ご訪問ありがとうございます。


声優のTARAKOさんの訃報

今朝 Xで知りました。


ご病気で逝去されたそうです。


TARAKOさんは

「ちびまる子ちゃん」の声を

はじめ

たくさんの作品を担当され

活躍されていました。


声優仲間と劇団を立ち上げ

脚本も書かれていたそうです。


シンガーソングライターでも

ありました。


才能豊かな方だったのですね。


あるインタビュー記事で

TARAKOさんは

生死観を語りました。


「死ぬことは怖くない。

天国に行けば

両親や愛犬や愛猫

天使になった仲間たちに

会えるから。」


ご自宅には

天使コーナーを作られて

いたそうです。


TARAKOさんのご冥福を

心からお祈りいたします。



ここからは独り言です。


TARAKOさんと私は

高校の同級生でした。


たしか高校3年生の時に

同じクラスでした。


とは言え

TARAKOさんと私は

特に接点もなかったので


TARAKOさんは私のことは

たぶん覚えていないだろうと

思います。


ただ私には

忘れられない想い出が

一つありました。


ある現代国語の時間

たしかシェークスピアの

『リア王』か何かでした。

朗読練習の宿題が

出ていた時の話しです。

(もう数十年前ですね💦)



幼少期から超インドア派で

陰キャの私。


いじめられたりは

していませんでしたが

今思えば

HSP体質だったと思います。


※HSPとは、生まれつき

「非常に感受性が強く敏感な気質を持った人」という意味で、「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」と呼び頭文字をとって「HSP(エイチ・エス・ピー」と呼ばれています。


そんな私は

図書室や図書館は私の

唯一の隠れ場所であり

安全地帯でした。


ですから必然的に

本を読む時間が多くなりました。


シェークスピアは好きな作家で

もちろん読んでいましたし

朗読も好きでした。


朗読は私の本当に数少ない

特技の一つでした。


それなので

演劇にも興味が出て

高校入学と同時に

私は演劇部に入部しました。


ですが

朗読と演技は全くの別物でした。


朗読では

いい線行くのですが

演技をすると

全く木偶の坊の私。


あまりにも下手っぴで

絶望的でした 。


幸い演劇部入部は

お試し期間でしたので

さっさと退散しました。

(後に文芸部とアマチュア無線部に入部しました)


おっと、脱線しました。

申し訳ありません。

話しを戻します。


宿題の成果を見るため

現国の先生は

クラスの皆に朗読をさせました。


おそらく多くの生徒にとって

『リア王』の朗読など

興味もないし

恥ずかしさもあったのだろうと

思います。


生徒達の朗読はたぶん

音読のようになってしまい

先生の意図から外れていました。


生徒たちの朗読ならぬ音読を

聞かされた先生は

何か小言をいった後

『上手だった人が2人います。

TARAKOさんと

 ひすいさん』

(当時は本名を言われました)


その時TARAKOさんの席が私の

ちょうど斜め前で

横顔がチラッと見えました。


少し恥ずかしそうにしていた

彼女の顔が

記憶に残っています。


学校でのTARAKOさんは

もの静かで目立つタイプではなく、優しい人だったと思います。


部活は演劇部ではなく

軽音楽をされていました。



後にTARAKOさんが有名声優に

なられたこともあり

この時の朗読のことは

よく覚えています。


「好きこそ物の上手なれ」で

『リア王』の朗読練習が

 私は大好きで

ワクワクすることだったのです。

自室で身振り手振りを交えて

何回も練習しました。


誰でも多少練習していれば

先生には褒められたでしょう。


でもTARAKOさんは

本当に才能があって 

その当時から本気だった事が

後にわかりました。


私達が通っていた高校は

まあまあの進学校で

多くの人は大学か短大に

進学しました。


看護師さんとか観光学科や

アパレル業界などの

目標が決まってる人は

専門学校に進む人もいました。


そんな中

TARAKOさんの進路を聞いて

クラスメイトたちはびっくり。

なんと声優の専門学校に進むとのことでした。


昔のことでしたので

まだ声優の仕事をされている方も 少なかった時代です。


「声優になる」ということを

途方もない夢と感じる人も

多かったと思います。


声優になる勉強をする人がいる。

私は考えたこともなかった。

ああ、なんてステキ。

本当に羨ましい。

それが私の本音でした。


後に国民的声優として

活躍されることになった

TARAKOさんですが


きっとたくさん努力されて

元々もっていた才能を

開かれ


優しいお人柄で

人々から慕われ


豊かで素晴らしい人生を

送られたと思います。


TARAKOさんが生死観を語られた

インタビュー記事はこちら。



※以下こちらのインタビュー記事から一部抜粋

『(もし自分が亡くなったとしたら)

葬儀は友人や芝居の仲間など身内だけで、好きなお酒を持ち寄り、飲んだり、食べたりしながら、楽しく見送ってほしいです。

お願いしたいのは、喪服を着ないこと。黒い服が大好きという人は別ですが、普段会う時に着ていたような服で弔ってもらいたいです。

もうひとつ、劇団「WAKUプロデュース」で私が書いた脚本を1本、追悼公演で上演してもらえたら、うれしいな。そのための遺産は残します(笑)。』



TARAKOさんの生死観

とてもステキだと思います。

そして喪服でない葬儀も

いいですね。


数年前、私もそのような

明るい葬儀に参列させて頂いた

経験があります。


元玉川大学教授で翻訳家の

ヒロちゃんこと

大内 博さんのご葬儀も

平服着用の

あたたかで美しい

お別れ会でした。


こちらの様子は

過去ブログで書きました。

※2014年10月4日

ホワイト•イーグルと

ヒロちゃん


ヒロちゃんのお墓には

『愛だけが現実』と

刻まれています。


インタビューを読ませて頂くと

TARAKOさんも

愛の人でしたね。


天国で

ご両親や愛犬、愛猫ちゃん

さくらももこさんや

天使の仲間たちと

お幸せにお過ごしください。


今回の地球の人生

ステキな声で

多くの人を幸せにしてくれて

ありがとう。

本当にお疲れ様でした。



愛と感謝をこめて

ヒプノセラピーにじの森

真緑 ひすい