私は、家族、という集合体がとても苦手です。

いえ、今の夫との家族には満足していますが、「血の繋がり」のある元の家族です。


健康的(他にいいようがない、っていうか私がボキャ貧なだけですね)な家族は、たとえ血が繋がっていようと、子どもがある程度の人格を持ったらキチンとパーソナルスペースを尊重してくれると思います。

そうそう、今問題化しているモンスターペアレンツは、子どもの人格を尊重しないか、全くのアカの他人のように精神的・物理的に子どもを突き飛ばしているのでは、と私は考えています。


子どもは親を選べない以前に、この世に誕生させられた(語弊がある書き方・・・かな?お気に触ったらすみません<(_ _)>)存在ではないか、と私は思ってます。

産まれてきたことを一度は後悔する人は多いのではないでしょうか?

けれど、年齢を経て経験を得、何かのきっかけで産まれてきたことに対して感謝を覚える・・・それはとても自然な現象でしょう。


私は、産まれてきたこと、産んでくれたことについては感謝しています。

でなければ友人にも逢えなかったし、夫にも出逢えませんでしたから。

けれど、それ以上に親・・・特に母親に対し、嫌悪感を覚えてしまっています。


幼い頃から言われていたのは「チビ・デブ・ブスの三拍子やな~」「可愛げがないなぁ」「あんたって、ほんとセンス、あらへんなぁ。折角女の子に産まれたのに・・・(ため息付き)」

思春期以降には、母の行きつけのブティックにお供し、店員さんが母に「あら、お嬢さん、お母様によく似てますね」と話し掛けると眉をしかめて「やめてくれへん?全然似てへんって(苦笑)」。


何故こんな風に扱われるか、判りませんでした。今でも判りません。


その数年後、今度は私を外で褒めまくるようになりました。

「え?急ぎの書類?うちのコやったら出来ますよ、文章書くの、得意ですもん」「いっつも頼りにしているんですよ」「私よりしっかりしているから、あのコに任せれば大丈夫ですよ♪」

そんな言葉で母は私に事後承諾で、パソコンでの文章作成や、簡単なデザイン(素人です!マヂで!)とかを気軽に請け負ってくるのです。

そのたびに私は声を荒げて「勝手に決めんなぁ!せめて、最低でも三日前ぐらいの余裕を持たしてくれ!」と言ってきたものです・・・。

けれど、結局私は母の持ってきた一種の内職?を徹夜で無料奉仕するのです。

とある日、夜中3時ごろ母が起きてきて「大丈夫?まだ出来ないの?寝なくていいの?」とさらりと言う母に怒りは既に無く「やっとくから、早く寝て」と母に言うのが精一杯でした。


どうして私は、母が周囲からよく思われるための存在である、と気付いていたのに、それを放棄することは出来なかったのか・・・?

対母に関してのことなら、出来たでしょう。

しかし、他者→母→私、となると、他者に迷惑をかけてはならない、という理由が私の良心にちくちくくるのです。

そのため、結局は母のいいなりでした。

友人に言われたことがあります。

「貴方ももういい年齢なんだから、いつまでもそんな親に対する嫌悪感なんてもの、捨てなよ」

「親だって、完璧じゃない。いつまでもあーちゃんのお母さんはそーいう性格なんだから、諦めて自分から折れる方が楽だよ」

まさしく正論です。

けれど、私はその正論のもとに矛盾を抱え込んでしまったのです。


今日も長くなっちゃいました。

この話の続きはまた明日・・・ヾ( ´ー`)