いきなり暗いネタですんません(^▽^;)
実は、結婚してから大体2年半?おきぐらいに、身内が亡くなってます。
もー、お盆が大変!という話じゃなくって、こうも重なるとやっぱり自分自身の死について考え込むのが人情ってものなのかな。
私自身の死に方は、かなり昔から・・・うん、中学生ぐらいから決めていたように思います。
「延命治療は一切無し・痛みが酷いならそれだけ止めてくだされ」。
昔から思っていましたが、今も考えます。
長生きってなんだろう、って。医療がどんどん発達しているこの状態。
で、病院に通うなり、入院して体を治すことって、普通なのかな、と。
あ、意味通じないかな?
んと、基本人間(生き物)は産まれたことで、死という現実に向かって歩いている、と私は考えています。
それが、人工的に治された時、なんだか「死に際」を人に委ねちゃってることに、変な気持ちを持ってしまうのです。
ついさっき、森山直太郎クンの歌詞についてのアメーバーニュースを見たのですが、普通の歌詞じゃん、私は泣けてしまうけど(苦笑)と思いました。彼が青いやら書かれてましたが、青くて何が悪い。アーティストはずっと青くなくちゃ、というのは私的感想です。
あの曲は自殺幇助ではないし、私自身のアホな実体験からすると、自殺はやっぱ不自然かな、と思います。てか、人には生きる時間ってのが与えられていて、その残り時間を知らないまま毎日生活してると思うのですね。で、実際自殺をした人の中でも未遂で終わる人には(狂言も含めて←狂言でも死ぬ場合はいくらでもある)まだ生きなくてはいけない時間があるんだろうな、と思ってます。
また、逆に明日もあるし~、と思ってたら何かしらの原因で死んでしまう。
ただ、それだけのことのように思うのです。
自然の流れのままに、生きていきたい。そして、自然の流れのまま死んでいきたい。これって今の日本じゃ難しそうで、不安になります。
自暴自棄になってるわけでもなく、ただ、「死」というものをどうしてそんなに恐れるのか?と思う私は何か欠陥してるのでしょうか(^^;)ウーン
そしてまた、死んだ場合どうするのか、という当人の気持ちを大事に思いたいと考えています。
私自身は散骨して欲しいと思っています。が、私の元の家族はそれを許さないだろうなぁ、そんときゃ悪いけど闘ってくりゃれ、と夫に言ってます。夫も同じく散骨希望で夫が先の場合は、やっぱり彼の元の家族から反発をくらうだろうから私が闘います。
上記のことは、あくまで体のことですね。というのも、私自身病院にかかってますから、ココロの。
これを考えると、自分の考えとの矛盾点に「うにゅ~」となってしまいますが・・・。
オチは・・・そうですね~~結局は今を生きる、生き抜く、ということかな。