学校後でーす
ボーーーーーっと
ひとり学校近くのカフェで 紅茶すすってます
7時半の食事の待ち合わせまで まだ一時間半もあり
お腹減ったし、頭もクタクタだけど
付属のお砂糖には 手をつけますまい。
さすがに疲労しているので このスティック かなりの誘惑だけど。
学校があと一年半しかない…なんてねー。
卒業したくないなぁ
いつまでも 教えてもらいたいなぁ
全然勉強足りていないし
自分の足で立てる気がしない。
体はすくすく大きく育ち
声や顔にはそれなりの程がつき
紙に書けば
生きるという経験の歴もだんだんいっぱしになってくるけど
その内心は、、、
見知らぬ幼稚園に行かされて お母さんの手が離せないおチビと
なんら変わりないねぇ。
それでも 自分の足で生きていこーっと
私はあるとき決めたんだよね。
その片鱗は
ちょうど10年前 小林悟氏に会ったときすでにあったのだろうし
また丸10年して今、改めて自覚を持って
我が腹に力を入れてるわけで。
まぁね
生きるって面白いですよ。
人生楽ありゃ苦もあるさ、涙のあとには虹が出る
なんて湿っぽい話じゃなく
寝ていたって 心臓が動き 肺が酸素を取り入れてくれ
どんなに泣いても どんなに怒っても
いつか眠れて
いつか食べれて
多くは時間が解決してくれる。
命そのものは
こうやってああやって なんて
逐一頑張って構築しなくたって
ただもうここに すでにある。
いま すでに 生きている という カタチで。
まぁね
それがいつ はいそこまでよ と
取り上げられてしまうかはわからないから
みんなビクビクジタバタするんだけども。
それでも ここにいること自体が ラッキーなわけだから
生まれたそのときが
宝くじ三億円なんてちっぽけなものでなく
使い切れないとおもう程の資金が当たったところからのスタートみたいな感じだと
思えばいいわけだよね。
減っていくだけの運命だけど
もらったものがえらくデカイんだから
きっと 最後までゼロには ならないほどなんだろうからね。
そーゆーの
肝臓とか 消化器が
90歳とか過ぎても 十分に機能し
他の人にも 分けてあげられるくらい
余力をもっていることからも感じちゃう。
いのちが終わることって
逆に奇跡?なほど すごいシステムが働いてたりして。
妙に感動しちゃうんだよね。
さてさて
もったいないっていって
チビチビしか 力出さずにいたりとか
もったいないっていって
自分だけのためにしか 力使わないようにしてても
同じだけもらった宝物は
腐る一方。
とはいえ
使い道がね。
どう使っていいかわからないから
使えないんだよね。
とするとわたしは
ただただ 面白いとおもえることに 注力して
やってみる頑張ってみる しか ないなぁ。
なんて
栄養失調ぎみの脳みそでは 頭働かんのぉ。
少し身体動かして
酸素いれますか!
7時半の待ち合わせの場所まで
歩き始めてみまーす。
自分の整理のために ブログ使ってすみませーん

ほんじゃ、またね!
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