ども、です。
30日と1日に書いた記事は、読んでるだけではさほどひどいシーンがあるわけではないので、理解されないかもしれませんが・・・あの、借りたワンルームでの日々が私の中で一番最悪なものだったことを、改めて思い出されて今、少し苦しいです。
何も考えず起こったことを書いていこう、と思ってPCを開いたのですが、胸が痛むんです。
苦しくて、泣けてきて、私はまだ消化(昇華?)出来てないのか、と唖然としてしまいました。
ブログに書こう、と決めた時、「もう、大丈夫。少しずつ歩いていけばいい」と思っていたのに、いざ核心の部分に触れる・・・パチンコ屋でのことや、放浪してた時のこととか、このあとに経験したことに比べたらなんてことないです。
確かにどれも、屈辱的で、自分がどれだけバカだったのかを知るだけの話で、私は私を生きるために向き合うつもりです。
でも、かなり休み休みじゃないと(逆に勢いだけで書いていくこともあるかも)書いていけない感じです、今の自分の状態を見ると・・・。
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強くなりたい、っていつも想ってました。
だけど「強いなぁ」と周囲に言われるのはイヤでした。
自分で自分に「アンタはえらい!」と褒めてあげたかった。
なのに、私がしてきたことは外面良くして、本当の自分をさらけ出す勇気もなく、八方美人な態度で、人と人の間をただすり抜けてきただけ。
気がつくと私は自分がどれだけ薄っぺらいかを自覚せずにはいられなかった。
自分の「核」がない。
生きる意味が判らない。
思春期の子どものように、もういい年齢なのに、いまだに私は泣き喚いてしまう。
いまだに私は自分の中で自分を消してしまおう、なんて愚かなことを考えてしまう。
昨日書いた、猫たちがいなければ、私はとっくに夫を裏切り、折角私のために建ててくれたこの終の棲家を飛び出していたかもしれない。
大袈裟でもなんでもなく・・・。
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ここ数年・・・一年一年が濃いです。
一日は早く過ぎていくけれど、よくよく振り返ると私は今までと違う「思考」をするようになっていて、その「思考」に寄り添いながら、恐る恐る歩いている感じがします。
ホントはイメージ的に、ある日つるん、と新しい私が産まれて、私が私を受け止める、という風に想ってました。
でも、今こうして書きながら想うのは、『今・現在』私は少しずつ新しい自分に近づきつつあり、目に見えない心のカサブタを時には激しく、時にはそっと剥がしているような感じなんです。
今は、激しく剥がしているようで、出てくる心象イメージは「真っ赤」です。
私のブログのスキンは「月」ですが、子どもの頃からの心象イメージは「夜の月と星とヨット」がありまして、そこからイメージに近いスキンを幸運にも見つけることが出来たわけです。とても気に入っていますので、多分このスキンをずっと使っていくと想います。
そして、心象イメージは増えました。
自分に違和感を持ったころから、「暖かく、すこし濃度のある(とろんとした)赤に少し黒が混ざった色の海」が。
今の私は、その後者の心象風景に圧倒されてます。
・・・正直に書けば、懐かしく感じてます。
幼少の頃のブランコに乗ってた記憶。手を舐めた時のあの鉄の味と血の味が同じだと知ったのはいつだったのか・・・。
初めて自傷行為をした時、水の中に流れる一筋の血を見て、私は何を感じたのか・・・。
真冬で・・・雪が降ってるのに、ふと海に行きたくなり、お気に入りの場所で波間に溶ける雪をずっと見続けたあの日。
あの日の寒さを覚えているのと同じく、あの日の海を私は「ねっとりとして、暖かいんじゃないかな」と想ったことを覚えています。
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本当に、何を書いているのか・・・。カテゴリは「生き直し」じゃなくて、「独り言」なのかもしれません。
でも・・・。
この混乱しているのも、記憶の揺り返しに自分から望んで入っていくのも、私が私になりたいから・・・。
悲劇のヒロインを気取りたいわけではありません。
ただのイタい女だと自覚はしてます。
これだから、メンヘラは、といわれるだろうな、と冷静な自分もちゃんといます。
けれども・・・フタは開いてしまいました。
いえ、自ら開けました。
開けたからには、全てを見て、感じて、糧にしていくしか私は生きていけません。
大層なことを言っちゃって(苦笑)、と自分でも想います。
だけど、開いてしまったフタからどんどん溢れ出てくる、今まで自分が目を背けていたモノ(それが具体的に判ればいいんですけれど)と対決しなければ、私は生きていけないんです。
充分に目を背けてきました。
その結果、私は決して完治しない病に陥ったのです。
完治しないことは受け入れています。
ただ、もう少しラクに生きることが出来れば、と願うだけです。
そのための、作業が「自分との対決」です。
根本にあるコトは、本当に強い人間だったら・・・いえ、健やかな人間だったら楽々乗り越えられる問題だったんだと想います。
ただ、私にはそれが出来なかった。
出来ないうえに、やたら記憶を手放さないので(以前も書きましたが、人は「忘れる」という機能をもっているからこそ、生きていられる、と私は想ってます。そうでないと今の私みたいに潰れてしまいますから・・・)、自分で自分の頭を抑えて苦痛という海に押さえつけ溺れさせようとしているのです。
新しい「私」という存在は、頭を押さえつけられてる「私」と抑えている「私」・・・この二つが合わさって出来るのかどうかは判りません。もしかしたら、この二つは手段であって、本当に「本当の私」を見出した時に消えてなくなるのかもしれません。
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本当に自分で読み直しても意味が判らない文章です・・・。
ここまで読んで下さってありがとうございました。
これからも、読みづらい、暗い話を書いていくと想います。
よろしければ、お付き合いください<(_ _)>
それでは・・・。