ども、です。
昨日、本当はこの記事をUPすべきでした。
8月6日。広島に原爆が落とされた日。
広島がグラウンド・ゼロになった日。
修学旅行で、原爆ドームの見学に行き、資料館にも行きました。
目を背けたくなるほどの、事実に10代の私は圧倒され、あまりにも残酷な現実が過去、今自分が立ってる広島という場所で起こったことに、混乱と恐怖の深さに涙が止まらなくなりました。
以前から書いているように、私は友達と群れないタイプだったのでその時も自分の時間で隅から隅まで資料館の中をふらふらと歩き、受けた衝撃をどう処理していいか判らず、溢れてくる涙を拭きもせず、ふらふらと外に出ました。
たまたま、私のクラスのバスでガイドをしていたお姉さんがいて、私の姿に驚いた様子で近づいてきてくれました。
私は思わず「大人」であるバスガイドさんに、すがり付いて号泣していました。
「なんで?なんで?どうして?」
人が人を殺める。
殺人ではなく、虐殺。
何故こんな酷いことが??
私の中でそんな想いがぐるぐる回って、だけどしょせん中学生です。
興奮した状態でその時の気持ちをバスガイドさんに話すことが出来ません。
だから、泣きじゃくって、「なんで!?」としか言えませんでした。
(時々、私のような反応をし、下手すると倒れるコもいる、とバスガイドさんはあとで言ってました。あの時、お世話になったSさん、お元気でしょうか?)
以前、最初の頃の記事で、グローバル・ガーデンという日渡早紀さんのマンガのことを書いたと想います。
そのマンガですが、内容はアインシュタインの記憶、そして願いを持つ二人の青年とキーになる一人の女の子のお話で、「原爆」について、面白いアプローチをしています。
そのマンガを書いた理由、というのを彼女はコミックスに書いていて、「ヒロシマ・原爆、というとみんな身構えてしまう。起こってしまったことを軽んじているわけではなく、もう少し楽にこの話題を出せないか(大意)」という想いを持って描いたそうです。
私もその意見には賛成です。
だけど、毎年8月6日が近づくと深夜のドキュメントは重苦しい雰囲気に包まれます。
それは、私が中学生の頃、資料館で体験したあの重々しさです。
私自身、被爆経験者では勿論ありませんし、身内にもいません。
だから、もしこの記事を読んで不快に思われる方がいるかもしれませんが・・・でも、敢えて書きます。
真摯に、この時期に原爆にまつわることをドキュメントで放送してもいい。
だけど、その「重さ」にタブーなものに触れる、というなんと表現していいか判らない、薄い膜を感じるのです。
経験者だから判る。
経験者だから、伝える。
では、経験者じゃない人間は語ってはいけないのか?
そういう「頑なさ」を私は大人になるにつれ感じ(グローバル・ガーデンを読む以前からですよ、念のため。あのマンガを見て「あぁ、同じ考えをする人がいた」と嬉しかったです)、このことについてもっと気軽に話せないものか、と思っていました。
が、今この年齢に至ってもこの話題をすることは、どうも避けられてしまいますね。
こういう「思考」の距離感って、意外にきつかったりします・・・。かといって「聞きたくないな~」という人の耳を引っ張ってむりやり聞かすことも出来ませんし。
・・・うーん?
まとまってないし、この文章はどこに行くんだろう??
やっぱり睡眠不足のこのオツムでは、難しい話題だったかな(^^;)
むりやりまとめてしまうと・・・原爆を含め、戦争に関する話は「命」が絡むからこそ、重くなるものだけど、だけど、あまりに繊細に扱いすぎている、とも思うわけです。
が、「死」を間近に見た人に「気楽にお話してください」なんて言うのは違ってて・・・。
普通レベルで「戦争はイヤだ!」と話をしたい、それだけなんですけれど・・・んが~!上手くまとめられない!
しかも、睡眠不足時間がどんどん増えていくし!!
中途ハンパですけれど、もういいや。
眠剤が効いて眠れることは今はないけれど、集中力はしっかり切れてますので、このままUPしちゃいます。
あはは~(^^;)
ごめんなさい<(_ _;)><(:_ _)>
毎年、夏が来るたびに、私の胸に去来するのは「戦争」への苦い想い。
あの日、資料館で見た時の衝撃。
散々泣いたあと、空を見上げた時のあの青空。
戦争はイヤです。
私はこの気持ちを持ちながら、「言葉」を「会話する誰か」を毎年捜していくことになるのかもしれません(うん、それしか出来ないもんな・・・)
本当にまとまりなくてすみません。
マジでこのままUpしちゃいます~・・・えい!
ゴメンナサイ!カキニゲッ! Э=====┏(; ̄▽ ̄)┛