最初の頃の浪人時代に一枚の屏風絵をみた。それは竹林か何かの水墨画で、その奥に吸い込まれるような、自分の回りの空間が、気温が冷たくなり、空気が固くなり、その風景の中にいるような 感じだった。
人が作った(描いた)ものでそのようなものが造れるなんて、信じられなくて、ずっと見続けていたと思う。
それ以来、自分が作品を造る時にもどこかしら影響されていたように思う。。私は制作によって、現実世界にいながら、他の空間に移動したような、感覚を作り出したいと思っているのかもしれない。
それは、科学的な問題、人の創造力とか、(妄想・)どうゆう温度で、湿度で、想像しやすいのかなど、発表されてるだろうし、薬を使ったほうが求めているものが、簡単に出来るかもしれない。ただ、リアルなものは人の頭の中にあると思う。
私が制作によってもし、現実にそのモノ、空間が出来たとしても永遠に自分は体験できない(客観的に見れないから)かもしれないのに、ただひとつの事を信じて制作して行けるのか?
もう、屏風という形で私は体験したのに=過去にそうゆう作品があるのに、私がそれを造りたいという理由は何なのか。ただ、その屏風を見た時の出来事は、私にとって、初めての事で、今までの自分を否定するくらい、目の前の見えてるモノは一体なんなのか・疑いを持つようになった。
小学生の頃、5、6人で班を作って給食を食べていた時などふと、全てが私の想像なのではないかと思う事が何度もあった。
昔、実際に行った観光地が、夢の中で想像したものだと思いこんでいたことも何度もあった。
自分しか信じれず、
自分を信じれない事があった。
観る人みんなが共感・体感出来るわけでは無いのに(きっかけとなる、もの、音、空間、温度などが観る人の過去の経験や記憶とどうリンクするかわからないから)そこを目指す理由はあるのか・
私は、作り手が創ったモノによって観る人の無意識の部分がリンクにして、記憶を呼び起こし、その記憶に漂うような空間を造りたいのではないか・
絵画ではなく立体でやるのはなぜか・
何で見てる人側をその空間に導きたいのか・
人が作った(描いた)ものでそのようなものが造れるなんて、信じられなくて、ずっと見続けていたと思う。
それ以来、自分が作品を造る時にもどこかしら影響されていたように思う。。私は制作によって、現実世界にいながら、他の空間に移動したような、感覚を作り出したいと思っているのかもしれない。
それは、科学的な問題、人の創造力とか、(妄想・)どうゆう温度で、湿度で、想像しやすいのかなど、発表されてるだろうし、薬を使ったほうが求めているものが、簡単に出来るかもしれない。ただ、リアルなものは人の頭の中にあると思う。
私が制作によってもし、現実にそのモノ、空間が出来たとしても永遠に自分は体験できない(客観的に見れないから)かもしれないのに、ただひとつの事を信じて制作して行けるのか?
もう、屏風という形で私は体験したのに=過去にそうゆう作品があるのに、私がそれを造りたいという理由は何なのか。ただ、その屏風を見た時の出来事は、私にとって、初めての事で、今までの自分を否定するくらい、目の前の見えてるモノは一体なんなのか・疑いを持つようになった。
小学生の頃、5、6人で班を作って給食を食べていた時などふと、全てが私の想像なのではないかと思う事が何度もあった。
昔、実際に行った観光地が、夢の中で想像したものだと思いこんでいたことも何度もあった。
自分しか信じれず、
自分を信じれない事があった。
観る人みんなが共感・体感出来るわけでは無いのに(きっかけとなる、もの、音、空間、温度などが観る人の過去の経験や記憶とどうリンクするかわからないから)そこを目指す理由はあるのか・
私は、作り手が創ったモノによって観る人の無意識の部分がリンクにして、記憶を呼び起こし、その記憶に漂うような空間を造りたいのではないか・
絵画ではなく立体でやるのはなぜか・
何で見てる人側をその空間に導きたいのか・
