芸術は2種類あるなぁって思っています。
「他者と繋がる芸術」と「自分の混乱を鎮めるための芸術」。
私の場合は後者なので、『誰かのために演奏する』ことがまったくできません。
圧倒的に「自分のため」、
それが他の人の役にも立つならよかったねぇって感じです。
ひたすらバンドに打ち込んでいた頃、
先輩たちのサポートでピアノを弾く機会もとても多かったです。
自分が望んでやりたかったサポートだとか、
「あなたのピアノが好きだからお願いしたい」って言われてお手伝いをするならとても楽しく充実した演奏が出来たのですが、
ピアノを弾ける人を探しているというだけで一番手っ取り早い人選をされたようなことも多々あり、それはとてもとても苦痛でした。
『私はあんたらの欲を満たすためのピアノを続けてきたんじゃない』って思いがずっと渦巻いてずっと不快でした。
感受性のかたまりみたいな性質の私なので、その不快感は今でもずーーーっと持っていて、「人のために何かをやる」ってことがそりゃあもう苦痛でしょうがないのです。
自分から「やりたい!」って思ったことはめっちゃ楽しくできるんですけどね。
それが自分の腹の底からの望みなら。
この半年、心理学の勉強に打ち込んでいて気付いたことは、
『結局心理学って「人体のからだのしくみ」の一つじゃん??』ってことでした。
私のまわりには心理学という単語に拒否反応を起こす人達が一定数いて
それがとても不思議でした。(今でもよくわからん)
でも、心理学って、人体がある程度共通している「からだがある」「のうみそがある」「ことばをしゃべる」ことにリンクした、ある程度の人体に見られる現象じゃないのかなーって。
で、つい最近、映画「マトリックス」を数年ぶりに見たんですけど、
結局【現実】って【その人の脳の中で起きている電気信号】でしかないんですよね…。
とゆーことは、現実って、脳みその数だけあるんですよ…
ひえーーーーー!
で、今日のことをまとめますと。
「自分の混乱を鎮めるための芸術をしている私」、
「心理学(人体のしくみのひとつ)を勉強している私」、
「現実とは脳の中の電気信号である」、
私がやってることって、『自分の中の電気信号の整理整頓』でしかなかったわけです。
感受性が強いが故に、頭の中は電気信号がそれはもうごっちゃごちゃになっていて、
まずはそれを芸術でアウトプットして、頭の中の電気信号をある程度整理することに始まり
(そこに「他者のため」が入ると余計に電気信号がごちゃごちゃしてあかんくなる)、
心理学で『あ、精神って一定の規則があるんだ??』ってことを知り、
その中で電気信号の整理に有効な術(すべ)を取り入れて、
やっとある程度落ち着いた今に至るわけです。
で、最近、量子力学の初歩中の初歩にも触れました。
すーーーっごく面白いね!!!
心理学に通ずるところがあって、とても興味深かったです。
素粒子の一定の法則…とても美しい…はぁ…。
自分の中の電気信号の整理整頓、やっとそれが面白いと思えるようになってきました。
今までは苦痛でしかなかったからなー。
混乱してあちこちに迷ったり、壁に身体をぶつけながらここまで来た感じだったので。
でもそれが人体を持って生きることなのかもですけどね。
人生全て人体実験だし体当たりだし~!
人からそう見えなくとも、私の脳味噌の中は電気信号でごちゃごちゃしているので、
やっぱり私の現実はそうなんです。しょーがないことに。
イマジナリーフレンドだってそうなんだと思います。
目の前に実体がなくとも、イマジナリーフレンドのことを考えたときに絶対私の頭の中には何かしらの電気信号が発生しているわけで、
それってやっぱり私の現実になっているわけです。
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私、雪を見るのがすっごく好きです。
雪が滅多に降らない(積もることなんてほとんどない)ところで生まれ育ったので。
私の中では、雪を見ることが楽しみにつながる電気信号がはたらいてるんでしょうね。
だから、今夜から明日にかけての雪が楽しみでしょうがないです。
昨日の夜は皆既月食を肉眼で見つつ、月光浴を思う存分やりました。
月食のあとに雪が見られるとは、なんて素敵な冬だろう~!!
今日の記事のタイトル、「まほうのシグナル」、電気信号とかけたのですが、
私が大好きな小森まなみさんの楽曲「魔法のシグナル」からいただきました。
大好きな曲のひとつです。
皆様もどうぞあったかくして、身体をゆるめてお過ごしくださいね。
あなたの中の愛に繋がる電気信号がキャッチできますように。
それでは、また次回。