昨日の花火大会の時も考えてた。
当日、花火大会の会場である場所では心地よい風が吹き、中々の花火日和だった。
けれど、他の地方では大雨によって大洪水が起こっていたり、東日本大震災が起こったところでは、未だに震度3~5弱まで、余震と言っていいのか、まだまだ「自然の脅威」が蠢いている感じだ。
ちなみに、私が小学生の頃に住んでた所は過去台風によって洪水が起こったので、父が購入した土地に盛り土を依頼して、家を建てていた。
更にその数年後、引っ越すことになるのだが、その時は山の上に土地を買った。
多分、父は自分の記憶に残ってる自然災害を考えて、出来る限り標高の高い場所に住みたいと想ったのだろう。
かくいう私と夫の終の棲家である、この場所は山の上。
山の上だけれど、すぐ後ろに崩れてくるような山もない。
格好をつけるつもりはないけれど私は意識的に「地球」という自然の塊の中に生きる、ということをしばしば考えていた。
今、特に原子力発電所の関係によって、電力に対して節制しよう、とかいわゆるエコが大声で謳われているけれど、なんていうか、私はこれまで謳ってきたものと今回のことを「人間のためのエコ」と思えて、とっても違和感を感じている。
というのも、過去に書いたかもしれないが、私は、地球にいる沢山の生物の一つにしか過ぎない、と想っているから・・・。
正直、「地球」というのを一つの生命体と考えると、どれだけ疲弊してきているのだろうか、と考えることがある。
自分の表面に色んな生物を共存させているだけならマシだったかもしれなけれど、例えば戦争などで土地を汚染されたり、破壊されたりしているわけだ。
地球を自分に置き換えると・・・こりゃ、たまらん、と誰もが想うのではないだろうか?
それでもまだ、自然のサイクルで地球は土地を生み出し、その反面地震などで土地が沈んで行く、ということが起こっている。
日本は、基本沈んでいく側。
だけど、人間はあがく。
土地が海に消える?土をどんどん入れて、土地を作ればいーじゃん♪
ところがどっこい、自然はそんなに甘くない。
結局今回の地震の際に起こったように、そのような場所は液状化現象が起きる(そういう場所じゃなくても起こっていますが、顕著に起こっている場所はやはり海の近くですから・・・)。
いわば、文字通り砂上の楼閣なわけで・・・。
住み慣れた場所から離れたくない、という言葉を良く聞く。
私だって、そう想う。
だけど、住めば都という言葉もある。
人がこれからも生きていくには、自分たちの開発の力を過信しない方がいい、と私は考える。
自然界と寄り添って生きるために、自分たちが住む土壌がどれだけの硬度を持っているのか、過去どんな災害があったのか、それを頭に入れて「地球に」住まわせてもらっている、と考えたほうが・・・と想うのは、言い過ぎだろうか?
私は、自然に対し、地球に対し、畏れを持っている。
この畏れは生きていくうえで忘れちゃいけないことだとも・・・。
だからこそ、綺麗な朝日を見た時、たまに見る虹、吸い込まれそうな夕日などを見て、私はココロから「生きていること」に感動を覚えることが出来る。
空気の綺麗な場所だから、星も本当に綺麗に見える。
余分な灯りがないから特に。
その時も、空を見上げて「何か」に感謝する。
私たちは生かされている、と常に想っているが、今年のようにさまざまな天災を考えるとその気持ちは更に大きくなる。
自然とともに生きる。言葉面が綺麗でウソくさいけれど、私は死ぬまでこの信念を持ち続けたい。
人間だけが便利な世の中なんて、違和感ばりばりだ。
ずーーーっと・・・それこそなんとなく想っていた中学時代、そして確信に変わった短大時代から変わっていない想い。
それは・・・。
自然に対して、謙虚な気持ちを持ち続けよう、という誓い。
私一人がそう誓っていて、何が変わるのか、と笑われるかもしれないけれど、意識を変えるのは他人には出来ないわけで・・・。
そうそう・・・私たち夫婦には子どもがいないけれど、お子さんがいる方たちに、お子さんたちの未来のために、もっと「地球」と、「自然」と一緒に生きることを考えて欲しい、と私は想っている。
自分たちの子どもはいないけれど、私は今生きている子どもたちの元気な命を存分に真っ当してもらいたい、と考えてもいるから・・・。
なんだか、えらく大層な話になってしまいました・・・。
けど、なんとなくココに書き残しておきたくて。
読みづらい文章を読んで下さって本当にありがとうございました(*・ω・)*_ _))ペコリ
もし、これを読んで不愉快な気持ちをお持ちになった方がいらっしゃいましたら、ココロからお詫び致します。
これは、あくまで私個人の想いです。
それでは・・・ヾ(´・ω・`)
当日、花火大会の会場である場所では心地よい風が吹き、中々の花火日和だった。
けれど、他の地方では大雨によって大洪水が起こっていたり、東日本大震災が起こったところでは、未だに震度3~5弱まで、余震と言っていいのか、まだまだ「自然の脅威」が蠢いている感じだ。
ちなみに、私が小学生の頃に住んでた所は過去台風によって洪水が起こったので、父が購入した土地に盛り土を依頼して、家を建てていた。
更にその数年後、引っ越すことになるのだが、その時は山の上に土地を買った。
多分、父は自分の記憶に残ってる自然災害を考えて、出来る限り標高の高い場所に住みたいと想ったのだろう。
かくいう私と夫の終の棲家である、この場所は山の上。
山の上だけれど、すぐ後ろに崩れてくるような山もない。
格好をつけるつもりはないけれど私は意識的に「地球」という自然の塊の中に生きる、ということをしばしば考えていた。
今、特に原子力発電所の関係によって、電力に対して節制しよう、とかいわゆるエコが大声で謳われているけれど、なんていうか、私はこれまで謳ってきたものと今回のことを「人間のためのエコ」と思えて、とっても違和感を感じている。
というのも、過去に書いたかもしれないが、私は、地球にいる沢山の生物の一つにしか過ぎない、と想っているから・・・。
正直、「地球」というのを一つの生命体と考えると、どれだけ疲弊してきているのだろうか、と考えることがある。
自分の表面に色んな生物を共存させているだけならマシだったかもしれなけれど、例えば戦争などで土地を汚染されたり、破壊されたりしているわけだ。
地球を自分に置き換えると・・・こりゃ、たまらん、と誰もが想うのではないだろうか?
それでもまだ、自然のサイクルで地球は土地を生み出し、その反面地震などで土地が沈んで行く、ということが起こっている。
日本は、基本沈んでいく側。
だけど、人間はあがく。
土地が海に消える?土をどんどん入れて、土地を作ればいーじゃん♪
ところがどっこい、自然はそんなに甘くない。
結局今回の地震の際に起こったように、そのような場所は液状化現象が起きる(そういう場所じゃなくても起こっていますが、顕著に起こっている場所はやはり海の近くですから・・・)。
いわば、文字通り砂上の楼閣なわけで・・・。
住み慣れた場所から離れたくない、という言葉を良く聞く。
私だって、そう想う。
だけど、住めば都という言葉もある。
人がこれからも生きていくには、自分たちの開発の力を過信しない方がいい、と私は考える。
自然界と寄り添って生きるために、自分たちが住む土壌がどれだけの硬度を持っているのか、過去どんな災害があったのか、それを頭に入れて「地球に」住まわせてもらっている、と考えたほうが・・・と想うのは、言い過ぎだろうか?
私は、自然に対し、地球に対し、畏れを持っている。
この畏れは生きていくうえで忘れちゃいけないことだとも・・・。
だからこそ、綺麗な朝日を見た時、たまに見る虹、吸い込まれそうな夕日などを見て、私はココロから「生きていること」に感動を覚えることが出来る。
空気の綺麗な場所だから、星も本当に綺麗に見える。
余分な灯りがないから特に。
その時も、空を見上げて「何か」に感謝する。
私たちは生かされている、と常に想っているが、今年のようにさまざまな天災を考えるとその気持ちは更に大きくなる。
自然とともに生きる。言葉面が綺麗でウソくさいけれど、私は死ぬまでこの信念を持ち続けたい。
人間だけが便利な世の中なんて、違和感ばりばりだ。
ずーーーっと・・・それこそなんとなく想っていた中学時代、そして確信に変わった短大時代から変わっていない想い。
それは・・・。
自然に対して、謙虚な気持ちを持ち続けよう、という誓い。
私一人がそう誓っていて、何が変わるのか、と笑われるかもしれないけれど、意識を変えるのは他人には出来ないわけで・・・。
そうそう・・・私たち夫婦には子どもがいないけれど、お子さんがいる方たちに、お子さんたちの未来のために、もっと「地球」と、「自然」と一緒に生きることを考えて欲しい、と私は想っている。
自分たちの子どもはいないけれど、私は今生きている子どもたちの元気な命を存分に真っ当してもらいたい、と考えてもいるから・・・。
なんだか、えらく大層な話になってしまいました・・・。
けど、なんとなくココに書き残しておきたくて。
読みづらい文章を読んで下さって本当にありがとうございました(*・ω・)*_ _))ペコリ
もし、これを読んで不愉快な気持ちをお持ちになった方がいらっしゃいましたら、ココロからお詫び致します。
これは、あくまで私個人の想いです。
それでは・・・ヾ(´・ω・`)