凌統と甘寧と呂蒙 | 髀肉の嘆

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iPhone、Mac、三国志(中国古代の歴史&コーエーのゲームソフト)ネタを中心に、思ったことを勝手に書きます。

あした学校だというのに、まだ寝ていない息子のひー(7歳)を、きつめに叱りました。

夕飯終わってから、ひたすら三国無双5をやっていたらしい。

親ばか丸出しで、すみませんが、
それでも
憎めないやつなんです。


寝なさい!

と言っても、ニコニコしている。

お父さん、
凌統と甘寧って、どっちが先に死んだの?
凌統と甘寧ってさ、呂蒙とは仲良かったの?


とか逆に聞いてくる。

さてさて、どちらの問いも、私は即答できませんでした。

ちなみに、凌統、甘寧、呂蒙とも、三国志の呉の武将です。
三国無双などのゲームが好きな方は、よくご存じの名前でしょうが、三国志を読んだことのない人だと知らないと思います。

三国無双5specialだと、
甘寧は、呂蒙のことを「おっさん!」と呼び続けた。
もともと水族だとかいわれて、ガラの悪いあんちゃんだけど、ケンカだけはめっぽう強い。清水次郎長の一の子分、森の石松もかくや、と思わせるようなキャラとして描かれている。あっ、念のためですが、ガッツ石松とは関係ありませんよ(笑)。

ゲームの中の甘寧の「無双伝」では、
呂蒙が死ぬ場面で甘寧が、呂蒙の体をゆする。
「おっさんっ! おっさんっ! 死ぬんじゃねえ!」
呂蒙は、最後の力を振り絞る。
「わしは、おっさんじゃ、、、(ない)」
最後の「ない」を言う前に事切れたので「おっさん」であることを肯定した雰囲気なのが、ちょっと面白かったが、そういうヤクザものみたいな雰囲気があったのは、どうも事実らしいのです。

正史の甘寧伝では、生年没年ともハッキリしない。
20余り、地元の頭領のような状態で過ごしたことが記述されている。そこから先賢たちの書物を読むようになってから劉表に仕えたとある。劉表に仕えたのが西暦200年ごろだと考えると、この時、35歳以上のはず。
215年の合肥の攻撃には参加したとある。その後、しばらくして死んだとあるので、55歳ぐらいで220年より前ぐらいに死んだのだろうと思われます。
ただし、「20年余り」頭領のように暮らしていたというが、本当に20年以上だったのかどうかは確証が何もない。ここの誤差によって、年齢が違ってくるので、やはり真相は藪の中だ。

一方、凌統。
正史の凌統伝には、49歳で死んだとあるが、駱統伝では、222年が既に凌統の死んだ後となっている。実際には、30前後で死んだことになる。

いずれにしても、同じ頃(数年の差は考えられる)に死んだのだろうとは答えられても、ひーの問いには正確に答えられないことが分かった。

呂蒙(りょもう) (PHP文庫)/芝 豪


二つ目の問い。
凌統と甘寧の仲については、凌統の父親の凌操が、甘寧の軍勢との戦いで命を落としているので、仲は悪い。
ただ、呂蒙との仲となると、分からない。

正史では、凌統と呂蒙の間は、後輩と先輩(上司)の将軍の間柄だったこと以外は記述されていない。
甘寧と呂蒙の仲については、少し書いてあった。
陳寿の書いた地の文で、である。
おおまかな内容は、次の青文字の通りです。

甘寧の料理番が失敗をしでかしたので、呂蒙のところに逃げ込んだ。
呂蒙は、甘寧がその料理番を殺してしまうだろうと思ったので、かくまってあげて、甘寧のもとへは帰さなかった。
甘寧は、呂蒙の母親に贈り物をして、ご挨拶したいと申し出た。
呂蒙は受け入れ、親しく会い、料理番の話については、甘寧に「殺さない」と約束させたうえで、料理番を甘寧のもとに戻した。

しばらくして、甘寧は、その料理番を自らの手で射殺してしまう。
頭にきた呂蒙は、軍勢で甘寧を攻めようとした。
そこで呂蒙の母親が素足で飛び出して、息子を諫めた。
「陛下(=孫権)がお前を肉親のように遇してくださった。
甘寧を殺したら、臣下にあるまじきことじゃないか」
孝心のあつい呂蒙は、母親の言葉をきくと、怒りの気持ちを失った。
甘寧に「母が、あなたを食事に招いています」と伝える呂蒙。
甘寧は「あなた(呂蒙)には申し訳ないことをした」と、涙を流し、嗚咽しながら言った。終日、歓談した。


このようなエピソードが残されている。

ようやく、ひーも寝たようです。
やれやれ。