ども、です。

母猫は、すっかり痩せてしまいました。
一応、ペット用紙おむつをしているのですが、まだ自分の意思でトイレに行きたがるので、よろよろ歩く彼女に付き添って、ちゃんとトイレまで行けるようにフォローしてます。

少し前までは、少しだけでもスープ状のエサのスープのみを飲んでいたのですが、今は水だけを飲んでます。

夫の要望で、今日栄養剤の点滴をしてきます。


ホントは・・・私は行きたくないんだけれどもね。

というのも、息子猫が亡くなった前日、同じように点滴を打ってきて、その日の夜、容態が急変したから・・・。



ここ数日、「死」について否応なく向き合ってます。

痩せた身体で、だけどちゃんと生きている母猫。
でも、確実に彼女の猫生の終わりが近づいています。

私は、昔から動物を飼ってきたこともあり動物たちとの別れを経験してます。
また自分の死生観について全く揺るがないので、「時間が来たのか」と淡々と思ってる部分があるんですね。

父が亡くなった時に、私の中で「生きていくことは戦い。だけど、砂時計の砂が落ちたらそこでおしまい」という、冷たい現実認識を持ってしまったのでしょう・・・多分。

・・・なんて書いてますが、ホントは彼女が逝ってしまうことなんて考えたくありません。

母猫が初めて家に来た時のことや、一緒に過ごしてきた日々のことを考えると、涙が止まりません。

眠れない日々が続く中、ふと思い立って母猫との出逢いからを、母猫目線で文章にしています。
だからどーした、というわけじゃないのですが、覚えているもんだなぁ、と不思議な気持ちですらすらと文章を書いていってます。

書けば書くほど、愛しさが増し、生命の不思議さを彼女にも教えられたんだ、と私は再認識してます。


ちょっと、感覚がヘンになってるかもしれない・・・。

ただ、看取りたい、それだけなんですけれど、とにかく苦しむことなく猫生を全うして欲しい、と思っているだけなんですが・・・。

なんだか文章だけ読むと、ただ単に逝ってしまうことを待ってるように見えますね。
そんなことはないのですが・・・。猫生を全うして欲しい、と思ってるだけ・・・なんだけど、どこか私は誤魔化しているんだろうか・・・。

日に日に痩せていく母猫から「生気」がなくなっていっているのは事実であり、それを私は見守って行くしかありません。


・・・何書いているのか、判らなくなってきてます。ごめんなさい。

明日にでも、抱っこして母猫が日向ぼっこしてた空き地にいこうかな、と思ってます。


*********

ごめんなさい。
やっぱり私、今むちゃくちゃ変ですね。
ヘンな記事を読んで下さってありがとうございます。

何をどう書けばいいのか判らず、つらつらと書いてしまいました。

それでは・・・<(_ _)>