怒られたときに「生んでくれてありがとうの日なんだよ」と言われても聞き入れるわけがない。
そんなふうに思えるのは私だって大人になってからだ。
実際私は思春期のときに母に「生んでなんて頼んだ覚えはない」と言い放ったことがある。あれは本当に申し訳ないと我ながら思うけれど、あれはあれで子ども側の本音だろうなとも思う。(すさまじい反抗期を母はしっかり私に向き合ってくれたので、今では母と私はとても仲が良い)
それでも、特別な思いで迎えた誕生日に娘の「ふ~ん」は私には堪えた。
怒りとかではなく、ただただ悲しかった。
「もう母ちゃんはお誕生日おめでとうってお祝いする気持ちには戻れないし、ケーキは食べません。どうぞ母ちゃん抜きでケーキを食べてください」と言い残し、一人寝室へ行った。
こういうとき、夫はきっとあ~あと思うのだろう。
どうすることが正解なのかもわからないからただ放置である。
娘を多少諭すことはするけれど、私の味方になることもなければ私の味方になることもない。
ある意味、本人たちにしか解決できないことをわかっている。
私は寝室でひとしきり泣いて、母にLINEで愚痴る。
でもこのままじゃだめだなと、思ったことは伝えなきゃなと思い。
ものすごく泣きながら思っていることを全部娘にぶつけた。
ぐちゃぐちゃな気持ちのまま全部。だから自分でも何を言ったか覚えていない。
そのままお風呂に入って先に寝た。
6歳の息子はいつもは一緒に寝ているけれど、自分の部屋で寝てもらった。
しばらくして、娘がやっと「ごめんなさい」と言いに寝室へ来た。
ここでも私は思ったことを全部伝えた。
娘は私の隣の夫の布団の上で泣きながら話を聞き、自分もぽつりぽつりと気持ちを話し出した。
その夜と手をつないでとことん自分の思いを語り合った。
何を話したか全部は覚えていない。
ただ、娘の根底にあるのは「私だって本当はもっと母ちゃんに甘えたいのに、弟がいつも独り占めしている気がして甘えられない」「甘えたくても素直に甘えられないし、甘え方がわからない」「弟が全部私のほしいものを横取りしていってしまう」という思いだった。
息子は6歳になった今も私にべったりだし、娘とは違い誰にでも要領よく甘えて好かれるタイプだ。
娘は3歳のときのお姉ちゃんになったし、4月生まれなので家の外でも姉御肌で育ってきている。
無理して外でしっかりしているわけではないけれど、彼女は家の中でも外でも人に甘え足りずにきてしまったのだなと気が付いた。
子育てしていていつも気になるのは上の子のこと。下はある意味何も気にせずのびのびと育っている。
気にしているのと甘やかしているのとでは確かに違う。
娘はまだまだ甘えたいのだ。
そして今ならまだ甘えさせてあげることができるのだ。
子育てを見直すのはいつからだっておかしくない。
でも、10歳の今気が付けてよかったと心から思う。
母親になって10年。いつまでたっても未熟な母であるし、母親として、いやきっと一人の人間として人は生涯未熟な存在なのかもしれないなと思う。でもだからこそ、日々わが子と共に自分も育っていけるのかもしれない。
最悪な誕生日だったけど、今気が付かなかったら気が付かないまま、またはどっかでもっと大きなひずみが生まれていたかもしれない。
娘といっぱい話して、抱きしめて眠った10歳の誕生日だった。
そして次の朝、出勤が早い私は朝から全員起こして、朝からみんなで10歳おめでとうのケーキを食べた。
とてもおいしいケーキだった。
10歳の誕生日を節目に今は娘との関係を見直している。
毎日意識的に二人だけの時間を作っている。
これについてはまた後日書こう思う。