久しぶりに真面目な話。

今の生活は平日は仕事に授業に研究で、休日もたいてい何かしら勉強会や講演会に参加しているため、これからの保育や子どものことを考える時間がとにかく多い。

だから、あえてここには書かなかった節もある。それらはノートにぎっしり書くのに精いっぱい。

そしてここくらい息抜きにしとこうっていうのもあって。


でも今日は書こうかと。

今日は仕事の後、本来は授業のために大学に行く日だけど、今日は授業は休み、慶応大学で行われる講演会に学部から今までずっと一緒の同じ研究室の友達と出かけました。

きっかけは、教授がこの講演にすごくいきたくて、でも教授は他の仕事があって行けないから話を聞いてきてほしいと言われたからだった。それがなかったら、正直いかなかったかもしれない。それが少し今となっては情けない。


話の内容は、「震災後の子どもの心のケアをめぐって」というようなもので、海外のPPSD(トラウマ)の専門家と、今被災地で実際に心のケアにあたっている先生と慶応の先生がお話しされた。


上手く今言葉にまとまらないほど、心に響いた。胸が苦しくなるような話もいっぱい聞いた。

ニュースを聞いてただけじゃわからなかったこと、考えに及ばなかった多くの被害に気付かされた。


例えば風評被害。

野菜だけじゃない。農業などの産業にだけじゃない。

もっともっと深刻で大きな被害は、人の心に対する被害ということ。

考えればわかったはずなのに、気づけてなかった自分。

深刻だった。

「どうせ(福島出身)の僕はだめなんでしょ?」「何県出身って言えばいい?」と聞いたり思ったりする子が多いらしい。

そして実際にかなりの福島県民差別があるらしい。


地震の被害より、やはり津波の被害が莫大と言っていた。

そしてそのことによる心への影響も当然かなりのもの…。

原発もそう。


実際の被害はニュースでわかる。

でもそのことによる人の心の中への被害は見えにくい。

でもでも、本当の被害の深刻さはそこにある。

そのことに今更気づいた。


震災後、子どもたちの姿を見ていて顕著に感じること。

遊びの中に地震や津波が出てくる。

地震ごっこ、津波ごっこ。

それは人間の本能なのだろうし、心の健康を保つ機能なのだろう。

子どもは笑顔で「地震だ地震だ~」とか「津波がくる~」と遊ぶ。

元気な子どもの姿の反面、私はそのたびにとても心が痛み、どうかかわったらいいのか戸惑った。

今もどうしたらいいかわからない。

でも、子どもが深刻そうでもなく笑顔で「地震だ~大変だ~」とやっていても、一緒に「大変だ~」ってやりつつも抱きしめて「大丈夫だよ」って言ってあげたい。遊びの中であっても、一緒に逃げて生き残るってことをしたい。追体験して、恐怖を他のものに転換させようとしているのだろうから、守ってくれる大人がいると伝えたい。安心させてあげたい。それがいいかどうかはわからないけれど、今はとにかくそう思った。


私に何ができるだろう、何をしたらいいんだろう…

考えても考えてもいつも答えがでない。

でも、1番しなくてはいけないと思うことはわかった気がする。

この震災で起こったことを忘れないこと!絶対忘れてはいけない。他人事にしたり人任せにしてたらいけない。

自分に何ができるか考え続けないといけない。

そしてできることを一つずつやっていかなくてはいけない。



今はどの勉強会、講演に参加しても被災地の話や復興の話は出てくる。

私の教授の思いが、とても胸に刺さった。

先生は幼稚園の現場で日常生活で子どもを見たり、若い人を見ると、とにかく「ごめんなさい」という言葉しかでてこないと言った。

私は先に逝ってします(うちの教授はまだそんなに年じゃないからまだ生きますが)、こんな大変なものを残してしまう、と思うのだそう。

管さんや国のトップを見ていて腹立たしくなったりいろいろ言いたくなるが、自分も同じだと思う。だから責められもしない。そういう人間を生み出したことにも、そういう人間に育つ教育を作ってしまったことにも責任を感じる。だから本当に申し訳ない。

そんなようなことを教授はおっしゃった。

そんな風にこの状況を見られているのだ、心痛めていらっしゃるんだということに驚くと同時に、すごく私の心にも先生の言葉が響いた。

先生は、日本の保育をよくしようと本当に考えてこられた方でその道を選んだ方なんだなと、気づかされた。そしてそれは人々の幸せと日本社会がよくなることを願うゆえだということも。

先生は私が感じているよりもきっともっともっと大きな愛をもっていて、だからこそ心痛めたりもして、それでもずっとずっと負けずに折れずに頑張り続けている人なんだろうなと思う。

それをどこかで感じていたから、私は学部のころからずっと先生についてきたし、これからもやっぱりついていきたいと思うのだろう。


自分の進む道にしょっちゅう自身は持てなくなるし、今でも揺らぐけど、なんとなく最近わかってきたというか、覚悟が決まってきた気がしている。


私は、やっぱり保育の道を行く。研究者として。一人でも多くの人の人生を豊かにできるように、日本社会が心豊かな幸せな国となるように、私は日本の保育をよくしていきたい。そのためによい保育者を育てることもしたい。

私は、やっぱりこの道を選んだんだ、この道を歩むんだと思えるようになってきた。私の教授がこの道を歩んできたように。

今の私にはできることは少ないけど、今は沢山のこと吸収して学んで、自分の中に蓄積していきたい。いつかそれを還元できるように。

昨日は附属幼稚園の学内公開保育と現場の先生との協議会(保育について話し合う場)に参加した。私はやっぱりここの保育が好きだ。一流だと思う。先生たちもやっぱりすごい。それだけでも、私がこの大学に来た理由と、今もここにいる理由があるようにさえ思えた。その自分が良いと思う保育を他に広げられるように、今はもっともっと学びたいと思ってる。せっかくここにきたんだから、ここまできたんだから。

とにかく、私はこの道を選んだ。

迷いも悩みも尽きないけど、自分ができるかぎり、この道を歩んでいこうと思う。


私は実は保育というより、虐待児や少年犯罪、不幸せな大人達が気になって、それをなんとかしたくてこの大学に来た。子どもの心理が学べて幼稚園の免許も取れるのがここだった。そして日本の保育の歴史が1番あるのもここだったから。

でも心理の道ではなく、保育の道を選んだ。

私は、人が人生の中で全身全霊で向き合って受け止めてくれる人に1度でも出会えたら、その人の人生は幸せなものになるんじゃないかって信じてる。

困難にも打ち勝つ力をもてると思ってる。

大好きで裏切りたくない相手がいたら、自分のこと信じてくれる人の存在があれば、その人は犯罪も起こさないし、他人を傷つけることもないんじゃないかと思う。

もちろん親がそうなるべきだけど、そうじゃない家庭も沢山ある。

だからこそ、保育者、教育者は大事。子どもと必ず出会う人。子どもと向き合うべき人。

その人たちは人の人生に関われる人。良くも悪くも人生に影響を与えられる人。

これは私の経験からも思うもの。小学校1年の時の担任の先生と出会ってなかったら、私の人生はもっと違ったと思う。(悪い意味で)

私が保育を大事にするのは、そんな信念があるから。また子どもに関わる人として保育者はまた特別だと私は思ってる。

これらは私の勝手な意見。実際どうなのかは知らない。

私は良い保育者と出会えた子どもは幸せな人生を送れるって信じてる。


私に今できること…

考え続けること、震災を忘れないこと

これからの保育が良くなるように、しっかり学ぶこと、追究すること

そして何より、今かかわっている子どもたちを全力で愛すること



久しぶりに今の思いをつらつら書いてみた。自分のために。


読んでくれた人、ありがとうございます。

何か感じて考えてくれたら幸いです。