ども、です。
今日の記事は、読んで気持ちのいいものではないので、あらかじめその旨書いておきます。
母猫の最期を忘れたくなく、ここに書き残したいのです・・・自己満足です、すみません。
13日の夜明け前、まだ真っ暗な時間帯でした。
いつもの本棚のところから身体を半分出して寝ている母猫を抱いて居間に連れていき、オムツを替えようとしたんですね。
オムツを外した時は普通に反応したのですが、いざ新しいのにつけようとした時、急に大きな声をあげ、そのあと身体の力が抜けたんです。
首に力が入らなくなって、かくん、と一回・・・。
私は慌てて「○○!○○!!」と声かけを何度かしました。
まだ、身体は温かく心臓も強く打っていたのですが、私は来るべき時が来たの?!と一瞬でパニック状態に陥りました。
寝ている夫に「起きて!○○ちゃんが!」と叫び起こしたら、夫はすぐに飛び起き母猫のそばにきました。
新しいオムツはまだつけてませんでした。
もうつけるのをやめようかと思ったんですね。
出来れば、少しでも楽な体勢がいいだろうと思ったので(オムツをつけるとやっぱりお腹を少々圧迫するでしょうし・・・)。
だけど、母猫を抱きしめた時、少しずつ尿が出てきていたので「ごめんな、最期までごめんな・・・」と言って、夫と二人で力が入らない母猫の身体を持ってなんとかつけました。
つけ終わってから、改めて私はずっと母猫を抱きしめていました。
苦しくないように、私たちのベッドに連れていって半身を起こした私の胸に横たえていました。
時間とともに身体はどんどん冷たくなってきました。
だけど、呼吸はしているのです。そして、心臓は力強く脈打っているのです。
ずーっと撫で続けました。
意識はもう無いのかも、と思いましたが、たくさん話しかけました。
母猫の前足の一本に私の指を触らせていると、いつものように母猫は私の指に爪を立てていて、それこそが母猫がまだ生きているという実感のように思えました。
が、無常にもその時はきました。
急にぐぅん、と身体を伸ばしたのです。
同時に「みゃぁ・・・ふ」という声とともに大きく息を吐き出し、まず、左後足がまっすぐになり痙攣を起こしました。
「○○ちゃん!!嘘!やだ!」と私は泣き、夫も「○○!○○!!」と涙声で呼びかけました。
ふぅ、と突っ張っていた左足の力が抜けたと思ったら今度は右後足が突っ張り、同じように痙攣しました。
母猫の命が出て行こうとしていました。
そして、痙攣が終わった時に、身体の向きを変えようとしたら、また首の力が入らなっていて、くにゃん、と私の身体に頭が当たっていました。
その時に母猫が逝ってしまったのが判りました。
「○○!○○!!!・・・いやだいやだいやだ!戻ってきて!イヤだ!!!!○○!!」と私は大声で泣き叫んでいました。
夫も呼びかけていましたが、私の「戻ってきて」に対して「いや、もういいだろう。逝かしてやろうよ」と私にいい、母猫の頭を撫でながら「ありがとうな・・・ほんとにありがとうな・・・」と静かに泣いていました。
ふと、時計を見ると5時29分でした。数分の誤差はあるかもしれませんが、その時間帯に彼女は旅立っていきました。
私はそのままずーーっと母猫を抱いていました。
そして、語り続けていました。
「なぁ、今日は晴れるからさ、いつもの空き地に久しぶりに行こう思ってたのに」
「ほんま逝ってしまったん?寝てるんじゃないの?なぁ・・・まだ身体柔らかいよ・・・」
そういって、身体を触っていたら気づいたんです。
ピンク色だった肉球が、淡いベージュ・・・そうですね、蝋のような色になっていて、触ると冷たかったのです。
「ほんまに逝ったんやなぁ・・・ありがとな。私を支えてくれて、ほんとにありがとう・・・。私たちの家族になってくれてありがとう・・・」
同じようなことをずーっとずーっと話していました・・・。
涙が止まりませんでした。
夫は「オレ、息子猫の時に慣れたと思ってたんだけどなぁ・・・」と言いながら、静かに泣いていました。
その言葉で思い出したのか「そうだ。息子猫と同じところに頼む?」と夫がいいました。
数年前、息子猫を亡くした時に知った移動火葬車のことです。
息子猫を亡くした時に、あちこちを調べたのですが、たいていペットは(自治体によるとは思いますが)その日に亡くなった何匹かのペットと一緒にゴミとして燃やされます。
そして、一箇所に遺骨がまとめられ、そのままいっしょくたに埋葬されます。
知人のところはそこを利用していると、息子猫が亡くなったあと聞きましたが、私も夫も息子猫だけで火葬してもらいたいと思ったんです。
なので、必死にペットの焼き場を探して、一つ近所で見つかったのですがそこはとあるお寺さんで念仏も唱えるまでが含まれていたのですね。
夫が強硬にそこを拒否しました。
年末の諍い・・・覚えてらっしゃる方はいるでしょうか。
夫は神も仏も全く信じていないどころか、大嫌いなのです。
その当時は、年末で諍いになるほどのことはなく、私は「うん、判った」と言って他の焼き場を一生懸命探しました。
その時に、軽トラックの荷台に火葬台を取り付けた移動火葬車なるものの存在を知ったのです。
そこに頼むことにしたわけですが、実際、その軽トラを見たときあまりの小ささにびっくりすると同時にそんなに音が大きいわけでもなく、時間も一時間はかからなかったことに驚きました。
便利な世の中になったなぁ、と思ったものでした(なんて、その時は息子猫が逝ってしまったことで哀しみが一杯だったのですが。あとで「あぁ、便利な世の中になったな」と思ったんですね)。
息子猫の荼毘の時には、母猫と娘猫がそのトラックを遠巻きにして見ていたのですが、今回は母猫が当事者になってしまった・・・。
「うん、そうだね。今回はうちの車を少しずらせば、庭にトラックがちゃんと入るし。連絡、お願いできる?」と夫に手配を頼みました。
「え?今日でいいの?一日ぐらい、抱いていたいんじゃない?」と言ってくれたのですが、母猫を抱きしめていようといまいと、哀しみが薄れるわけではないので「早く空に上げてあげたい。息子猫のトコに行かせてあげたいよ」と言って、その日の午前10時にきてもらうことになりました。
手配を済ませたあと母猫を、いつも寝ていた籠の中に横たえ、涙を止めることも出来ないまま夫と色んな話をしました。
利口なコでした。
夫の車が駐車場に入ってくると、玄関までお出迎えします。
ゴミの日なんかは、「一緒に行く?」と誘うと、ゴミ捨て場まで一緒に行って、帰ってくるんです。
夫は「犬みたいだなー」と笑ってました。
私の行く場所には一緒について来るコでもありました。
基本、私のトイレタイムは絶対に一緒、でした。
子ども猫たちに遠慮せず、私に甘えられるのがその場所だったから、と私は思ってます。
あと、お風呂場にも一緒に入ってきました。
水はキライでしたけど、湯船の蓋の上にちょこんと陣取って寝てたりもしてました。
私が昼間、ちょっと横になる時は呼ばなくてもベッドにやってきて、私の腕の中で一緒に眠りました。
また、私が眠れずパソコンをずっといじってると、よくキーボードの前に陣取って邪魔?をしてました。
まだまだ、母猫との思い出はたくさんあります。書ききれないほどあります。
20年弱、一緒にいました。
夫とは10年。
こうして書いてると、やっぱり泣けてきます。
・・・話を逝ってしまった日に戻しますね。
火葬車が来るのは10時ぐらい・・・。
いろいろと話し続けていた時、夫が「今から散歩いこっか」と私に提案してくれました。
「どこに?」と私が問い返すと、「こいつが大好きだったあの空き地」と夫は言い、もの言わぬ母猫に「な、いこっか」と声をかけてました。
その夫の心遣いに私はまた泣けてきて・・・。
「今、7時過ぎだし、火葬車が来るまでまだまだ時間あるから」という夫の言葉に賛成して、出かけました。
母猫はもう寒さは感じないとは判っていたのですが、なんとなく手触りのいいタオルで彼女を包み、胸に抱きかかえました。
目をおろすと、まるで寝ているように見えました。
私の涙腺は(今もですが)もう、崩壊中だったので、ぽろぽろと涙が出てきて仕方ありませんでした。
夫に「なぁ、寝てるだけみたいだよ」と言うと、私より先に冷静になっていた夫の目にみるみる涙が溜まっていきました。
外はきーん、と冷えてました。
母猫を抱き、「ここで急に走り出したことあったよね」とかいいながら、母猫への想いを噛み締めながら、空き地へと向かいました。
空き地に着くと、そこは母猫がいつもいた時と同じように太陽の光が大きく広がっていました。
思い出します。
夕方、母猫をここに迎えにきたことを。
「かーえろ」と声をかけたら、ちりんちりん、と鈴を鳴らして私にかけよってきた母猫の姿が目に浮かびます。
夫に「抱っこ、替わろうよ」といい、夫は大事そうに母猫を抱きしめました。
「・・・寝ているように見えるな」と夫もぽつんと言い、しばらく空き地で太陽の日を母猫と私たちは存分に浴びました。
そのあと、家の裏にちょっとだけ高い場所があるのですが、そこにいき、母猫にそこから見える景色を夫が360度廻って母猫に見せていました。
猫たちのために、ここに引越してきた私たちです。
「幸せだったかなぁ?」と夫に言いました。「幸せだったと思うよ?どう考えたって、自然の多さが違うし。あの空き地みたいなのは前住んでた場所には無かっただろ?」と言ってくれました。
幸せだったんだろうな、と思いたいです。
夫が頑張って建てた終の棲家。
ほんとなら、息子猫も一緒にここに連れてきたかった。
私の楽器演奏と、猫のために作った家だ、と夫はいつも言っていました。
散歩を終え、母猫を籠の中に横たえ、毛を綺麗に繕いました。
火葬の時間まで、ずーっと傍にいて、話しかけていました。
そうして、時間より少し早く火葬車がやってきました。
段取りよく、業者さんは火葬台の用意をしました。
そして、業者さんの手に、私は母猫を手渡しました。
本当にもう、お別れです。
業者は「もう、よろしいですか?お別れは済みましたか?」と言ってくれましたが、前述したように散歩にも一緒に行き、火葬車が来るまで存分に話をしていましたから、「はい」と答えました。
網の上に母猫が乗せられ、火葬台の中に入っていきます。
がしゃん、がしゃん、という音を立てて扉が閉められました。
業者の人が手を合わせ、火が点けられました。
「火が点いちゃったね・・・」と夫がいい、私はその瞬間、ひざから力が抜けました。
また、涙が溢れ、夫が崩れそうな私の肩をしっかりと抱きしめてくれました。
煙突からは、煙が出ることもなく、高温の空気が空に昇っていくのが見えました。
30分強ぐらい、時間が経ったでしょうか。
業者さんが釜の中を確認し、火を消しました。
もう一人の人が、骨を開ける器と骨壷を私たちの前に持ってきました。
「高齢猫とは思えないぐらい、綺麗な骨ですね」と業者さんが言ってくれました。
猫でも、年を取ると骨が黄色くなる場合があるらしいです。
ふわふわで、私の腕の中でいつも眠っていた母猫が綺麗に骨だけになっていました。
業者さんが「ここが頭で、これが肩甲骨です・・・」と、一つ一つどこの骨かを説明し、それが終わると銀色の箸で夫と二人、骨壷に骨を移していきました。
その時も「ありがとね・・・」と何度も何度もつぶやいてました。
全てが終わり、業者さんが帰ったあと骨壷が入った袋の上に、母猫の首輪をかけました。
ちりん、と鳴ったその音に、私はまた泣き出しました。
************
亡くなった日は、こんな、一日でした・・・。
あれから二日経ちます。
昨日は日曜だったので、夫がいました。
だから、少し不安定でもなんとかなってました。
だけど、今日は昼間、一人です。
どうしても、母猫の姿を追い求めてしまってます。
立ち直るのに、時間がかかると思います。
どうか、少し・・・時間を下さい。
このような、暗い記事を読んで下さってありがとうございます。
乱文、お許し下さい。
それでは・・・<(_ _。)>
今日の記事は、読んで気持ちのいいものではないので、あらかじめその旨書いておきます。
母猫の最期を忘れたくなく、ここに書き残したいのです・・・自己満足です、すみません。
13日の夜明け前、まだ真っ暗な時間帯でした。
いつもの本棚のところから身体を半分出して寝ている母猫を抱いて居間に連れていき、オムツを替えようとしたんですね。
オムツを外した時は普通に反応したのですが、いざ新しいのにつけようとした時、急に大きな声をあげ、そのあと身体の力が抜けたんです。
首に力が入らなくなって、かくん、と一回・・・。
私は慌てて「○○!○○!!」と声かけを何度かしました。
まだ、身体は温かく心臓も強く打っていたのですが、私は来るべき時が来たの?!と一瞬でパニック状態に陥りました。
寝ている夫に「起きて!○○ちゃんが!」と叫び起こしたら、夫はすぐに飛び起き母猫のそばにきました。
新しいオムツはまだつけてませんでした。
もうつけるのをやめようかと思ったんですね。
出来れば、少しでも楽な体勢がいいだろうと思ったので(オムツをつけるとやっぱりお腹を少々圧迫するでしょうし・・・)。
だけど、母猫を抱きしめた時、少しずつ尿が出てきていたので「ごめんな、最期までごめんな・・・」と言って、夫と二人で力が入らない母猫の身体を持ってなんとかつけました。
つけ終わってから、改めて私はずっと母猫を抱きしめていました。
苦しくないように、私たちのベッドに連れていって半身を起こした私の胸に横たえていました。
時間とともに身体はどんどん冷たくなってきました。
だけど、呼吸はしているのです。そして、心臓は力強く脈打っているのです。
ずーっと撫で続けました。
意識はもう無いのかも、と思いましたが、たくさん話しかけました。
母猫の前足の一本に私の指を触らせていると、いつものように母猫は私の指に爪を立てていて、それこそが母猫がまだ生きているという実感のように思えました。
が、無常にもその時はきました。
急にぐぅん、と身体を伸ばしたのです。
同時に「みゃぁ・・・ふ」という声とともに大きく息を吐き出し、まず、左後足がまっすぐになり痙攣を起こしました。
「○○ちゃん!!嘘!やだ!」と私は泣き、夫も「○○!○○!!」と涙声で呼びかけました。
ふぅ、と突っ張っていた左足の力が抜けたと思ったら今度は右後足が突っ張り、同じように痙攣しました。
母猫の命が出て行こうとしていました。
そして、痙攣が終わった時に、身体の向きを変えようとしたら、また首の力が入らなっていて、くにゃん、と私の身体に頭が当たっていました。
その時に母猫が逝ってしまったのが判りました。
「○○!○○!!!・・・いやだいやだいやだ!戻ってきて!イヤだ!!!!○○!!」と私は大声で泣き叫んでいました。
夫も呼びかけていましたが、私の「戻ってきて」に対して「いや、もういいだろう。逝かしてやろうよ」と私にいい、母猫の頭を撫でながら「ありがとうな・・・ほんとにありがとうな・・・」と静かに泣いていました。
ふと、時計を見ると5時29分でした。数分の誤差はあるかもしれませんが、その時間帯に彼女は旅立っていきました。
私はそのままずーーっと母猫を抱いていました。
そして、語り続けていました。
「なぁ、今日は晴れるからさ、いつもの空き地に久しぶりに行こう思ってたのに」
「ほんま逝ってしまったん?寝てるんじゃないの?なぁ・・・まだ身体柔らかいよ・・・」
そういって、身体を触っていたら気づいたんです。
ピンク色だった肉球が、淡いベージュ・・・そうですね、蝋のような色になっていて、触ると冷たかったのです。
「ほんまに逝ったんやなぁ・・・ありがとな。私を支えてくれて、ほんとにありがとう・・・。私たちの家族になってくれてありがとう・・・」
同じようなことをずーっとずーっと話していました・・・。
涙が止まりませんでした。
夫は「オレ、息子猫の時に慣れたと思ってたんだけどなぁ・・・」と言いながら、静かに泣いていました。
その言葉で思い出したのか「そうだ。息子猫と同じところに頼む?」と夫がいいました。
数年前、息子猫を亡くした時に知った移動火葬車のことです。
息子猫を亡くした時に、あちこちを調べたのですが、たいていペットは(自治体によるとは思いますが)その日に亡くなった何匹かのペットと一緒にゴミとして燃やされます。
そして、一箇所に遺骨がまとめられ、そのままいっしょくたに埋葬されます。
知人のところはそこを利用していると、息子猫が亡くなったあと聞きましたが、私も夫も息子猫だけで火葬してもらいたいと思ったんです。
なので、必死にペットの焼き場を探して、一つ近所で見つかったのですがそこはとあるお寺さんで念仏も唱えるまでが含まれていたのですね。
夫が強硬にそこを拒否しました。
年末の諍い・・・覚えてらっしゃる方はいるでしょうか。
夫は神も仏も全く信じていないどころか、大嫌いなのです。
その当時は、年末で諍いになるほどのことはなく、私は「うん、判った」と言って他の焼き場を一生懸命探しました。
その時に、軽トラックの荷台に火葬台を取り付けた移動火葬車なるものの存在を知ったのです。
そこに頼むことにしたわけですが、実際、その軽トラを見たときあまりの小ささにびっくりすると同時にそんなに音が大きいわけでもなく、時間も一時間はかからなかったことに驚きました。
便利な世の中になったなぁ、と思ったものでした(なんて、その時は息子猫が逝ってしまったことで哀しみが一杯だったのですが。あとで「あぁ、便利な世の中になったな」と思ったんですね)。
息子猫の荼毘の時には、母猫と娘猫がそのトラックを遠巻きにして見ていたのですが、今回は母猫が当事者になってしまった・・・。
「うん、そうだね。今回はうちの車を少しずらせば、庭にトラックがちゃんと入るし。連絡、お願いできる?」と夫に手配を頼みました。
「え?今日でいいの?一日ぐらい、抱いていたいんじゃない?」と言ってくれたのですが、母猫を抱きしめていようといまいと、哀しみが薄れるわけではないので「早く空に上げてあげたい。息子猫のトコに行かせてあげたいよ」と言って、その日の午前10時にきてもらうことになりました。
手配を済ませたあと母猫を、いつも寝ていた籠の中に横たえ、涙を止めることも出来ないまま夫と色んな話をしました。
利口なコでした。
夫の車が駐車場に入ってくると、玄関までお出迎えします。
ゴミの日なんかは、「一緒に行く?」と誘うと、ゴミ捨て場まで一緒に行って、帰ってくるんです。
夫は「犬みたいだなー」と笑ってました。
私の行く場所には一緒について来るコでもありました。
基本、私のトイレタイムは絶対に一緒、でした。
子ども猫たちに遠慮せず、私に甘えられるのがその場所だったから、と私は思ってます。
あと、お風呂場にも一緒に入ってきました。
水はキライでしたけど、湯船の蓋の上にちょこんと陣取って寝てたりもしてました。
私が昼間、ちょっと横になる時は呼ばなくてもベッドにやってきて、私の腕の中で一緒に眠りました。
また、私が眠れずパソコンをずっといじってると、よくキーボードの前に陣取って邪魔?をしてました。
まだまだ、母猫との思い出はたくさんあります。書ききれないほどあります。
20年弱、一緒にいました。
夫とは10年。
こうして書いてると、やっぱり泣けてきます。
・・・話を逝ってしまった日に戻しますね。
火葬車が来るのは10時ぐらい・・・。
いろいろと話し続けていた時、夫が「今から散歩いこっか」と私に提案してくれました。
「どこに?」と私が問い返すと、「こいつが大好きだったあの空き地」と夫は言い、もの言わぬ母猫に「な、いこっか」と声をかけてました。
その夫の心遣いに私はまた泣けてきて・・・。
「今、7時過ぎだし、火葬車が来るまでまだまだ時間あるから」という夫の言葉に賛成して、出かけました。
母猫はもう寒さは感じないとは判っていたのですが、なんとなく手触りのいいタオルで彼女を包み、胸に抱きかかえました。
目をおろすと、まるで寝ているように見えました。
私の涙腺は(今もですが)もう、崩壊中だったので、ぽろぽろと涙が出てきて仕方ありませんでした。
夫に「なぁ、寝てるだけみたいだよ」と言うと、私より先に冷静になっていた夫の目にみるみる涙が溜まっていきました。
外はきーん、と冷えてました。
母猫を抱き、「ここで急に走り出したことあったよね」とかいいながら、母猫への想いを噛み締めながら、空き地へと向かいました。
空き地に着くと、そこは母猫がいつもいた時と同じように太陽の光が大きく広がっていました。
思い出します。
夕方、母猫をここに迎えにきたことを。
「かーえろ」と声をかけたら、ちりんちりん、と鈴を鳴らして私にかけよってきた母猫の姿が目に浮かびます。
夫に「抱っこ、替わろうよ」といい、夫は大事そうに母猫を抱きしめました。
「・・・寝ているように見えるな」と夫もぽつんと言い、しばらく空き地で太陽の日を母猫と私たちは存分に浴びました。
そのあと、家の裏にちょっとだけ高い場所があるのですが、そこにいき、母猫にそこから見える景色を夫が360度廻って母猫に見せていました。
猫たちのために、ここに引越してきた私たちです。
「幸せだったかなぁ?」と夫に言いました。「幸せだったと思うよ?どう考えたって、自然の多さが違うし。あの空き地みたいなのは前住んでた場所には無かっただろ?」と言ってくれました。
幸せだったんだろうな、と思いたいです。
夫が頑張って建てた終の棲家。
ほんとなら、息子猫も一緒にここに連れてきたかった。
私の楽器演奏と、猫のために作った家だ、と夫はいつも言っていました。
散歩を終え、母猫を籠の中に横たえ、毛を綺麗に繕いました。
火葬の時間まで、ずーっと傍にいて、話しかけていました。
そうして、時間より少し早く火葬車がやってきました。
段取りよく、業者さんは火葬台の用意をしました。
そして、業者さんの手に、私は母猫を手渡しました。
本当にもう、お別れです。
業者は「もう、よろしいですか?お別れは済みましたか?」と言ってくれましたが、前述したように散歩にも一緒に行き、火葬車が来るまで存分に話をしていましたから、「はい」と答えました。
網の上に母猫が乗せられ、火葬台の中に入っていきます。
がしゃん、がしゃん、という音を立てて扉が閉められました。
業者の人が手を合わせ、火が点けられました。
「火が点いちゃったね・・・」と夫がいい、私はその瞬間、ひざから力が抜けました。
また、涙が溢れ、夫が崩れそうな私の肩をしっかりと抱きしめてくれました。
煙突からは、煙が出ることもなく、高温の空気が空に昇っていくのが見えました。
30分強ぐらい、時間が経ったでしょうか。
業者さんが釜の中を確認し、火を消しました。
もう一人の人が、骨を開ける器と骨壷を私たちの前に持ってきました。
「高齢猫とは思えないぐらい、綺麗な骨ですね」と業者さんが言ってくれました。
猫でも、年を取ると骨が黄色くなる場合があるらしいです。
ふわふわで、私の腕の中でいつも眠っていた母猫が綺麗に骨だけになっていました。
業者さんが「ここが頭で、これが肩甲骨です・・・」と、一つ一つどこの骨かを説明し、それが終わると銀色の箸で夫と二人、骨壷に骨を移していきました。
その時も「ありがとね・・・」と何度も何度もつぶやいてました。
全てが終わり、業者さんが帰ったあと骨壷が入った袋の上に、母猫の首輪をかけました。
ちりん、と鳴ったその音に、私はまた泣き出しました。
************
亡くなった日は、こんな、一日でした・・・。
あれから二日経ちます。
昨日は日曜だったので、夫がいました。
だから、少し不安定でもなんとかなってました。
だけど、今日は昼間、一人です。
どうしても、母猫の姿を追い求めてしまってます。
立ち直るのに、時間がかかると思います。
どうか、少し・・・時間を下さい。
このような、暗い記事を読んで下さってありがとうございます。
乱文、お許し下さい。
それでは・・・<(_ _。)>