年が明けたと思ったらあっという間に節分になり、節分のことを書こうと思ったらあっという間に2月も後半になっていた。

日々がすぎていくのが早すぎて本当にびっくりする。


さて、節分のこと。

今年は1日早く、ちょうど日曜日が節分。

普段は平日でなかなか参加できない氏神様の節分祭へ行くことができた。

去年は土曜日で、夫婦で仕事だったので義母が子どもたちを節分祭へ連れて行ってくれた。

そこで娘は初めて餅投げ(餅拾い?)を経験。いとこはたくさんとれたのに、自分はあまり取れなかったと悔しがっていた。

そして迎えた今年の節分祭。

袋を持っていくという娘に私は口を広げられるように小ぶりの紙袋を勧めた。

でも娘は「いかにもたくさんとろうとしてるみたいで恥ずかしい」といって小さいビニール袋を選んだ。

いやいや、たくさんとろうとしてるくせに…と思うけど、一応恥じらいもあるところがかわいいなと思った。

代わりに息子は私の勧めた紙袋を素直に持って行った。


日曜日ともあり、とても人で賑わっていた。

様々な厳かな儀式の後にいよいよ餅投げ。

せっかくきたのだから一つくらいとりたいとおもった私だが、とてもとてもとれるわけなく、周りのおばさんに押されて終わった。

きっと子どもたちもとれなかっただろうなと思っていたのに…

息子の紙袋には餅が2つ。

聞くと、宮司の目の前で紙袋を広げて直接2つ入れてもらったのだとか。

あ〜この子はどこまでも愛嬌で生きていける子だなと思った。

そして娘の袋には餅が8個ほど。1番若い年女のお姉さんたちにいっぱい投げてもらって拾ったらしい。息子と同じように餅を投げる人にアピールはしたけれど、なんというかこちらは実力で拾い集めた感がある。娘らしくて笑えた。

いずれにしろ、うちの子はどこでも食いっぱぐれる生きていけそうだ。


餅を食べるために私はぜんざいを煮た。

欲張りな娘はきっと全部自分で食べるんだろうなと思っていたが、意外にも家族に快く分けてくれた。なので思ったよりも餅は早くなくなった。


と思っていた(笑)


そしたら先週末、娘が残念そうに「母ちゃん、腐っちゃった」と自分の部屋から出てきた。

その手にはカビの生えた餅が3つ!(餅は一つずつ袋に入っている)

なんと自分用にこっそりとっておいたらしい。

家族に気前よく分けてくれたと思いきや、ちゃっかり隠してるとは!でも娘らしくておもしろすぎた。

餅はもっと保存がきくと思っていたら、カビが生えてびっくりしていた。

いや〜笑った。神様からいただいたお餅だから、ちゃんと神様に謝ってごめんなさい(捨てる)しなさいと伝えたけれど、本心はとてもいい学びを得たなと思った。

まぁ私も娘に内緒で食べるつもりで隠したおやつが賞味期限きれてるなんてことはよくあるけれど。


さて来年の節分祭はいけるかな?どうなるかなと今から楽しみな母である。



私は食べることが苦手な子どもだった。

なんでそうなったかは自分の記憶にないけれど、たぶん年小の一年だけ通った保育園での給食。

あれはなんだったんだろう…毎日温かい牛乳みたいなミルクみたいなものも飲まなきゃいけなかった。すごく苦手だった。

その保育園のこともいつか書きたいけれど…今でいう不適切保育のような保育が日常で、私は毎日母にしがみついて泣き、母は仕事をやめてくれた。

母もまた、泣く我が子を見て、泣きながら仕事に行っていたらしい。母は保育士だった。

母が仕事を辞めて専業主婦となり、私は幼稚園に行った。そこからは毎日母のお弁当を食べられた。

小学生に入ったらまた給食の日々が始まった。

私は少食だった。当時まだ瓶で提供されていた牛乳。200ml。これを飲んだらもうお腹いっぱいなくらい。

私と同じくらいの人が完食指導(配膳された分を残してはいけない教育方針?)が辛くて、今でも会食が苦手ですとか、トラウマがあるとか、パニック障害になったというトピックスがたまにYahooニュースに出てくるけれど、あ〜私もそれだといつも思う。私だけじゃなかったんだなと安心もする。だから会食もコース料理も、旅行先の食事も一人分の量が決まっていて、それが自分の食べられる量より多いことが予想される食事がとにかく苦手。残せばいいだけの話なのに、そこにすごく罪悪感が伴ってしまって、ひどいときにはむしろそれで始めから食欲無くなっちゃってほとんど食べられないこともある。


でも小学校の担任の先生たちは母の働きかけもあり、すごく親身に私に寄り添ってくれたのでトピックスに上がってくる人よりは私のトラウマは苦手程度にとどまっているのかなとも思う。


思春期のときに摂食障害こそならなかったけれど、ストレスを感じると途端に食欲がなくなり、本当に食べられなくなることがあった。それも大学入学で上京して一人暮らしを始めてからは、食欲が落ちたら自分が弱ってるサイン、そこは意識せずしてむしろ食べるようにしようと思ったらだいぶ自分で克服できた。食べられて寝られていたら、たいていのことは乗り越えられる。食べることは生きること。


だから娘は自分のように食に困らないように育てたいと思った。楽しくご飯が食べられる子に。離乳食が始まった頃からよく食べてくれることがとても嬉しかった。すくすくおおきくなって、一歳から9歳の今まで、身長は常に成長曲線の1番上くらい、体重は真ん中よりやや上くらい。びっくりするくらい発育がいい。がりがりだった私と違う。今では私よりもよく食べる。出先で、いつもより食欲が落ちがちな私が残せば、少し食べてくれたりもする。私は強い味方を得られた。


そんな娘が先日家の本棚から選んで読んでくれた絵本。

「おだんごスープ」



最愛のパートナーを失って食べる気も生きる気力もなくなったおじいさんが、おばあさんの作ってくれたスープを飲みたいと思い作るようになってから生きる力を取り戻していく話。ただ作って食べるだけではなく、そこには自分以外の生き物との交流がある。食べることは単なる栄養補給ではない。何をどのように調理して、誰が作ったものをどこで誰と食べるか。その一つひとつが体にも心にも栄養をもたらす。

食べることは生きること。

そう思いながら、今日も私は家族のためにご飯を作る。それが私の幸せだなと思う。

だから私はレストランで食べる豪華な食事より実家で食べる母のご飯よりも今は、自分で作って自分の家で家族と食べるおうちご飯が1番好きなのだと思う。

いつからか、寝る前に娘が「おやすみなさい 大好きだよ」と言ってくれるようになった。わが家の寝る前の合言葉。それは自然と浸透し、息子も「おやすみなさい 大好きだよ」と言ってくれる。

私にも父ちゃんにも。

もちろんこちらも「おやすみなさい 大好きだよ」とかえす。

それはお守りのような魔法のような言葉な気がしている。自分が愛され肯定されていることがとても伝わる。

時にはお互い言わない日もある。

それはお互い怒っていてどうしても気持ちが収まらない時。

そんなときでも本当は言ってあげたほうが丸く収まるのだろうとか、心では思うのだけれどどうしても言えない日もある。


娘まで息子も「おやすみなさい 大好きだよ」と私たちに投げかけながら、それに応えてもらえるか確認してるのかもしれないもある。自分は愛されているのどうか。そんな確認しなくても大丈夫なくらいたぶん愛されている自覚はあるけれどそれでもきっと確認したくなるのだろう。そして、答えが返ってきて安心して眠りにつくのだろう。


娘と息子は3歳違い。息子が生まれるまで私にべったりだった娘も。毎晩眠るときにはおまじないのように「○○ちゃんは母ちゃんの宝物」と伝えて寝ていた。きっとその言葉は今も娘の深いところに残って彼女と私の関係を支えてくれていると感じることができる。


今年、娘と息子それぞれの部屋を作って2人とも自分の部屋で寝るようになった。「今日は一緒に寝たい」と私たちの寝室に交代で来ることもあるけれど、そんな日はこちらも内心ちょっと嬉しくもあり快く受け入れている。

息子は「おやすみなさい 大好きだよ」と言いあってぎゅ〜してほっぺにちゅっとしてまたぎゅ〜してってしてから眠りにつく。娘もぎゅ〜して「おやすみなさい 大好きだよ」と言ってから眠りにつく。


いつまで魔法の言葉を言ってくれるかな。言ってもらえなくなってもきっと私と子どもたちの中に残るお守りの言葉だと思う。