「画竜点睛」の言葉の由来は、歴代名画記にあるエピソードであると言われている。
ということで、歴代名画記の該当箇所を見つけてきた。
「(張僧繇チョウソヨウは)金陵の安楽寺の四白竜は眼睛を点ぜず。毎に云う、『睛(ひとみ)を点ずれば即ち飛び去らん』と。人以って妄誕と為し、固くこれに点ぜんことを請う。須臾にして電電壁を破り、両竜は雲に乗じ、騰去して天に上る。二竜の未だ眼を点ぜざるものは見在す」
〈張僧繇は、金陵=いまの南京=の安楽寺の四白竜図には眼睛を、かき入れなかった。「睛を入れれば、すぐに飛んでいってしまうよ」といつも言うのだった。人々はでたらめだと思い、睛を入れるよう強く要求した。(睛を入れると)しばらくして雷鳴、稲妻が走り壁がこわれ、二竜は雲にのって天に舞い上がった。睛を入れなかった二竜は、今もある〉
本書の注や解説によると、張僧繇は、唐の時代、西暦でいうと520年ごろから550年ごろまで活躍した人のようである。
『歴代名画記』を読んでいたら、三国志と大いに関係ある人物が出てきた。この本は唐代の張彦遠が書いた書で、それまでの中国の画の歴史などについて詳しいものだ。
三国志の魏呉蜀で能画の人(絵の達人)としてあげられているのは、
魏→曹髦、楊脩、桓範、徐バク。
呉→曹不興、呉王の趙夫人。
蜀→諸葛亮、諸葛亮の子の瞻。
呉の孫権の趙夫人。正史にも見当たらないマイナーな妃だと思っていたが、画の世界では有名人だったらしい。
歴代名画記には、こうある。
呉の丞相・趙達の妹。書画に巧みで、その巧妙さは並ぶ者がなかった。指の間で色糸を操って、竜鳳文の錦を織り上げた。宮中では「機絶」と誉め称えられた。孫権は魏・蜀を平定できないのを嘆き、画家に山川・地形を描かせることを思いついた。趙夫人は、そこで写した江湖・九州山岳の図を進呈した。夫人はまた方形の帛に五岳と列国の地形を刺繍して、当時の人から「針絶」と称えられた。また膠で糸と髪をつらね、軽いとばりをつくり「絲絶」と称えられた。
蜀では、なんといっても諸葛亮。いろんなものを発明し、手先も器用だったのだろうが絵も上手だったとは。
歴代名画記には、次のようにある。
「諸葛亮、乃ち夷のために図を作る。先に天地・日月・君長・城府を画く。次に神竜および牛馬・駝羊を画く。後に部主吏・乗馬・幡蓋・遠(巡にも作る)行・安恤を画く。また夷の牛を牽き酒を負い金宝をもたらし之に詣るを画き、以って賜る。夷はなはだ之れを重んず」
諸葛亮の絵はいまは残っていない。
南蛮の人たちが崇めたほどだから、よほど神業的な絵だったのだろうと思う。
三国志の魏呉蜀で能画の人(絵の達人)としてあげられているのは、
魏→曹髦、楊脩、桓範、徐バク。
呉→曹不興、呉王の趙夫人。
蜀→諸葛亮、諸葛亮の子の瞻。
呉の孫権の趙夫人。正史にも見当たらないマイナーな妃だと思っていたが、画の世界では有名人だったらしい。
歴代名画記には、こうある。
呉の丞相・趙達の妹。書画に巧みで、その巧妙さは並ぶ者がなかった。指の間で色糸を操って、竜鳳文の錦を織り上げた。宮中では「機絶」と誉め称えられた。孫権は魏・蜀を平定できないのを嘆き、画家に山川・地形を描かせることを思いついた。趙夫人は、そこで写した江湖・九州山岳の図を進呈した。夫人はまた方形の帛に五岳と列国の地形を刺繍して、当時の人から「針絶」と称えられた。また膠で糸と髪をつらね、軽いとばりをつくり「絲絶」と称えられた。
蜀では、なんといっても諸葛亮。いろんなものを発明し、手先も器用だったのだろうが絵も上手だったとは。
歴代名画記には、次のようにある。
「諸葛亮、乃ち夷のために図を作る。先に天地・日月・君長・城府を画く。次に神竜および牛馬・駝羊を画く。後に部主吏・乗馬・幡蓋・遠(巡にも作る)行・安恤を画く。また夷の牛を牽き酒を負い金宝をもたらし之に詣るを画き、以って賜る。夷はなはだ之れを重んず」
諸葛亮の絵はいまは残っていない。
南蛮の人たちが崇めたほどだから、よほど神業的な絵だったのだろうと思う。
はやぶさのカプセル、世界で初めて小惑星の砂ぼこりなどを持ちかえっている可能性がある。
存在が確認されれば世界第一号の壮挙だ。
でも例の事業仕分けで費用は大幅削減される。マスコミは、蓮舫大臣にも所感を求めてほしいものだ。
iPhoneからの投稿
存在が確認されれば世界第一号の壮挙だ。
でも例の事業仕分けで費用は大幅削減される。マスコミは、蓮舫大臣にも所感を求めてほしいものだ。
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息子のひー(小3年)を連れて、近所の田んぼへ、ドジョウを探しに行った。
除草剤が使われた田んぼばかりだからか、ドジョウを見つけることはできなかった。
でも、ひーは大満足。「満足、満足」と繰り返し、つぶやいていた。
ドジョウがいない代わりに、田んぼで、オタマジャクシとホウネンエビを捕まえてきた。
ひーが飼っている、カワムツの水槽に、その半数くらいを入れた。食欲旺盛なカワムツ君たちに、あっという間に食べられてしまった。
ちなみに、うちの近所の川には、大きな鯉が沢山いる。
カメも2匹ほど見かけた。
川岸に人間が立ち止まると、エサを期待してか、鯉が集まってくる。
珍しく、緋鯉がいたので、パチリ。

ホウネンエビに話を戻す。
ひー君は、ホウネンエビが、沢山の足(ひれ?)を小刻みにふるわせて、逆さになって泳ぐ様を見て、とても楽しそう。ホウネンエビという名前はネットで検索して分かったもので、田んぼでは分からなかった。ひーは「じゃあ、とりあえず『エビエビマン』って言おう」と命名。
ちょうど、ネットで何かをダウンロードしている時の動画のようだったのか、
「ダウンロード中みたいだね」
と話していた。
学校の宿題の日記にも、そのエビエビマンの絵をかいていた。
田んぼの苗、水草の間を逆さになって泳ぐ、エビエビマンの姿が。

除草剤が使われた田んぼばかりだからか、ドジョウを見つけることはできなかった。
でも、ひーは大満足。「満足、満足」と繰り返し、つぶやいていた。
ドジョウがいない代わりに、田んぼで、オタマジャクシとホウネンエビを捕まえてきた。
ひーが飼っている、カワムツの水槽に、その半数くらいを入れた。食欲旺盛なカワムツ君たちに、あっという間に食べられてしまった。
ちなみに、うちの近所の川には、大きな鯉が沢山いる。
カメも2匹ほど見かけた。
川岸に人間が立ち止まると、エサを期待してか、鯉が集まってくる。
珍しく、緋鯉がいたので、パチリ。

ホウネンエビに話を戻す。
ひー君は、ホウネンエビが、沢山の足(ひれ?)を小刻みにふるわせて、逆さになって泳ぐ様を見て、とても楽しそう。ホウネンエビという名前はネットで検索して分かったもので、田んぼでは分からなかった。ひーは「じゃあ、とりあえず『エビエビマン』って言おう」と命名。
ちょうど、ネットで何かをダウンロードしている時の動画のようだったのか、
「ダウンロード中みたいだね」
と話していた。
学校の宿題の日記にも、そのエビエビマンの絵をかいていた。
田んぼの苗、水草の間を逆さになって泳ぐ、エビエビマンの姿が。

昨日付(2010年6月11日付)日本経済新聞の「経済教室」にある
「政治を立て直す 短命政権の先に4」
は、秀逸な記事で、感銘を受けた。
大学入試などでよく出題された、劇作家の山崎正和さんが書いたものだ。
タイトルは
指導者は難題と向き合え
私的にいうと、自分が普段から思っていたことを、明快な言葉で、情熱と気合いを保ちつつ綴られていることに、とても感動した。
見出しで、分かりやすく内容のポイントが書いてある。
○リーダーなきポピュリズムが政治を支配
○孤独な群衆、流行や雰囲気に流されやすく
○抽象的理念と具体的政策の組み合わせ重要
政界も財界も、今の時代の指導者は小粒になってしまった……こうした感慨が、筆者の論の根底にある。
だから日本では、ポピュリズム(扇情政治)といっても、「リーダ不在のポピュリズム」という珍現象が起きているのだという。
民主党に目を向けると、
公約は全て目先の変革のみに重点を置いたもので、永続的な国益目標を無視している。
山崎さんの
「素人でも分かる長期的な視点の欠如」
「国策の連続性への関心の鈍さが異様」
との批判は痛烈だ。
支持率がころころ変わるのは、情報化によって、「無署名の世論が氾濫」していることに「他人思考の大衆が対抗できない」からだと指摘されている。
うーん、本当に鋭い指摘だ。
確かに今の日本には、オピニオン・リーダーがいない。
インターネットで飛び交う「論」「批評」などは、誰が言い出したのか、誰の考えなのか分からない。それでいて、なんとなく「その通りだな」と思わされてしまう。
だから、皆さん、ツイッターなどに飛びつくのだろう。
自分で考えているようでいて、実は他人の考えの受け売りで話しているだけ、書いているだけ。
身近な例でいえば、選挙の時期になり、友人や親族に自分が支持している政党や政治家への支援をお願いする。
その時の反応は千差万別だが、山崎さんの上記の論の中から、こんな典型的なやりとりを想起する。
家具「今度の選挙に出る○○さん、応援しているんです。素晴らしい人なので是非とも応援してほしい」
頑固者「選挙は人に頼まれて行動するものではない。自分で考えて、自分で決めるから、何もいうな」
「自分で考えて、自分で決める」
それは、その通りだ。
家具側は何も「考えるな」「決めるな」と言っているわけではない。
むしろ、考え、決めてほしいのだ。
それを「何もいうな」という閉鎖的な体勢をとる。これが問題なのだと思うのだ。
自分で考える。だったら、その自分の考えを開陳して、議論すればいいではないか。
思うに、そうやって議論し、対話することこそが、民主主義の深化につながるのだ。本来の民主主義の在り方だ。
そもそも、人と議論することは、なんとなく「争い」のように考えている人が多いのではないだろうか。ディベートする、議論する。対話する。討論する。
自分の考えと他者の考えの相違点は何か、共通点は何か。
話している中で、おのずと明確になっていることもあろう。
選挙の支援の話をきっかけにして、議論することができれば、日本にとってもプラスではないだろうか。
では対話を拒否する人たちが考える材料は何か。
ネット上に氾濫する、発信者不明の「世論」というものだろうか。
朝日新聞の記者が描いた「論」だろうか。
読売新聞の記者が描いた「像」だろうか。
百歩譲って「材料」にするならいい。
でも、大部分の人は、鵜呑みにして、ただ「受け売り」しているだけではないだろうか。
党首が替わって、首相が替わって、党に所属している政治家たちが変わるのだろうか?
実際、政策の大筋は変わらない。
政治家たちも、役職が変わるだけで、議員という立場が変わるわけではない。
同じ人たちがやっていれば、変わらない。
短時日のうちに人間の中身が変わるというのは、それほど難しいのだ。
だからこそ、昨年の衆院選では「政権選択」という言葉に引かれて、多くの有権者が「政権」を変えたほうがいいと判断したのではないだろうか。
なんだか、あっちこっち飛んでしまったような気がするが、いずれにしても、山崎正和さんのこの文章は、是非とも読んで頂きたいと思う。
第1回 田中直毅
第2回 堺屋太一
第3回 山内昌之
というラインナップでしたが、私個人としては、山崎さんの文章が最もすぐれていると感じた。
iPhoneからの投稿
「政治を立て直す 短命政権の先に4」
は、秀逸な記事で、感銘を受けた。
大学入試などでよく出題された、劇作家の山崎正和さんが書いたものだ。
タイトルは
指導者は難題と向き合え
私的にいうと、自分が普段から思っていたことを、明快な言葉で、情熱と気合いを保ちつつ綴られていることに、とても感動した。
見出しで、分かりやすく内容のポイントが書いてある。
○リーダーなきポピュリズムが政治を支配
○孤独な群衆、流行や雰囲気に流されやすく
○抽象的理念と具体的政策の組み合わせ重要
政界も財界も、今の時代の指導者は小粒になってしまった……こうした感慨が、筆者の論の根底にある。
だから日本では、ポピュリズム(扇情政治)といっても、「リーダ不在のポピュリズム」という珍現象が起きているのだという。
民主党に目を向けると、
公約は全て目先の変革のみに重点を置いたもので、永続的な国益目標を無視している。
山崎さんの
「素人でも分かる長期的な視点の欠如」
「国策の連続性への関心の鈍さが異様」
との批判は痛烈だ。
支持率がころころ変わるのは、情報化によって、「無署名の世論が氾濫」していることに「他人思考の大衆が対抗できない」からだと指摘されている。
うーん、本当に鋭い指摘だ。
確かに今の日本には、オピニオン・リーダーがいない。
インターネットで飛び交う「論」「批評」などは、誰が言い出したのか、誰の考えなのか分からない。それでいて、なんとなく「その通りだな」と思わされてしまう。
だから、皆さん、ツイッターなどに飛びつくのだろう。
自分で考えているようでいて、実は他人の考えの受け売りで話しているだけ、書いているだけ。
身近な例でいえば、選挙の時期になり、友人や親族に自分が支持している政党や政治家への支援をお願いする。
その時の反応は千差万別だが、山崎さんの上記の論の中から、こんな典型的なやりとりを想起する。
家具「今度の選挙に出る○○さん、応援しているんです。素晴らしい人なので是非とも応援してほしい」
頑固者「選挙は人に頼まれて行動するものではない。自分で考えて、自分で決めるから、何もいうな」
「自分で考えて、自分で決める」
それは、その通りだ。
家具側は何も「考えるな」「決めるな」と言っているわけではない。
むしろ、考え、決めてほしいのだ。
それを「何もいうな」という閉鎖的な体勢をとる。これが問題なのだと思うのだ。
自分で考える。だったら、その自分の考えを開陳して、議論すればいいではないか。
思うに、そうやって議論し、対話することこそが、民主主義の深化につながるのだ。本来の民主主義の在り方だ。
そもそも、人と議論することは、なんとなく「争い」のように考えている人が多いのではないだろうか。ディベートする、議論する。対話する。討論する。
自分の考えと他者の考えの相違点は何か、共通点は何か。
話している中で、おのずと明確になっていることもあろう。
選挙の支援の話をきっかけにして、議論することができれば、日本にとってもプラスではないだろうか。
では対話を拒否する人たちが考える材料は何か。
ネット上に氾濫する、発信者不明の「世論」というものだろうか。
朝日新聞の記者が描いた「論」だろうか。
読売新聞の記者が描いた「像」だろうか。
百歩譲って「材料」にするならいい。
でも、大部分の人は、鵜呑みにして、ただ「受け売り」しているだけではないだろうか。
党首が替わって、首相が替わって、党に所属している政治家たちが変わるのだろうか?
実際、政策の大筋は変わらない。
政治家たちも、役職が変わるだけで、議員という立場が変わるわけではない。
同じ人たちがやっていれば、変わらない。
短時日のうちに人間の中身が変わるというのは、それほど難しいのだ。
だからこそ、昨年の衆院選では「政権選択」という言葉に引かれて、多くの有権者が「政権」を変えたほうがいいと判断したのではないだろうか。
なんだか、あっちこっち飛んでしまったような気がするが、いずれにしても、山崎正和さんのこの文章は、是非とも読んで頂きたいと思う。
第1回 田中直毅
第2回 堺屋太一
第3回 山内昌之
というラインナップでしたが、私個人としては、山崎さんの文章が最もすぐれていると感じた。
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PSPのゲーム〈真•三国無双マルチレイド2〉で、どうしてもゲットできなかったアイテムを、ついに昨晩ゲットした。
古の呪刀(いにしえのしゅうとう)
というもの。
黄泉軍の中にいる
刀を持つ武将がまれに落とすアイテムだったようだ。
黄泉軍の刀持ち武将は、2人しか見当たらない。
結局、私は
楊端和という武将を何度も倒して、ようやく手に入れた。
この楊端和。聞き覚えがなかったので、調べてみた。
調べるといっても、史記ぐらいしかないので、日本語訳の史記を読み返したわけだが。
史記をみると、秦王政(=後の秦の始皇帝)の時代の人物で、秦の将軍だった。
始皇帝が中国を統一するのを手助けした将軍の一人である。
黄泉とはなんの関係もない。
むしろ始皇帝の配下だ。
ともあれ、史記には、どうあるか。
秦王政の9年、楊端和が衍氏(当時の魏の邑)を攻めた。
とある。
11年には、王翦を主将、桓キを副将、楊端和を末将としてギョウを攻めた。
とある。
18年には、秦が大兵を起こして趙を攻めた。その際、楊端和が邯鄲(趙の都)を囲んだ。
とある。
この三カ所くらいしか見あたらなかった。
読み返して、心に残った記述があった。
11年に、秦の桓キらがギョウを攻めた時のことである。ギョウを下すと、リョウ陽を攻めた。
攻めあぐねた秦軍は、18日目になって、功績のない者を帰し、10人中2人をよりすぐって従軍させた。その結果、落とすことが出来たという。
10人のうち2人だけを従軍させたということは人数だけみたら、
たった2割の人員だけで攻めたということだ。
その結果、勝てたというのだから、弱い兵隊はいくら沢山いても意味がない。
少数精鋭で戦ったほうが勝てる。
そのようなことを示唆しているような気がしてならない。
楊端和について調べて心に残ったのは、この点である。
結果として、楊端和とは無関係のところかもしれないが。
史記は「読んだつもり」になっていたが、マイナーな人物の名前だと、何をした人物なのかの印象すら薄れてしまっていた。
記憶力が減退しているのか、そもそも、そういうものなのか分からない。
折に触れて、ひもといてみるのが良さそうだ。
ゲームから気になって、史書に戻る。
これは、歴史ヲタクの悲しい性なのかもしれない。
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古の呪刀(いにしえのしゅうとう)
というもの。
黄泉軍の中にいる
刀を持つ武将がまれに落とすアイテムだったようだ。
黄泉軍の刀持ち武将は、2人しか見当たらない。
結局、私は
楊端和という武将を何度も倒して、ようやく手に入れた。
この楊端和。聞き覚えがなかったので、調べてみた。
調べるといっても、史記ぐらいしかないので、日本語訳の史記を読み返したわけだが。
史記をみると、秦王政(=後の秦の始皇帝)の時代の人物で、秦の将軍だった。
始皇帝が中国を統一するのを手助けした将軍の一人である。
黄泉とはなんの関係もない。
むしろ始皇帝の配下だ。
ともあれ、史記には、どうあるか。
秦王政の9年、楊端和が衍氏(当時の魏の邑)を攻めた。とある。
11年には、王翦を主将、桓キを副将、楊端和を末将としてギョウを攻めた。とある。
18年には、秦が大兵を起こして趙を攻めた。その際、楊端和が邯鄲(趙の都)を囲んだ。とある。
この三カ所くらいしか見あたらなかった。
読み返して、心に残った記述があった。
11年に、秦の桓キらがギョウを攻めた時のことである。ギョウを下すと、リョウ陽を攻めた。
攻めあぐねた秦軍は、18日目になって、功績のない者を帰し、10人中2人をよりすぐって従軍させた。その結果、落とすことが出来たという。
10人のうち2人だけを従軍させたということは人数だけみたら、
たった2割の人員だけで攻めたということだ。
その結果、勝てたというのだから、弱い兵隊はいくら沢山いても意味がない。
少数精鋭で戦ったほうが勝てる。
そのようなことを示唆しているような気がしてならない。
楊端和について調べて心に残ったのは、この点である。
結果として、楊端和とは無関係のところかもしれないが。
史記は「読んだつもり」になっていたが、マイナーな人物の名前だと、何をした人物なのかの印象すら薄れてしまっていた。
記憶力が減退しているのか、そもそも、そういうものなのか分からない。
折に触れて、ひもといてみるのが良さそうだ。
ゲームから気になって、史書に戻る。
これは、歴史ヲタクの悲しい性なのかもしれない。
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