ブログネタ:【すんも賞を狙え!!】今まで一番泣いた映画は?
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ども。
映画、好きでごわす。
アクションもサスペンスもSFも好きだけれど・・・。
私自身は、人間関係の深いものが好き。
昔の映画でひじょ~~に申し訳ないけれども、ロバート・レッドフォード監督の「普通の人々」。
これを観たのは、テレビででして映画全編で使われている「カノン」にもやられました。
学生時代のことでして、友人とカノンを耳コピー(懐かしい(笑))し、学校のピアノで弾いていたのを思い出します。
さて。内容をば。あ、ご覧になってない方で、観たいと想われる方はスルーして下さい。完全なネタばれですので。
父は弁護士。母はそれなりの普通の奥様。子どもであるコンラッドはやっぱり普通の子ども。
でも、家族三人の中にもう一人の存在があり、それがヨット事故で亡くなった長男。
コンラッドは、自分だけが助かった、という想いに純粋に「生きてて良かった」とは思えず、それどころか何故自分だけが生き残ってしまったのかを自問自答して過ごしているけれど、親にはその想いを話すことは出来なかった。
母親は、一見冷静だけれども、愛する長男は死んでしまったのに、一緒にその場にいたコンラッドだけが生き残ったことに対して静かな怒りを秘めているけれど、そんなことはおくびに出さず、元気な姿を周囲に印象づけようとする。
父親は、コンラッドを立ち直らせたいと想うけれど、中々糸口が見出せず、ただただ神経を使ってしまい、自然な父子関係を作ることが出来なくなっていく。
外から見れば、郊外に一軒家を持つ幸せな家庭だけれど、誰もが長男の死を乗り越えてなく、コンラッドは自責の念にかられ、母は長男を亡くした悲しみをコンラッドに対して(無意識に)冷たく接することでバランスを取っている。
若いコンラッドは、同級生の女の子と仲良くなっていくが、生き残ってしまった自分が人生を謳歌していいものなのか、と悩み、母親の態度からコンラッドは、自分が死ねばよかったのか?というところまで追い詰められていく。
それでもなんとか自分の生きている意味を見出すために、自分を立ち直らせたいがために水泳部に入るけれど、それも母にとっては赦せないことであり、静かに、けれど確実にコンラッドに辛く当たっていく。
母親にコンラッドを追い詰める意識が無かったとしても、結果コンラッドは自殺を図るまでに追い詰められ、結果、精神科医に行くことになるのだが、母親はそれさえも赦さない。
母親は長男を亡くした哀しみを生き残ったコンラッドに向け、彼はそれを真正面から受け止め自分が生きていていいのか判らない想いに苛まれいるのだ。
そうしたある日、とあるパーティの席で夫が自分の息子が精神科医にかかっていることを話してしまう。
「幸せな家族なの」と取り繕っていた妻は「何故あんなことを!」と憤慨する。
私が印象的だったシーンは、食事のシーン。
詳しく覚えていないのだが、外で食事を取ってきたかなんかで、コンラッドが母に「今日の夕飯はいい」と言われ、ゴミ箱に怒りに任せコンラッドに作ってあった食事を捨てるシーン。
そこに、母親のねじれた怒りが集結されている気がした。
家族それぞれが、家族という体形を取っているのに、実際は少しでも針でつつけば何かが壊れそうな家庭を夫であり、父親である自分がなんとかしなければ、とまずは妻に現実を認識させようとするが、妻は殻にこもるばかり。
自分だけが殻にこもるのはいいけれど、息子であるコンラッドに対する行き場のない怒りは消えない。
そんな妻に夫は「君を愛しているかどうか判らなくなってしまった。今までどおりには暮らせない・・・」とついに言ってしまう。
そして、その言葉を聞いて妻は淡々と自分の荷物をまとめて出て行ってしまう。
砂上の楼閣の上に建てられた、周囲に「普通の人」と見られたかったのであろう妻は、自ら去ることで自分の傷だけを見つめることにしたのかどうかは・・・観た人の感性に任せるとして。
私は、夫であり、父親の存在の苦悩より「自分だけ生き残ってしまった」というコンラッドに感情移入しまくってしまった。
精神科医との会話では、当然「兄さんの死は君のせいではない」と言われるけれど、母親の態度はそれを赦さない。
映画の主題曲ともいえるカノンがコンラッドの、父親の、母親の想いを繰り返し観ているものにつきつけてきていたように想う。
家庭、家族という小さな集合体は、一つボタンを掛け間違えるとあっという間に崩壊してしまう。
コンラッドは崩壊させたくなかった。
母を失いたくなかった。
兄がいる時は自分も愛してくれていた母が、今では自分を憎んでいるのを認めたくなかった。
それは、家庭の中で一番力のない人間が想う当然の願いだと想う。
しかし、父親はあえて壊した。
妻が去ったあと、息子を抱きしめる父親の胸に去来したのはどういう想いだったのだろう。
ただただ、息子を守りたかったのだろう、と想う。けれど、妻が去っていくのを見て辛くなかったわけはない。
分かり合えなかった。それが、家族の崩壊を招いた。
哀しいのは、母親が周囲にみせたがる「普通の家庭よ」という虚勢。
父親の、いや、夫として妻に現実を直視して欲しいという願い、そして無事に生き残った息子コンラッドを守りたい、という夫の気持ちは、妻には受け止めることも、認めることは出来なかった。
弁護士の妻であり、息子が二人いて、それが一生続くものだと考えていたのだろう。
この映画全般に漂う哀しさは、妻の「何事もなかったように」という行動自体が結局は家族崩壊へと導いていくことに気付かないことなのかもしれない。
私は、自分と兄との関係をこの映画に投影して観ていたのだと想う。
やはり私の母も「普通」と周囲に見られることを重視していた。
生意気な娘である私の存在を無意識に嫌い、過去いじめられたことのある兄をかばいつづけた。
そして、父は面と向かって母に私たち子どもに対する歪んだ愛情について、ついぞ言うことが出来なかった。幸いなことに、父と二人になると、私に対してフォローはしてくれたが。
けれど、欲張りなのかもしれないけれど、私は母からも愛情を欲していた。
しかし、母はそれに気付かぬまま、今も兄を溺愛している。
余談だけれど、この映画を観てから数年して、古本屋でタイトルだけで買った本があった。
「アメリカのありふれた朝」・ジュディス・ゲスト著。
読んでみて驚いた。
「普通の人々」の原作だったのだ。
当然ながら、ところどころ映画とニュアンスが違うけれど、映画より内容が濃い小説を読み終えて、私はまた泣いた。
家族という集合体に疑問を持ちはじめた頃に観たのが映画で、やはり、私は血、という繋がりが苦手だ、と認識したあとに読んだ原作。
多分涙の大きな違いはなかっただろうけれど、「何も言わなくても家族だから分かり合える」という幻想を見事に打ち砕いたこの作品は(含む原作)、私の人格共成に少なからず影響をもたらしたと想う。
なんだか、暗い内容になっちゃいました。
それでは本日はこれにて~ヾ( ´ー`)