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どなたからか判らないのですが、丁度お腹が減っておりました(笑)

リアルで緑茶を飲んでいましたので、柏餅を美味しく頂け?ました~^^。

ありがと~~~♪

お久しぶりでする(*・ω・)*_ _))ペコリ


新しいコを迎えるのに、かなり迷ったのですが幼少の頃から猫たちがいた生活をしていたので、どこかでご縁があれば、お迎えしようね、と夫クンと話してました。

で。

この度、ご縁がありまして、お店の前に捨てられていた、という生後半年ぐらいの姉妹猫を引き取りました。


捨てられる前、どんな扱いを受けていたのか判りませんが…とにかく人間を怖がっています。


多分、私たちに慣れるまで半年…いえ、1年はかかるかもしれません。

だけど、新しい家族として彼女たちが私たちを認めてくれるまで…自然と落ち着くまで気長に行こうと思ってます。


幸い、食事も水も摂ってくれていて、トイレでは「出ない~~!出る??え~~!」みたいに小さく鳴きながら激しく(笑)猫砂をざりっざりっざりっざりっと掘ってます^^;(音だけで判断しているのですよ。気になるけれど、トイレを覗いたら多分…ダッシュで逃げると思われ…。軽く2~3分はざりっざりっざりっとやってます。途中休憩もあるみたい(笑))

今は、このコたちの姿をそーっと遠くから見ているだけで、幸せです。


$私の中の海・そして月


(´・ω・`)・ω・`) キャー
/  つ⊂  \  コワイー

に、似てない?と夫クンに送った写真です^^;
完全なひとりごとです。
なので、今日はコメ欄を閉じておきますです。


自分的になんとなく大丈夫かも、と思いつつ日々を過ごしてきたんだけど、いきなり急降下してしまった。
昨日、久々にピグに参加して楽しく話をしていたのに、その話をしている人の一人が飼ってるピグペットの猫があまりにも娘猫に似ていて、なでなでを数回しているうちに涙が止まらなくなっちゃった。

今まで本当に沢山のペットを・・・家族を看取ってきたけれど、やはりいなくなってしまったコのことは忘れられない。

もう、涙は枯れてしまったと思っていたのに、昨日から今日にかけて気を緩めると目もとに涙が浮かぶ。

気をそらそう、と録画しておいた海外ドラマを観ているようにしているのに(数日前まではそれで気をそらせることが出来たのに)どうにも感情のコントロールが出来ない。

哀しみの渦に敢えて巻き込まれて思う存分嘆くのもアリなのかもしれないけれど、客観視してる自分は「だめじゃん」と言ってくる。

何がダメなのか、明確には客観的な私は教えてくれないけれど、つまりは生産的なことじゃない、ということなのかな、と思う。


ただ・・・。

20年以上一緒にいた猫たちは初めてで、子どもを敢えて持たない私にとって本当に子ども以上に愛した存在だった。
猫たちがいることで、時々夫のことを「パパ」と呼び、夫も私に「ママ」と言ってた。

パパは、時々エサを上げることはするけど、トイレや○ロの始末は全て私。
(その時は「ママの仕事」とは言わず、「妖精さんがいつもしてくれるんだ」とぬかしてたけど)
別に、それに対して恨みとかそーいうのはない。
向き不向きもあるし、なんてったって私の連れ子なわけだから。

私が夫の元に行った時、いずれ実家にいる彼女たちを手元に連れてくるつもりだった。
その当時、実家は一週間のうち人がいるのは1日ぐらいだったので、余計に早く引き取りたかった(両親の事情があったわけです)。

そして、ペット可ではなかったアパートだったのにとにかく母猫だけでも早く引き取りたくて、無理を言って手元に。
そして、あとのコたちを引き取るために、ペット可の物件を探し(一日で見つけた)自分たちの引越しと同時に引き取った。

夫は猫を飼ったことはなかったけれど、すぐにメロメロになった。
私がトイレや風呂に入ると母猫がついてくるのを見ヤキモチも焼いていたっけ・・・。

まだまだ当時は元気だった彼らのために、本棚を工夫して冒険出来る部屋にしてくれた。
母猫は自分の子どもたちを好きではなく、一番高い本棚で見下ろしているのが常だった。
そして、私がマイナススパイラルに落ち込んでしまった時は必ず私の右腕を枕に眠ってくれた。

息子猫は、図体がデカいけれど臆病でよく行方不明になりかけたなぁ。
外の知らない猫にケンカを売られて、家とは逆方向に逃げちゃって、近所の倉庫のすみっこに隠れてた。そのうち、そこが彼の定宿になっちゃってたっけ。
雷を怖がるくせに、大雨の時に外出しちゃって案の定その倉庫で見つけた時、でかい図体に似合わない小さな声で私の呼ぶ声に応えてた。
そして、家まで抱っこして帰る間、私の腕に爪を立てて「こわいこわい」と震えてた。

娘猫といえば、外には殆ど出ないコで、母猫や息子猫にすぐケンカを売ってた。
三毛猫は気が強い。それに、本当によく喋る。

で、私の中では優先順位が決まっていて母猫>息子猫>娘猫だったんだけど、今考えてもほんとーに娘猫に対してはてきとーにあしらってた。

自己主張をしてくるコはほっといても自己主張するからだ。

母猫は、私と二人きりになった時だけ子どもの時のように甘える。
息子猫は、母猫の邪魔にならないように、ベッドの隅っこで寝ていることが多かった。
だから、私が寝る時は右腕に母猫。左腕に息子猫、が定位置だったんだな。

そして、娘猫は母猫の上に乗っかったり、息子猫の上に乗っかったり、本当に自由奔放だった。

そうして、息子猫が逝き、母猫が逝ってしまい、娘猫だけになった時・・・彼女はしばらく誰かを探すかのように二階や階段でよく啼いていた。
とても切なかった。

猫たちに死の概念はないだろうけれど、急にいなくなったことは当然判るのだろう、と私は思って相変わらずうるさくもある娘猫を抱っこしては「あんたは長生きするもんな。憎まれっ子世にはばかるっていうし」と言ってた。
実際、母猫が逝ってしまってからも、食欲も全然衰えず元気だった。

だけど、どんな生物にも平等に「死」は訪れる。
これは、生きとし生けるものとして、当然の帰結。

弱ってきたなぁ、と思った時「あと数日か」と記事にも書いた。
だけど、弱ったけれども「もしや長期看護の可能性もありだな」と考えるほど、彼女の生命力は強かった。
目に力があった。

でも・・・。

さすがの我が家の「憎まれっ子」も、寿命には敵わなかった。


今、うちはとても静かだ。

毎朝起きるたびに、私は未だに「あ、ごめん!エサ!」と言いかけてしまう。
実際言葉には出さないけれど、焦ってしまうのだ。

そして、夫が出勤したあとの家はがらんとしていて、あぁ、ここは今自分しかいないんだ、と実感する。

夫は「新しいコ、呼ぼうか?」と言ってくれている(この家を建てたのも、猫たちのためだから)。
その心遣いをありがたく思っているけれど、私は、まだそれに頷けない。

いずれ、新しいコを招くことは決めているのだけれど、あともう少し…もう少しだけ私の人生の20年を共に生きたコたちを偲びたい。

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