ども、です。
昨日の続き?というか・・・。
私が、自分の「個」を取り戻したい、と強く願い、行動し始めたのは、まだ結婚はしてませんでしたが、今の夫と出逢った頃でした。
それ以前からも、なんとか逃れたいと思っていましたが、学生時代に一人暮らしをした私を両親は以後、外へ出すことは許さなかったのですね。
父にもまだ理解をもらってなくて(眠れないのはマジメに仕事してないから。疲れてたら、眠れる←という言葉を娘に投げつけておいて、自分は睡眠導入剤を飲んでた)、母は父の言葉に同調。
更に、「私は心配なの。だって、あなたの母親だから」と「心配する母」というポジションがとても気に入っていて、当時のおバカな私が母に、自分の状況はこれこれこーだと思う、だから・・・と、私個人が何とか前に進もうとすると「それは違う。おとーさんにそのこと言ってみな?おかーさんと同じこと言うと思うよ」と、優しく否定。
その「優しさという名の束縛」に生き苦しさを更に増し、自分の見つけた出口をとことんまで潰されるまで、私は気付かなかったんですね。
気付かなかった、というか、完全に認めたくなかった、ともいうか・・・。
「私」という「個」を両親は認めてない、ということ。
学生ならともかく、成人した人間に「それでも子どもは子ども」という、昔からある言葉で縛りつけ、更に自尊心の低い私は「親の言うことにはむかうなんて、なんて自分は親不孝なんだろう」と思い、本音をさらけ出して闘うことすら出来なかったわけです。
その時はまだまだ、自分が「親から愛されてない」という事実に直面する勇気が無かったのも一因ですから、親のせいばかりでもありません。
私の弱さが一番大きかったと思います。
しかし、うちの両親は娘をうまくスポイルしてたな~、なんて今はひょろ~んと書いてますが、当時の生き苦しさは本当に酸素の足りない金魚鉢で金魚が口をパクパクしている状況そのままだったと思います。
※その金魚鉢から出たい。
でも、出てしまえばそこは床。
水もなく、すぐに死んでしまうだろう、という喩えが今、頭に浮かび自分で「そっか。そーいう状況ならそりゃ生き苦しいし、息も苦しいわ」なんて思ってます(だじゃれにあらず(^^;)
その金魚鉢に入ったままの状態で今の夫と出会うわけですが、それは後の話として・・・。
猫でも犬でも、機嫌の悪い時はあります。
出されたエサを食べなかったり、「あたしゃ、怒ってるんだぜ」という意思を見せる場合、猫は粗相をしたりします。
人には比較的従順だと言われてる犬も、目で語ることがあります。散歩に行った時に「歩きたくない」という意思のもと、なだめてもすかしても歩かない時とかね(ちゃんと躾けてあっても、です)。
でも、金魚にはそれは出来ない。
エサをもらえなければ、それまで。
水を替えてもらえなければ、それまで。
生殺与奪の権利を握られた状態で、どうやってのびのび生きられるというんだろうか?と私は思います。
確かに、私は私一人の力で生きてきたわけではない、と当時も思ってましたし、それに対しての感謝はありました。
が、それゆえ両親から受けた見当違いの愛情を、「そりゃ違う」と言えなかった。
言えればもう少し楽だったのかもしれませんが、それはそこ、親の顔色を窺って生きてきた子どもの性(さが)もあるし、何故か?うちの両親は感謝の気持ちを私が示そうとすると嫌がってました。
そのココロは「親が子どものことを思って、大切にしてやるのは当然。感謝なんてしてもらう必要はない」という、自信があったからのようでして(健全な親がそう思うことに異議はないです。念のため)・・・。
かといって、全く感謝がないとダメなんですね。
感謝の気持ちは欲しいけれど、感謝の言葉をなんていらない。「私はずーっと傍にいます」と思い、言葉通り、傍にいること。それが一番の感謝の示し方だと思っていたようです。
それはムリな話です。
何故なら、成人した子どもが外に出たいと思うのは普通の感覚だと思うから・・・。
あ、親と子、お互いがそういう関係に対して楽なのであれば、可能かも知れませんが、私は出来ませんでした。
私が家を出る意思を固めるには、余り時間は必要ありませんでした。
うぉ・・・話が長くなりそうなので、明日にでも続きを・・・。
ここまで読んで下さってありがとうございました<(_ _)>
それではヾ(;´ー`)