先日に引き続き

『ビジネスマンのための「聖書」入門』白鳥 春彦著(ディスカバリー21)

の本からです。


皆さん、『神頼み』ってしたことありますか?

多分ほとんどの方は何かしら『神様』にお願いしたことがあると思います。

で・・・

『神様』って見たことがありますか?

もしかしたらこのブログをご覧になっている方で、一人ぐらいはいるかも・・・

まぁ、いろんな方がいらっしゃいますからね。

もし見たことがあると主張する方がいらっしゃっても、a-e-r-oは否定しません。

温かく見守ってあげますよ。


さて、ここからが本論です。

すご~~く昔の人々は、人間が太刀打ちできない何かが起こると、『神様』の仕業だと思っていました。

「きっと『神様』がお怒りになっているから、こんなことが起きるんだ」

という感じです。

そこですご~~く昔の人々は、

「『いけにえ』がないから、神様が怒って災いを起こしているに違いない!」

と考え、罪のない多くの人が『いけにえ』として『神様』」に捧げられました。


しかし聖書では、『神様』に『いけにえ』を捧げるという考えがありません。

それは、聖書のこの部分から分かるそうです。


古代の神は、人間に対して『いけにえ』を要求してきた。

『いけにえ』がないと神は怒って災いを起こすので、神の機嫌を損ねないために『いけにえ』をささげる。

「あなたはもういけにえを好まれず、供え物をしても、あなたはそれを喜ばれない。神へのいけにえとは、痛悔する魂である」


これによると、『神様』は『いけにえ』なんて捧げても決して喜ばず、心から悔い改めて『倫理的な生き方』をすることを望んでいるそうです。

今風に訳すと

「物(お金)なんかいりません。お気持ちだけで結構です」

という感じ?


「キリスト教って、カッコいい!」

(完全にa-e-r-oの主観です)



さて、このこの『いけにえ』の部分を読んで、以前書いた

『印象に残ったイントラさんの 一言 その61』
http://ameblo.jp/a-e-r-o/entry-11515215949.html

の記事を思い出しました。


そして、イントラさんがレッスンが始まる際に言った言葉が


「誰か『生贄(いけにえ)』出しなさいよ!」


その日は毎週参加している最前列のメンバーさんが何人かお休みで、ぽっかり空いた最前列を見たときの一言です。


『最前列のメンバーさん』⇒『ツッコむ対象』⇒『いけにえ』

という意味らしいです。


今思い返してみると、イントラさんとメンバーさんの関係が一言で凝縮されていて、とっさに出てきた言葉であればすごくセンスがあると思います。

とりあえず、このイントラさん(『神様』)は『いけにえ』が必要ということで・・・