今年のメールを整理してたら
送信フォルダに なんと2003年からのメールが残っているのを発見した。
受信フォルダは割と整理してるんだけどね。送信は盲点だった。
あまりにびっくりして 夜ご飯も食べず 全部読んだよ。
あの頃一緒にいた友人含め 思えば私のまわりに居る多くの素敵な友人たちは
そのときあまたの時間は共有しても
あるとき必ず 物理的に離れるタイミングを迎える。
仕事を変えたり 結婚したり 引っ越したり外国行ったり
その際のやり取りが その見つかったメールからたくさん出てきて
もう なんて言うか 懐かしさと そのときの寂しさで泣ける。
「寂しい。でも応援する。」
って言葉がお互いからいっぱい出てきて
わたしはきっとこういうことの中から
時間の流れや 人が変化していくことの 当たり前さ
みたいなものを 教わったんだと思う。
わたしは 友達って
距離が離れていても 全然会ってなくても 全然連絡とってなくても
あっさり再会しちゃう まるで3歳から知っている幼なじみみたいに。
でも だからこそ? 距離感みたいなもので人を計ることが苦手かも。
感じるのは 繋がりの有無? これ、前にも書いたね。
例えば この5年とか いや 7、8年は経つ?
彼女がイギリスに行ってから
メール送っても年賀状送っても なんのレスポンスもなかった友人から
この間わたしの実家に 喪中ハガキが届いた。
今更なんだよ、、、と 一抹思ったあとに
はいはい了解、お便りするよ、と思う。
なんていうんだろ、彼女のこのあっけなさには 信頼を感じるんだよね。
わたしはマゾなのか?(笑)
こんな写真も見つけた。
なぜかメグが居ないねぇ。
そういえば まあことも 先日喪中ハガキをきっかけにメールしたんだった。
喪中ハガキは価値あるね(笑)
あの頃もそうだったけど
20代の多くの時間を使って 私が漠然と探していたことの答えは
いまは おぼろげながら見つかった気がしている。
一生懸命探したから辿り着いたのかもしれないし
もしかしたら あのときだってすでに足下にあったのかもしれないけど。
ずいぶん無駄に力んでたから見えなかったんだろうな。
もっと肩と目の力を抜けよって 今の自分からなら言えるのにな。
一連の昔のメールを見ていて
ちゃんと相手に投げるこういうやり取りが
自分の最も基軸とするコミュニケーションだなと思う。
ブログのお便り感好きだな。
こうして書いている間 いろんな人の顔が思い浮かんで 会話しているような気持ちになる。
そして ちゃんと吐露すると
ちゃんと反応がある(笑)
