ども。
私は実年齢的には確実に「大人」の部類に入る(おばはんという部類にも入る・・・ね(トホホ。゚(゚^∀^゚)゚。←自虐的笑い泣きさぁ)。
ここ数年の成人式を見ると、20歳は・・・大人じゃないな。
実年齢は関係ないよね。
私なんて、考え方は中学時代からあんまり変わらないし。
うーん・・・想像力を育てていくことが、大人になっていく経過なのかもしれないな、なんて考えたりする。
で、想像力とは?
小学生、いや幼稚園や保育園の頃から身をもって知っていくことだと思う。
経験しなきゃ判らないというのが第一義。
次は本を読んだり、芸術、美術系のものに触れ(美術館とかの絵画は実際に触っちゃだめだぞ(笑))情操教育を経験していく。
自分には子どもがいないので、自身の経験でしかないけれど、私はそれなりに身を持って経験してきた自負がある(過剰に吸収してしまった向きもある(爆))。
JTのCMで「イギリスで知ったこと。次に来る人のためにドアをあけること。その気遣いが自然でいい」(うろ覚え(^^;))みたいなことをやってたけれど、わざわざCMにしなくちゃいけないほど、その行為は行われていないのだろうか?
私個人でも、夫婦でも、出かけた先でドアを挟んで「入店」「退店」のパターンや、扉の付近に人がいると、ふつーにドアは押さえるなり、次に入る人のために少しドアを開けようと心がけている。
でも、確かに「あ、すみません、ありがとう」という人は少ない気はする。
でも、CMにされるほど少ないのだろうか?
やってもらって当たり前。
逆にやってもらえなかったら憤る。
そんな大人が増えてきているというのか。
なんだか暗澹たる想いになる。
何故って、子どもは大人の背中を見て育つ、っていうから。
こちらに引っ越してきて、おばーちゃまたちと挨拶することは多い。
けれど、とある家族は「あ・・・」みたいな感じで、出来るならあんまり周囲に接したくない光線を放ってる。
判らないでもない。
なんたって田舎だから、少し(いやかなり)油断(?)しちゃうとパーソナルスペースを乱されてしまうかもしれない、という恐れは私も持っているもの。
けど、ふつーに「あ、おはようございます(ニコ)」の、ニコが大事なんだと私は思う。
というのも、そのご家族のお子さんは一応挨拶はしてくれる。
けれど、目を合わさない。地面に向かって「おはようございます」とボソっと言うのだ。
まだ、小学生かな?
友達同士で遊んでいると、元気がいい。笑顔がいい。
その元気、笑顔のままで「おはよー!」「こんにちはー!」と言って欲しいな。
とはいうものの、それぞれの家庭の事情があるだろうし・・・。
私にしたって毎回いい返事が出来るかというと・・・あ、外面良子ちゃんが健在だから、出来るかもだヽ(゚◇゚ )ノアヒャ
大人になる、というのは人間関係を円滑にしていく、ということなのだろう。
相手の気持ちを想像して、相手が不愉快にならない態度を取るとか、ね。
ご近所のお子さんが地面に向かって挨拶しても、しないよりはいいよな。
ん?
にこにこ笑っていながら内面何を考えているか判らない人(含む私)よりはいいのかな・・・それはそれで、なんか哀しいというか、ずるさを感じたりする・・・(´_`。)ナンカセツナイ。
はぁぁ。
難しいな、大人という幻の存在について語るのは。
本日はここまで
ではヾ( ´ー`)