ども。


ここまで、いろいろ書いてきた。

生きづらさの一部だけど、私が過去に囚われていることも大きな要因だと自分で思ってる。

実際、最終的に父が病院にいくことを許可(というのもヘンだけど)してくれたのも、私があまりに過去に囚われていることを理解してくれたからだ。


人間はある程度忘れる、ということをしなければ生きていけない、と言う。

というか、日々進んでいく出来事が多いから、必然的に忘れる、薄れる、ということなのだと思う。


よくこう言われた。

「済んだことを今更どうこう言っても仕方ない」


それは、当の本人が悟る時に思うことだと私は思うのだが、何故か他人に対しても使う言葉のように思う。

私自身、言った覚えもあるしね・・・。

で、それが出来ないのが、この病の特徴なのかもしれない。


私が一番強く想ってしまうのは「理解して欲しい」ということだ。

自分が辛いこと。それが元の家族、DV・モラハラ男によるものだ、ということ。

けれども、最初にも書いた通り、人は忘れるもの。

特にイヤな出来事は【無かったこと】にしたいのが、身内の気持ちなのだろう。


私は何の思惑もなく、必要とされたかった。身内によるわけのわからん要請が余りにも多くて、利用されている、としか思えずその時に現れたヤツの見かけ、考え方に見事に嵌った。

(ヤツとの出来事はまだ書きにくいので、後日)

で、最初の頃は必要とされている、と勘違いしていたが結局利用も必要も代わりないじゃん、と思うようになってしまった。情けないが、未だにその違いをきちんと認識出来ていない。

意味合いは理解しているのだが、ピン、とこない。


さて、甘えなのだったとは思うが、ヤツのところから本当に逃げ出した時、私は傷ついた自分のココロに対し(今思えばホントに甘いし、期待しちゃいけなかったことだけど)両親に寄り添ってもらいたかった。

ドラマティカルなことを考えていた自分が恥ずかしいけれど、迎えに来てくれた母を見た時、涙が溢れてしまい、「お母さん・・・」と言いかけたら、母はぼそ、っと「みっともない、泣くな」といい、すたすたと先に歩いていった。

帰宅して「お父さんが帰ってきたら、謝りなさい」と言われ、なんだか救われたのかどうなのか判らず部屋に閉じこもった。


結果として、両親は「無かったこと」としてこの件を忘れることにしていた。私が話そうとすると、「その話はもういい。これからのことを考えろ」と言われ、兄からは「お前でもアホなことするんやな」と言われた。

そうそう、兄は私にコンプレックスを持っていたらしいので、この件は私を見下げる格好の案件としか見ていなかった。

兄のネチネチした嫌味が増えたのもその時期からだ。


話が少しずれちった(・・。)ゞイカンイカン。


何か違う、ということだけは感覚的に判ってきた。

過去に囚われているのは確かだけれど、ヤツとの出逢い、酷い生活だけが「不自由」だと私に思わせているわけじゃない、と思った。

そしてまた、過去に起きた大きな出来事を「無かったことにする」こと自体が私をどんどん萎縮させていった。


過去があり、今の私がある。


ただそれだけのことを認めて欲しかった。

けれど、元の家族には「無かったこと」としたかった。

そうして、元の家庭環境に無理やり自分を合わせた。つまり「通訳的存在」に戻ったということと、母の愛玩動物&比較対照的存在(当然、母が輝くように、だ)になる、ということ。

・・・巧くいくわきゃない。私は鬱屈していった。


私は自由を手に入れたいんだ、とその時再認識したのかもしれない。

それも、自分から「うっし、やろう!」と言えるような、自由。責任を伴う自由。

誰かに要請される自由は違う、と考えた。


私にとって一番自由な気持ちになるのは、楽器を弾いている時。

難しい曲を弾くとき、自分の好きな曲を弾く時。頭の中の余計なことが消えていく。


今の環境では、楽器自体もないし、弾くことも出来ないのだが、数ヶ月後に環境が変わる予定。

私は知らなかったのだが、夫が随分前から計画してくれていたらしい。

ありがたい。

気持ちがしんどくなったら、寝逃げるのではなく、楽器に向かえる。

私にとって、新しい自由への第一歩になるのは間違いない(ちなみに音楽だけじゃなく、芸術というものは(私の楽器弾きなんて芸術とは勿論言えません(^^;))人間という脆弱な人間という生き物にとって無くてはならないものだと思ってます。この話も後日書きたいと思ってます)。


はぁぁ、いつにもまして判りにくい内容ですみません<(_ _;)>


本日はこれにて・・・。


であヾ( ´ー`)