大切な人の「死」を知ったとき | タロットのささやき、こころの景色

タロットのささやき、こころの景色

大田区・東急沿線にあるプライベートスペースで、
マルセイユタロットリーディングをおこなうHARUです。
おやつとお茶を楽しみながら、じっくりゆっくりタロットを介してじぶんと向き合う時間。
月に数回、定期的にカフェ鑑定も行ってます。

 

どうしても記録にとどめておきたいことがあります。

 

自分だけのために書く自己中な内容です。

長文で失礼いたします。

 

 


大田区・久が原~蒲田のプライベートスペースを中心に、
マルセイユタロット リーディングをしながら、
放浪のライターを続けるHARUでございます。
暑苦しい無節操なブログへお越しいただき、誠にありがとうございます。

 

 

 

昨年の12月に

ある不思議なワークショップを受けたのです。

(それについてはまた後日・・・)

 

 

その中で自分に課したことがあって。

重い腰を上げて動いたら、

とてもとても大切な人の死を

知ることになりました。

 

 

 

 

 

 

その方は新卒で入社した職場の上司。

 

世間知らずで常識もないくせに生意気で、

仕事覚えも悪くて、

凡庸なセンスの私に

 

甘やかすでもなく

厳しくしつけるでもなく

不思議な波長で

ぐいぐい仕事のペースへと巻き込んでくれた人。

 

 

仕事をする面白さと喜び、

厳しさと難しさを

自分の背中で見せてくれた人。

 

その人と私は、

まるで親子のようでした。

 

 

その人の仕事のペースに

自分なりに必死でついて行こうとしました。

 

だから、

みっともない喧嘩もしました。

 

私は面と向かって人と争うのが苦手なのですが、

その人にはみっともないことをたくさん言いましたし、

みっともない姿をたくさん見せました。


 

とてもとても尊敬していました。

 

 

仕事はとても順調にいき

時代の流れもあり、

私の実力をはるかに超える結果が出ました。

 

 

 

突然糸が切れたようになった私は、

後ろ足で砂を蹴るように

仕事を辞めてしまって、

 

でもこっそり会社へ上司に会いにいったり、

 

人づてに大病をされたと聞いたときには、

地元の神社さまに泣きながら回復をお願いしに行ったし、

お見舞いにも行きました。

 

でも

 

私は新しい職場での新しい仕事でいっぱいになって

5年くらい会わないまま。

 

その方の定年退職のパーティーにも行かなかった。

 

 

 

私に会いたがっているというその方の要望で、

食事会を設けていただき、

カッコいい銀髪になった上司に会うことができました。

 

「おめえ~

なんでそんなに変わってないんだよ~~~」

 

っていわれましたっけ。

 

「ぶちょーだって全然変わってないですよ~~~」

 

そんな会話をしながら呑んで食べてしゃべって、

それが最後。

 

 

 

 

 

私が当時の同僚に連絡を取ることで

間接的に知った死。

 

私はそれを知るのが

ずっと怖かったようにも思います。

 

泣きたいような

泣けないような、

そんな気持ちで

同僚からの返信を読んですぐ、

外へ飛び出し歩きまわった一日。

 

 

 

 

 

すると、

 

その人の面影のようなもの

かつてのエネルギーのようなものが、

すーーっとうす黄色の流線型を描いて

私の左の胸に流れ込んできました。

 

そして、

ぴたっと収まった。

 

 

 

ああ、

その方は

生きていたときよりも

ずっとずっと近くにいる。

 

 

とてもじぶん勝手すぎる感覚なんですが、

そんな風に感じることができて、

不思議に安心したのでした。

 

 

 

その方がこんなにも私のそばにいてくれる。

 

 

 

 

どうしてかわかりません。

 

1週間ほど経った今、

このブログを書きながら号泣している私ですが・・・・。

 

 

 

以前とは「死」に対する感じ方が

変化しているみたいです。

 

 

肉体が滅びる「死」はたしかに悲しい。

でも、

その方と過ごした時間と経験は消えることがなく、

むしろ私の中にしっかりと根付き、

私の一部となって

よりしっかり支えてくれる。

 

 

 

人は人とつながることで、

つながり続けることで、

永遠に私たちの記憶の中で連鎖し

生き続けていく。

 

 

 

何かで見聞きしてきたこと、

それを初めて自分で体感しています。

 

 

 

私がこれをあえてブログに書いているのは、

書くという作業の中で、

自分に問いかけ確認し、

その方の命への尊敬と感謝を記したいからなのかも。

 

 

そして、

 

同じような境遇に対峙している人たちがいたとして、

このシェアの連鎖を通じることで、

私の大切な上司の命を

無数に広がる枝葉のように繋げていけたら

素晴らしいことなのではないかしらと、

思うからなのでした。

 

 

このブログを読んでくださったあなたへ、

あなたの心が安心と幸福に包まれますように。

 

あなたにも

たくさんの方々の命の連鎖が流れていることを

思い出していただけたらと思っています。

 

 

 

 

2017年の満月の夜に。