養護学校で私はたいてい、ことばで話さない子とすごしています。
今「ことばのない子」とかこうとしてやめました。ことばがないわけじゃないから。みんなその子なりのことばをもっています。ただそれは、いわゆる皆さんがイメージすることばとは違うというだけです。ことばを口に出来る子ももちろんいます。ことばを口にするかしないかに関わらず、人は、とりわけ子どもは、独自の世界とことばをもっているように私は思います。

えっとでも書きにくいので、口にしたり、文字で表すことばを「言葉」と書くことにします。

私は言葉のない世界、言葉に頼らない世界が好きみたいです。
言葉のない子とすごしていると、見た目的には会話はなくて私が一方的に話しているようにしか見えないのだろうけど、私には「会話してる」って感覚があります。「呼応している」といったほうが的確かもしれない。言葉にならないことばで。よく考えたら不思議なこと。でも、その時には深く考えず、ごく自然に会話してる。一緒にいるからこそわかるもの。実際にはひょっとしたらわかってないかもしれない。でもなんとなく伝わる、感覚的なもの。今この子は何を見てるのか、どんな表情してるのか、何を感じているのか、何を伝えようとしてるのか…自分の全ての感覚でそれらを感じようとする。そうすると、少しだけその子の世界を覗くことができる気がする。一緒にいるとちょっとした身体の動きとか力加減とかでその子の気持ちを感じられるようになる。
もちろん、全くわからないこともある。そんなときは一緒に葛藤したりする。
(でも、これって特別なことじゃなくてお母さんと赤ちゃんがしてる会話と同じなんだよね。)

言葉はないけど、言葉をこえた世界をもっている子ども達。そしてその子達といると、世界がいつもと違ってみえたり、いろんなことに気付かせてもらえる。空の色、風の音、この世界にあるあらゆる音やリズム、色…そしてその繊細さと美しさ。

人はみんな初めは言葉を持っていなかった。でもその分、もっと純粋できれいなことばを沢山もっていただろうし、もっと伝える能力や受けとる能力をもっていたんじゃないかな。言葉にならないことばって沢山ある。そしてそれは時に言葉より多くのことを伝えることができる。言葉は人がつくりだした道具の一つとして例えられる。それは便利であり、かつとっても不便なものな気がする。

ことば、大切にしたいな。

今日子ども達が登校する前、お庭で一人空を見上げた。今日はどんな一日になるんだろう。どんな顔であの子はくるだろう。そんなことを考えながら見上げた空。すっかり秋の空になり、雲は冬が近づいていることを感じさせるものだった。とてもきれいだった。
「あ、久しぶりに空を見てる」ってその時感じた。わずかな時間なのに、ゆっくりと穏やかな時間に感じた。
こどものそばにいられることを幸せに思った。

そして今日は学校にお客様がいらした。89歳になられる、保育界ではかなりすごい方。その方は子ども達をみてよく他の方が聞かれるように「どのような障がいですか?」とは一切お聞きにならず、「特別で繊細な精神を持った子ども達ですね。みんな天才に見えます。」とお話しなった。大袈裟に聞こえるだろうけど、本当にそうだよなと改めて思った。

その一つにこの子達のことばがあるんじゃないかと。
だから今日は、ことばの話をしてみました。