少女誘拐殺人事件の犯人は3人の少年。

そのうちの1人が不審死し、更にもう1人の少年も不審死をとげる。

警察は殺された少女の両親に疑いの目を向ける。

 

よくあるストーリー展開で始まる。

今回の主人公は1人の若い女性。

彼女は誘拐されて殺害された少女の当時の担任の先生だった。

 

少女が事件に巻き込まれた経緯には、彼女も深く関係していたのだが誰にも言えずにいた。

少女の死に責任感を感じていた彼女は、教職を辞め、フリーで在宅の仕事をしていた。

 

 

 

 

 

自責の念に苛まれる彼女が生きていくためには、言葉を拠り所にするしかなかった。

本や雑誌など、心に引っかかる言葉を文字にして部屋に貼っていた。

彼女は言葉だけを拠り所にして生きてきた。

そんな彼女から発せられる言葉は、どれも印象深い。

 

 

あるテロリストの言葉

 神はしばしば過つ。過ってなお改めない

 もしもそれが神たる所以なら、われわれもまた神である

 

自分勝手にも捉えられる言葉だ。

過って改めないでいるのが人間だから神は救いの手を差し伸べてくれないのかもしれない。

それでも神も仏もないのかと思うほどのことが現実には起きている。

そんな中で生活していると、神の存在=人間、という図式ができあがるのかもしれない。

 

本文の最後の方にアメリカの宗教家の言葉が出てきた

 人生には幾たびか、神に置き去りにされた、としか言いようのない夜が巡ってくる。

その闇に光を投げかけるのもまた神である

 

明けない夜はないというが、夜明け前が一番苦しい。

だが夜明けもまた苦しい時もある。

人々が放つキラキラしたエネルギーにまぶしさを感じる時は、逆に夜が更けることに安心する。

暗い夜に身も心も委ねて休んでいた時、夜明けの太陽ほどまぶしくて苦しいことはない。

明るく前向きに思える光でも、それが鋭いナイフのように突き刺さる事もある。

 

闇とは

光とは

 

抽象的な表現だが、人によって解釈は様々だ。

 

言葉は凶器になるというが、人を救ってくれるのもまた言葉の力だ。