Emi Tamura-090430

4月の終わりに、
久しぶりにオフが重なった妹と、母の生まれた浅草へ行った。



浅草寺の五重塔。

カメラを構えたこの位置は、
ちょうど修復中の本堂の下。


2歳差の私たち3兄妹の七五三は、
男の子は5歳、女の子は3歳と7歳だという
一般的なものを全く無視したもので、
兄が5歳で私が3歳、
妹が3歳なら私は5歳、兄は7歳。
私が7歳になれば、妹は5歳。
という具合に母は、
祖父母を呼んでは、
しょっちゅう私たちと浅草寺の本堂の下に、並ばせた。




私は母と、本当によくぶつかった。
ぶつかってぶつかって、泣いてわめいて、すねて家を出て。
母は父方の祖母に
「そんなに当たったら、笑美ちゃんは将来きっと道をそれてしまうよ」
と言われたことも父から聞いた。


それでも母が私を上手に扱えなかったわけが
母自身が母というものに愛された実感がないからだと知るのは、
私が20歳も近くなってからだった。



母は戦後の東京生まれながら、
ねえやに育てられる、古いやり方の家で育ち、
半ば大人になってから親と向き合ったとて、
すでに親子関係はぎくしゃくしていた。
親にものを言ってはいけないと教えられた母は、
祖母と真っ当に言い合った事も、甘えた事もなく、
実母からの愛情の受け方を知らないと、あるとき言った。



浅草を歩いていると、いつも複雑な気持ちになる。



母が懸命に浅草寺に祖父母と私たちを並ばせたのは、
「お母さん。私は3人の子供をきちんと育てているわ!どう?」と、
母自身が祖母に認めてもらいたかったからかもしれない。


母とぶつかってぶつかって
今の私がいるわけだけど、
ぶつかれる相手がいるってことは随分と幸せな事だと、今は思う。


女の子にとって母とは
一番の味方になって欲しい特別な存在で
一番自分を認めてもらいたい人で、
でもその気持ちの表し方は、人それぞれなんだね。




Emi Tamura-090430

こないだの浅草散歩で、水鉢を見つけた。

浅草の実家にも、その近所にも
こんな水鉢がたくさんあった。

それもだいたい隣にはこんな風にポリバケツが置いてあって、
なんとも下町っぽいその風情が私の中の浅草イメージ。