内省的享楽的玉石混淆執筆日録―本日の動向、其の如何斯う―
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私は貴方の人生を絡め取る積りは無い、二つの鍵で一つの扉を開く、星の綺麗な夜

只今、ボードレール「巴里の憂鬱」を読んで居ます。斯の御時世にボードレール?何処ひた走る鉄道だい?と訊かれそうですが、フランス語が分からない私は、詩人の神様で有る、三好達治氏訳の本を読む訳で有ります。批評を書くなど野暮な事は致しません。最近はフランス系の芸術作品に触れる事が多いです。読書の秋です。


今宵は星が綺麗だ。

『人の一生は労働の為に有る訳では無い』

私は斯の様に考えて居る。けれども労働は人生の大半を占めるものだとも考えて居る。然うだ、問題は「労働者としての我」と「私生活としての我」を混同して仕舞う事に有る。

詰り、労働とは「私生活としての我」の余裕の有る行動と安定した権利とを維持する為のもので有り、私生活の総てでは無い。然して労働は義務で有り、其は善意で熟すべきだと私は考えて居る。労働は目的では無く、手段なのだ。「労働者としての我」は「私生活としての我」の為の一部分で有る。

然し労働に依って持たざるを得ない目的が有る。人は老いる。是は総ての人々が回避出来無い必然で有る。何れ労働が不可能な「労働者としての我」となり、然うなれば生きては行けなくなる。老いも相俟って、「私生活としての我」の余裕の有る行動と安定した権利の維持が不可能となる。

我々は其処で何を考えるかを既に知って居る。傍に老人が居るからで有る。我々は少壮に有り乍ら、焦燥に駆られる。其の所以は、現在些細な自由を手にし続けるか、第二の人生と呼ばれる老後に完全な自由を手に入れるかと云う目的の何方を達成するかを決める事で有る。其が人生の選択で有る。

人々は若くして、人生の目的の決定を強いられるので有る。又、常に自身を解放出来る瞬間を探索して居る。けれども人は発見出来無い。人々は何れ丈、足掻いたとしても狼狽を強いられ、人に翻弄される運命に有るからで有る。或いは其が人生なので有る。

人一人を殺めると云う事は自分を殺める事で有る。

法治国家に於いては、殺人を犯せば最低でも五年以上の禁固刑と云う法の下での刑罰が下る。殺人方法や動機、殺意等の諸事情況に依って、又変わって来るが重大事件の場合、無期懲役或いは死刑も有り得る。当然で有る。

詰り、人一人には其丈の価値が有り、然して人一人は他人を殺害する程の権利を有しない訳だ。否、より正確に云えば、人には有りと有らゆる権利が有る。人一人を殺す権利も有るかも知れない。只、人一人を殺して仕舞う権利は無いのだ。他人の権利を侵害する権利は無いと云う事だ。

是は人間が皆平等で有ると云う論理の上に成り立って居る。屹度私達は理性では斯く様に認識して居る。けれども殺人を犯す大抵の人々の心理状態と云えば、非常に感情が高まって居て、情緒不安定で有る。其の情態に有って、人間的な理性が働くか如何かで運命や未来が変わって来る訳だ。

然し乍ら感情が高まるに連れて、対象を嘲笑して仕舞う私は人一人を殺す丈の感情を持たない。虐げられれば、不条理と叫び其の場から遁走するか、或いは殺されそうならば正当防衛の名の下に反撃するだろう。正当防衛は手段で有り、殺害が目的では無いので同情に値する道理の範囲内だと心得て居る。

私は殺人を犯す人々に対して斯く様に告げたい。若し感情が高まり、人を殺害する為に手を下そうとする正に其の時、思い出さなければならないのは矢張り価値で有る。然して君の其の行為は敗けで有る。相手は殺す程の価値有る人間か、或いは私は相手を殺す程の価値有る人間か。相手が消えて欲しい人間ならば、自分が消えれば好い。其が真面な秩序で有るのだ。現在は人生の一瞬で有り、人生の総てでは無い。どんな苦痛からも逃れられる。君には決意する勇気が有る筈だ。

壊れた自転車と歩く溜息の様な存在、繋がらない開かれた扉

「普段、気持を口にしない人は内気だ」と咄す人を観た。

では普段、基本的に自らの気持を口にしない私は内気なのか。

否、勿論有らゆる場所で言葉を放ち、感情を有らゆる貌で表現して居る。

けれども基本的に気持を口にはしない。

では私は内気なのか。

断言は出来無いが、内気かも知れない。

然し気にする事は無いか。

只、私が気に食わないで居るのは私が内気で有るか否かでは無く、或いは其の「普段、気持を口にしない人は内気だ」と断言した人に対してかも知れない。

然して気持を安易に口にする人と私は相容れないので有る。

悲劇の主人公を演じる『私では無い自分』を『視点の私』は眺め、彼に言葉を与える。

屹度、私には『視点の私』と『私では無い自分』が有る。毎日の様に観る私の夢は斯くして解釈する事に依って理解出来た。是は現実の世界観点にも影響して居るだろう、と思案してみれば見事に当て嵌まった。詰まり夢で知覚した世界観点こそが春原深朔で有ったのだ。嘗ては『私』と『俺』と云う貌で認識し、『僕』が繋ぎ役だと思って居た。然し是では巧く伝わらなかった。感覚だから言葉にならないのだ。其を『意識』と『無意識』に分けて考えてみたが、『僕』の部分に当て嵌まるものが無かった。其処で私は新たな方法を発見した。其も夢の中で…

其が『視点の私』と『私では無い自分』で有る。云っておかなければならないのは、意識が二つ存在する事。完全に同じものでは無いが、其等は似て居る。強い意識は『視点の私』側に有り、弱い意識は無意識が覆い被さる様に彼方、『私では無い自分』側に存在する。其は意識が繋ぎ役で在る事を意味する。

斯の咄は後々、重要な意味を成す。

私は矢張り現代的な人とは巧く付き合えないと云う咄をした後に、友人に云われて仕舞った。

「あなたは根本的に恋愛には向いてないね。それで得られる苦しみなんか微々たるもんだし、その子も傷つくし、誰も得しないからやめておきなさい。」

私は苦しみや痛みを味わい、孤独を愉しんで来たのだ。其には可成りの犠牲を伴ったと思う。彼は私を詩人と呼んだ。私も然うだと考えて居た。否、と私は反論する。此処で『視点の私』と『私では無い自分』の咄をする。『視点の私』が小説家の持つ神の視点で、『私では無い自分』が悲劇の主人公を演じたい詩人だ、と。彼は納得する。私は咄す。

「私は変わって行く人間です。性格なんて無いと私は思って居ます。だから先に進んで行けます。だから相手をも変えて行きます。

其よりも先の電話で聞こえて居なかったみたいですが、『視点の私』と『私では無い自分』は意識で繋がって居る、と私は云いました。然し彼の意識は私と比較すると凄く微々たるもので有り、彼の大半は無意識です。詰まり『視点の私』に感情は無いが、『私では無い自分』には有る。『私では無い自分』は詩人気質で有り、彼の哀しみは計り知れない。其の哀しみは私に影響を及ぼす。私は其を愉しんだ。だから私は巧く遣って来れた。

私は貴方に云いたい。相手を傷付けると云うのは結果です。結果は現在では分からない。結果が総てでは無い。私にも彼女にも其処には少なからずの獲得と喪失が有るのです。

盲目の意志で在れ!

優しく柔らかく在れ!

斯の二つは私の信条で有り、私は其の様に生きて参りました。だから是からも生きて行きたい。

真ん中の事は考えない。

常に揺れて居たい。」

強い感情が私に斯の文章を書かせた様です。

新たな発見、『視点の私』と『私では無い自分』は私に感情が無い様に視得る事や其も含めて私の異質さを物語るに、或いは説明するのに完璧な手段だ。抽象的にも具体的にもすっぽり嵌まったのは素晴らしい。然し自惚れは無い。謙虚に大胆に存在したい。

街の余分な明かりが私を照らして、試練の風が吹き続けて居る。

中学時代に好きだった人と

運命の邂逅を果たしたのは

23日の夕方。

其は其は非常に吃驚した。

久々にメールをすると

彼女はバイトをして居た。

26日の夕方。

其のバイト先に行った。

彼女のバイト先に於いて

私は遅い昼食を食べる。

彼女のバイトが丁度終わり

其処から拙宅の近所迄

送って呉れると云うので

自転車の二人乗りで向かう。

輓近は毎日の様に

二人乗りをして居る気がする。

然し仕方が無い。

私の自転車は壊れて居るのだ。

生憎な事に流れ解散の

空気になりそうな処を

私は慌てて一寸、と誘い

河畔に於いて、咄す。

私は緊張して居たが

随分咄し込んで居て

気が付けば

2時間が経過して居た。

寒い夜だった。

流れ星を観た。

俺ってこんな人間だった?

と何時も誰にでも訊く。

そんなの憶えてない、と

彼女は笑い乍ら咄す。

こんなに寒いと

頭の中では何時も何時も

「転がる岩、君に朝が降る」が

ループして居る。

何の咄をしたか、

全然憶えて居ないけれど

私は彼女を傷付けて仕舞う事を

可成り恐れて居る。

又傷付けて仕舞うのでは

無いだろうか、なんて…

私の孤独癖を

受容して頂けるのか。

是が一番重大で有る。

矢張り分からない。

然し進むのみだ。

又私は変わった様だ。

何だか新しい気持だ。

現在を忘れて、

現在を愉しむ。

噫、優しく柔らかく在れ!

逆風の襲撃、目的地手前で終点を迎える列車、緑生い茂る街


可成り久々で有ります。

輓近、「群馬県」を

ニュースや全国番組で

本当に良く眼にする。

否、気の所為かも知れない。

意識のし過ぎかも知れない。

其は然うと

そろそろ始めるバンド活動。

愉しみだ。

ぎこちない立体で有ります。

色々と大変な日々も

私が先陣を切って、

行かなければ

走らなければ

屹度、私の求めるものは

私の向かう先に在るのだ

噫、前人未踏の時空間へ

斯の喪失感を越えた獲得

生きて行く苦しみと死の恐怖、沢山の影を引き連れて

輓近はチャットモンチーの

『告白』を聴いて居ます。

3rdアルバムと聴いて

凄く吃驚しました。

アジカンで譬えると

『ファンクラブ』になります。

私は『ファンクラブ』が

一番好きな訳です。

何故此処でアジカンを出したか

と云いますと

チャットモンチーを知ったのが

「恋愛スピリッツ」収録の

ナノムゲンコンピレーションで

然も其の発売日と

『耳鳴り』の其が

偶々一緒だったもんで

勢いで同時に買った訳です。

まあ其から毎回聴いて居ます。

今回も例外では有りません。

『告白』か。

然し一番目の曲は

違うな、と感じました。

然してシングル曲の多さ。

んー

んー

んー

其でもアルバムの最後の曲

「やさしさ」は

「バスロマンス」と

「真夜中遊園地」と

並んで御気に入りの一つです。

今回のアルバムに限らず

癖を受け容れるのが

難しい曲が多いのは

事実です。

人々の勝手な判断に依り産出された善悪の概念、其が時代の象徴です

然うだ。抑、善悪の判断なんて

何の役にも立たないのだ。

世間に横溢する暗黙の善悪の

判断基準こそ時代の象徴。

私が或いは制裁を下すと云う

無価値の冒涜よりも

哲学的刹那主義と無記で

現在の表現者で在り続け

光に冴えを、闇に切れを

総てを受容する様に

川や沼から流れる水を

大洋が受容する様に

私達はぎこちない立体で

在らなければならないのだ。

憎しみの無意味さに気が付けば

其の時点で総てを受容出来る。

若し貴方が利き手の方の片腕を

切り落とされて仕舞ったとする。

貴方は憎しみに呑み込まれ

残された片腕で報復をする。

然し貴方は二度と他人を

況して其の他人より少ない腕で

救う事は出来無いので有る。

貴方が憎しみを以てして

残された腕を汚す事よりも

似た境遇に居る人々や

自分と云う細やかな存在を

其の他人よりも少ない腕で救う

其こそ理性的な存在

詰まり人間の価値なのだ。

私達はぎこちない立体で

在らなければならない。

死を選択するのは生きて行く苦しみからの衝動的解放なのか、其の境遇に在る人々を余所に続く私の幸福な

『都会人』
「僕は現在誰かを求めて居る。」
「誰かって誰なの?」
「否、誰でも無い。」
「じゃあ誰でも無い誰かなの?」
「否、只の誰かだよ。」
「分からないわ。じゃあ私でも好いの?」
「勿論僕は君を求めて居るし、常に君は僕を満たす素晴らしい存在だよ。」
「有難う。」
「けれども君を求めて居る時は多分君を求めて居る事を何かに託つけて伝えると思うんだ。」
「然うね。じゃあ一体誰なの?」
「屹度、誰でも無い只の誰か。」
「あのね、其が分かったら苦労しないわ。」
「じゃあ君が小説や詩を読んで居る時、其処に現れる人々を君は知って居るかい?」
「ええ、一応知って居るわ。彼等の性格や言動や趣味諸々を大抵網羅して居る。でなきゃ読み進められないもの。」
「然し其はイメージだね。君は彼等に逢った事は無いし、彼等は君を知らない。」
「然う云われれば然うね。」
「彼等の名前や其の一瞬の物語は知って居ても君は彼等自身を知りはしない。」
「然うだわ。其で、貴方は彼等を求めて居るの?」
「良かった。」
「何が?」
「伝わったみたいだね。其に一番近いよ。」
「近いって如何云う事なの?」
「誰でも無い只の誰かは彼等の様な存在さ。」
「噫、名前を知って居る筈なのに飽く迄も相手は匿名性の中に居るのね。」
「然う、小説ではね。では現実の咄をしよう。君が街を歩いて居る時に擦れ違う総ての人々を君は憶えて居るかい?」
「否、憶えて居ないわ。」
「正に其だよ。」
「其は如何云う事?」
「譬えば僕が雑踏を歩いて居るとする。僕と反対側から一人の女性がヒールの踵でコツコツと云う軽快な音を立て乍ら、此方に向かって遣って来る。其処で僕と彼女は眼が合う。然して其の儘、通り過ぎて行く。僕は彼女を知らない。彼女は僕を知らない。」
「然うね。」
「詰まり若しか何かの縁で何処かで彼女と再会して咄をしたとしても、以前に逢った記憶が残って居る事は滅多に無い。思い出されるのは誰でも無い只の誰か。」
「そんな一瞬の出逢いで別れた総ての人々を貴方は求めて居るのね?」
「然う。是でも可成り具体的に云った積りだよ。」
「分かるわ。」
「不確かな記憶に居住する不特定の人々。彼等を求める時が本当の孤独さ。」
「私にも其の気持は分かるよ。」
「群集の中を求めて歩く。」
「貴方も私も都会人。」
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