実際におこっているときはずべてを 理由づけて選択しない。
すべては感覚でそのばその場で選んでゆく。
しかしその選択には自分で無意識てきにも選んでいて、
それをするほうが もう一方を選ぶよりも 良しとされるから
選択している。
時間が経って
なぜそのときそうしたのかを
理解することは大事だと思う。
自覚して自分を知れる。
自分の根底の自分をつくるものに少し出会えるかもしれないからか。
私は自分が昔から信じられない。
今 手で触れる感触を持っても
実際にあるんだろうけど
本当なのかわからない。
目を疑っているからそう思うのかな。
見えるものが
みんな違うはずなのに確認できないから
あいまいになって
うやむやになって
そうやって 年をとっていく。
そんなものにいちいち集中してたら生活が出来ないし
働けないし
そんなものに集中しないで生きていけるのが
多くの一般的な人間なんだと思う。
でも
それって何でか見過ごしてはいけないような気がするのはなぜ
