすぐに先生を探した。育休中の今ならゆっくりピアノを始められるという思いもあった。
そしていい先生に出会い10月末から習い始め、もう7ヶ月ほど経った。
ひらがなさえまだほとんど読めない娘が音符は楽譜を見てト音記号のド〜ソまで読めるし書ける。ヘ音記号もドとシとソは読める。
何よりも集中力が足りなくて私に怒られたり泣いたりしながらも練習をやめないところが偉い。きっと幼い頃の私なら既に投げ出している(だからピアノは習ってたけど長く続かなかった)。
昨日もこども園から帰ったら、手洗いうがいをして、自分で二階のピアノへ向かった。「こども園から帰ったらまずピアノの練習をする。遊んだり他のことをするのはその後」これが私たちの約束である。
ピアノの課題もだんだんに難しくなってきた。右手と左手のリズムが違うのである。私ならさすがにすらすら弾けるのだが、4歳の小さな手にはまだ難しい。
1つの曲を3回通して弾くのが毎日の課題。だけど今回は特に難しい2小節があって、そこだけ1日5回弾くように先生に言われている。
まず1回目は全部通して(全部で8小節)。つまづきながらゆっくりではあるけれどなんとか弾けた。
そして「あっここ5回やらなきゃね!」といって娘は自ら気がついて例の2小節を練習し始めた。
娘「さんはいとんっ(鍵盤に指を置く)さんはいっ(ピアノを弾く)」
1回弾くたびに「今1回やったからあと4回だね」といいながら練習を続ける。いつのまにか引き算ができるようになってるなぁと思いながら私は聞いている。
娘「5回やったよ!」
私「じゃぁそこ上手にできたから、また最初から最後まで2回弾いたらゼリー2個ね。」
ピアノの練習が終わったら、私が夕ご飯の用意をする間テレビを見ていいことにしているのだが、この頃の課題は難しすぎてそれだけでは娘のモチベーションがなぁと思ったので、練習頑張ったら娘の好きなフルーツゼリーが食べられるという制度を導入した。
娘はまた始めからつまづきながら、途中間違えてもすぐ弾き直して最後まで弾けた。
娘「今日頑張ったし、終わりにしよっか?」
集中力が切れて疲れてきたのである。
私「だめだめ、まだ2回しか弾いてないでしょ。あと1回だから頑張って」
しぶしぶもう一度弾き始める。ところが3小節目で間違えて止まってしまう。止まってしまったら始めから弾きなおすのが私と先生と娘の決まり。
私「あ〜もう一回最初から弾いて」
娘「いやっここから!!」
私「最初から弾きなおすのが約束だよね。きっと先生もそういうと思うよ。」
娘「いやっ、いいのここからで!」
私「じゃぁここからでいいけど、それならゼリーは一個にしようね」
娘「いやっ2つがいい!」
私「それはだめだなぁ。2つがよかったら始めからもう一回頑張ろうよ」
娘「いやっ母ちゃんのいじわる!」
娘はピアノの椅子の上で膝を抱え泣き出した。この頃ただ泣くのではなくて、少し演技がかって、いかに自分が悲しくて今かわいそうなのかをアピールした泣き方をする。この泣き方が余計私の苛立ちを誘う。まぁいつものことだ。
私「でたっいじわる。」
娘「ごめんなさい!」
私「怒っていうごめんなさいはごめんなさいじゃない。母ちゃんはいじわるで言ってるんじゃないよ。いつものお約束だから言ってるよ。でも娘ちゃんがそこからしか弾きたくないならゼリーは1つ。ゼリー2つがいいなら始めから弾き直さないとだめ。」
私だって毎日のピアノの練習に付き合うのはなかなか大変だ。なぜなら足元では1歳すぎの息子が抱っこしてほしいだの自分も弾かせてほしいだのぎゃ〜ぎゃ〜言っているから。でも娘にやる気があるのに、私が投げ出してしまってはいけないし、弟のせいで練習できないなんていけないなと思うから、ピアノの練習には腹を据えて私も向き合っている。
ぷっつんしそうな気持ちを抑えて泣いてる娘の気持ちが落ち着くのを待つ。
娘「ゼリー2つがいいもん!さんはいとんっ、さんはい」
泣いて顔を真っ赤にした娘が慎重にピアノを弾きだす。途中からではなく最初から。
私も「どうか間違えませんように。もう一回間違えたら私も娘も今日は諦めてしまうかもしれない。そうしたくない。」と心の中で思う。
一音一音丁寧に慎重に奏でられていく。
無事に間違えずに、そればかりか今までで一番上手に弾ききった。
私は思わず、「今の今までで一番上手だったよ。」と言って両手を娘に向けてひろげる。
娘はやりきった、そしてほっとした顔で嬉しそうに胸にとびこんでくる。
私の膝に座って私の首にぎゅっと自分の腕を回し、娘は「ありがとう」と言った。
「ありがとう」か。私はなんだか涙が出そうな気持ちになった。そして、この子はすごいなぁと思った。
娘「ゼリー2つ食べられる?」
私「ゼリー3つだな!」
娘「3つもくれるの?」
私「とびきり頑張ったからね」
2つの予定のゼリーは3つになった。
たったゼリー1個。でもそれは特別なゼリーだった。嬉しそうにゼリーを食べる娘を見て、私も嬉しかった。
ただ、今日からはゼリー2つではなく、ゼリー3つをめぐって、同じようなバトルをするのだろう。