雨が降りそうなので、傘を持ってピアノのレッスンへ向かった。
家から徒歩5分。
もともと傘好きの娘は降ってもないのに傘をさし出す。

私「雨降ってないから傘ささなくていいよ」
娘「お日様出てるから」

娘の友だちのお母さんは確かに晴れでも雨でも傘をさしている。娘はだから晴れの日でもさす傘があることを知っている。

ところが、いやいやお日様も出ていない。どんより曇り空である。

まぁ傘がさしたいだけだからまぁいいかと思い、それ以上私も何も言わない。

後ろを歩く娘が何か呟いているので振り向くと、傘を肩で支えてさしながら、両手をクロスして誰かをおんぶしている。

娘「ほらっめい、しっかりつかまって」

そして片手はおんぶしたまま、もう片手は傘を再びもつ。どうやら娘はさつき(娘はトトロの映画が大好きで何回も見ている)になっているらしい。

私「あれっ娘ちゃん、さつきになってるの?めいちゃんがいるの?」
娘「そうやねん。めいちゃん、寝ちゃってん」

さつきになってるのに、関西弁。さつきだけど、娘。かわいすぎて笑えてくる。

娘「だからおばあちゃんの家で待ってたらって言ったのに」(映画の中に出てくる台詞)

娘「あっこれどうぞ」

あれっまた誰かいる。今度はトトロに傘をかしてあげているらしい。

5分の道のり、何度もめいをおんぶしなおしたり、トトロの様子を見たり、傘の使い方を教えたり…傘1つで随分とマイワールドを広げられるもんだ。

結局寝てしまっためいは、ピアノのレッスン中、部屋のソファの後ろの隙間に隠されていた(笑)帰りはまたおんぶして帰り、家に着いたらいつのまにかいなくなっていた。
私の父は公立の高校の教員だった。
毎日ワイシャツを着て、ネクタイを締めて仕事に行く。
そして7時くらいには家に帰ってきて家族でご飯を食べた。お互いの1日の話をしながら。うちは同居で祖父母もいたから、毎日6人でご飯を食べた。話したくてもなかなか自分の番が来ないから、手を挙げて発言権を得たりもしていた。

私と兄が小学生くらいまでは、帰宅時、家の横の道を通るとき優しくクラクションを鳴らした。そうすると私たちは玄関にとんでいき、三つ指ついて父の帰りを待ったものだ。
ご飯を食べたら毎日相撲ごっこをした。
塩を振る真似をして、はっけよ〜いのこった!
時にはプロレスごっこをして、父の頭の上に持ち上げられることが大好きだった。
毎日この時間が楽しみだった。冬は家の中の熱気でよく窓が曇ったものだ。
今思えばとても昭和な家族時間だったと思う(実際は平成だけど)。

本当によく遊んでくれる父だった。
だから他の子に「今日はお父さん、仕事が休みで家にいるから一緒に遊べない」と言われると不思議でならなかった。
うちはそんなことなかったから。父がいてもうちに友だちが遊びにこれば父は友だちも含めて一緒に遊んでくれたから。

母とすごす時間の方が圧倒的に多かっただろうに、不思議と母と遊んだ思い出がない。一緒に出かけたり、習い事の送り迎えや世話をしてくれたり、一緒にご飯を作ったり裁縫をしたり、そういうのはたくさん覚えているけれど、遊んだ記憶がない。父と 相撲をとってる間、きっと母は家事をしてくれていたから。我が家の遊び相手は完全に父だった。

体当たりで父と遊んだあの時間は、きっと私と父にとってとても大切なものだし、私たちの関係の根本を支えているだろうと思う。

もちろん、父の嫌な面だっていっぱいあるけれど、それでも私の求める父親像というのはそこにある。

だから、夫にもそれを求めてしまう。

「毎日家族でご飯が食べられる」これができる家庭のいかに少ないことか!ひょっとしたらお父さんの帰宅は子どもたちの食事の後、子どもたちの寝た後って家庭のほうが多いかもしれない。
でも私はそれは考えられない。ご飯は家族で食べるもの、夕食の時間は家族団欒の時間。この食事の時間から始まる時間の大切さが自分の中で揺らがなくあってしまう。

夫も少し前まではそれができていた。からよかった。
ところが今年度から仕事がますます大変になってきて、早く帰ってくる日がほとんどない。7時に帰ってこられたらだいぶ早いとこの前まで思っていたのに、最近では8時までに帰ってこれたらいいほうとなってしまった。仕事が大変なのは十分わかっているけれど…本人もしたくて帰りが毎日遅いわけではないのもわかっているけれど…

その一方で一歳をすぎた息子の主張が日に日に増し、4歳の娘と私と3人だけで食卓を囲むのはますます大変になってきた。

これが日々の夫への不満を募らせてしまう。

そして帰ってきたら帰ってきたで、自分が食べたらすぐソファに転がってしまうし、子どもの遊び相手になるのも横になったまま、時には携帯をいじりながら。こういう男性が多いのもわかってはいる。でも私は嫌なのだ。たまらなく蹴飛ばしたくなる!(笑)

私の父のような父親のほうが少ないであろう。

でも、この夫のような父親像でいいのか?と日々思ってしまう。夫としてはよかった。むしろ父よりもいいところだっていっぱいあるし、変な話父は夫としてはダメかもしれない。でも子どもたちの父としては不満が募る。まっこれは言い出したらきりがないなら、妥協しながらやっていくしかない。

日本が高度成長期になくしてしまった文化に、家族の団欒の時間が間違いなくあっただろう。それによって失われた人の心の豊かさは確実にあり、現代の犯罪やひきこもりやいじめや、人の心が悪となった要因にも繋がっていると私は思う。幼少期での家庭での時間がいかに人の心を育むものかということを多くの人に考えてもらいたい。

また、経済の発展も携帯の進歩も子育てに関してはあまりいい影響を与えていないように思う。私だって携帯は手放せないけれど、携帯のない時代に子育てしたかったと思うこともある(とはいえ子育ての大変さを友だちと共有するツールも携帯だから今の私には不可欠なのだけど)。

どこかの国のように、5時以降は家庭の時間って日本もできたらいいけれど、もしそれがじつげんできたところで、団欒の時間のあたたかさを知らずに育った人は、親になってもどうやってその時間を作ったらいいかわからないだろう。そこが悪循環をうんでいる。

何を言いたいかわからなくなってきた…

私は父が私の中に築いた父親像を大事にしたい。すべきだと思う。そして娘と息子にもできれば残したい。父親像は無理でも(笑)団欒の時間の心地よさは子どもたちの代にも孫たちの代にもずっとずっと伝えていきたいし、残していかねばと思う。そして、それが親になった私が子どもたちにしてあげられることの1つだと思っている。


女の子が生まれたらピアノを習わせたいと思っていた。
私はそんなにピアノは上手くないけれど、それでもやっぱり少し弾けるのと全く弾けないのとでは違うと思うから。
何より、自分で音楽を奏でられるって素敵なことだと思うから。

夫は楽譜もろくに読めないが、義父は大の音楽好き。ピアノもギターもベースもコントラバスも弾ける。
そんな義父に娘が赤ちゃんの頃、いつかこの子にピアノを習わせたいという話をしたら大喜び。3歳の誕生日にピアノを贈るとはりきった。はりきりすぎて、やっと一人座りができた頃にはもうピアノが我が家にやってきた。しかも私の予定のアップライトのものではなく、ベビーグラウンドピアノ(普通のものより小さいグラウンドピアノ)が。

なので娘は物心つく前から家にピアノがあって、おもちゃのようにたまに遊んでいた。

娘が3歳半になったころ、それまで手のひらをひらいてじゃんじゃか鳴らしていたピアノを人差し指で一音一音「弾く」ようになった。そろそろピアノを始めてもいいかもしれない、そう思った私はすぐに先生を探した。育休中の今ならゆっくりピアノを始められるという思いもあった。

そしていい先生に出会い10月末から習い始め、もう7ヶ月ほど経った。

ひらがなさえまだほとんど読めない娘が音符は楽譜を見てト音記号のド〜ソまで読めるし書ける。ヘ音記号もドとシとソは読める。
何よりも集中力が足りなくて私に怒られたり泣いたりしながらも練習をやめないところが偉い。きっと幼い頃の私なら既に投げ出している(だからピアノは習ってたけど長く続かなかった)。

昨日もこども園から帰ったら、手洗いうがいをして、自分で二階のピアノへ向かった。「こども園から帰ったらまずピアノの練習をする。遊んだり他のことをするのはその後」これが私たちの約束である。

ピアノの課題もだんだんに難しくなってきた。右手と左手のリズムが違うのである。私ならさすがにすらすら弾けるのだが、4歳の小さな手にはまだ難しい。

1つの曲を3回通して弾くのが毎日の課題。だけど今回は特に難しい2小節があって、そこだけ1日5回弾くように先生に言われている。

まず1回目は全部通して(全部で8小節)。つまづきながらゆっくりではあるけれどなんとか弾けた。

そして「あっここ5回やらなきゃね!」といって娘は自ら気がついて例の2小節を練習し始めた。
娘「さんはいとんっ(鍵盤に指を置く)さんはいっ(ピアノを弾く)」
1回弾くたびに「今1回やったからあと4回だね」といいながら練習を続ける。いつのまにか引き算ができるようになってるなぁと思いながら私は聞いている。

娘「5回やったよ!」
私「じゃぁそこ上手にできたから、また最初から最後まで2回弾いたらゼリー2個ね。」

ピアノの練習が終わったら、私が夕ご飯の用意をする間テレビを見ていいことにしているのだが、この頃の課題は難しすぎてそれだけでは娘のモチベーションがなぁと思ったので、練習頑張ったら娘の好きなフルーツゼリーが食べられるという制度を導入した。

娘はまた始めからつまづきながら、途中間違えてもすぐ弾き直して最後まで弾けた。

娘「今日頑張ったし、終わりにしよっか?」
集中力が切れて疲れてきたのである。
私「だめだめ、まだ2回しか弾いてないでしょ。あと1回だから頑張って」

しぶしぶもう一度弾き始める。ところが3小節目で間違えて止まってしまう。止まってしまったら始めから弾きなおすのが私と先生と娘の決まり。

私「あ〜もう一回最初から弾いて」
娘「いやっここから!!」
私「最初から弾きなおすのが約束だよね。きっと先生もそういうと思うよ。」
娘「いやっ、いいのここからで!」
私「じゃぁここからでいいけど、それならゼリーは一個にしようね」
娘「いやっ2つがいい!」
私「それはだめだなぁ。2つがよかったら始めからもう一回頑張ろうよ」
娘「いやっ母ちゃんのいじわる!」

娘はピアノの椅子の上で膝を抱え泣き出した。この頃ただ泣くのではなくて、少し演技がかって、いかに自分が悲しくて今かわいそうなのかをアピールした泣き方をする。この泣き方が余計私の苛立ちを誘う。まぁいつものことだ。
 
私「でたっいじわる。」
娘「ごめんなさい!」
私「怒っていうごめんなさいはごめんなさいじゃない。母ちゃんはいじわるで言ってるんじゃないよ。いつものお約束だから言ってるよ。でも娘ちゃんがそこからしか弾きたくないならゼリーは1つ。ゼリー2つがいいなら始めから弾き直さないとだめ。」

私だって毎日のピアノの練習に付き合うのはなかなか大変だ。なぜなら足元では1歳すぎの息子が抱っこしてほしいだの自分も弾かせてほしいだのぎゃ〜ぎゃ〜言っているから。でも娘にやる気があるのに、私が投げ出してしまってはいけないし、弟のせいで練習できないなんていけないなと思うから、ピアノの練習には腹を据えて私も向き合っている。

ぷっつんしそうな気持ちを抑えて泣いてる娘の気持ちが落ち着くのを待つ。

娘「ゼリー2つがいいもん!さんはいとんっ、さんはい」

泣いて顔を真っ赤にした娘が慎重にピアノを弾きだす。途中からではなく最初から。

私も「どうか間違えませんように。もう一回間違えたら私も娘も今日は諦めてしまうかもしれない。そうしたくない。」と心の中で思う。

一音一音丁寧に慎重に奏でられていく。

無事に間違えずに、そればかりか今までで一番上手に弾ききった。

私は思わず、「今の今までで一番上手だったよ。」と言って両手を娘に向けてひろげる。
娘はやりきった、そしてほっとした顔で嬉しそうに胸にとびこんでくる。

私の膝に座って私の首にぎゅっと自分の腕を回し、娘は「ありがとう」と言った。

「ありがとう」か。私はなんだか涙が出そうな気持ちになった。そして、この子はすごいなぁと思った。

娘「ゼリー2つ食べられる?」
私「ゼリー3つだな!」
娘「3つもくれるの?」
私「とびきり頑張ったからね」

2つの予定のゼリーは3つになった。

たったゼリー1個。でもそれは特別なゼリーだった。嬉しそうにゼリーを食べる娘を見て、私も嬉しかった。

ただ、今日からはゼリー2つではなく、ゼリー3つをめぐって、同じようなバトルをするのだろう。