おはようございます(^0^)/今朝は、何を思い立ってか… 何年かぶりに犬のお墓参りに行って来ました。 うちから車で10分ぐらいのところにあるのに、なかなか行けなかった(o_ _)o 私が子供の時から飼ってた犬、プードルのリリーちゃん♪ まりあが5歳の時からずっと姉妹のように一緒にいて、まりあの20歳の成人式を見た後すぐ亡くなった…。思い出す度、涙が出る。久しぶりにリリーのお墓の前に行ったら、色んな思い出が出て来てしまい… 懐かしくて涙がポロリ…。 実は、うちにこんな写真があります。リリーが残した最後の写真。15年生きたリリーは老衰で、目も白内障になってて可哀想だけど家でもよく冷蔵庫にぶつかって歩いてた。私の成人式は絶対に見てほしい。その想いがリリーに通じたらしく、ちゃんと私の成人式を見てくれた。それから数日後、リリーの容態が段々悪化してく。母と一緒に近くの勅使河原動物病院に連れて行った。その日は、注射をしてもらい帰された。勅使河原先生は、見るからにめちゃめちゃ優しそうな先生で開業したばかりの若い先生だった。「もしまた何かあればすぐ連れて来て下
さい!何時でもいいですから」と。次の日もやっぱりリリーの様子が明らかにおかしい。呼吸もとても苦しそうで、白内障になった目からは涙が流れてた。母は仕事休めず、私も仕事休めず とにかく仕事終わってから母がまた病院に連れて行った。勅使河原先生は「今夜は僕に預からせて下さい。頑張ります!」と力強く言って下さいました。その日私は、以前から約束してた小学校の友達とご飯食べたり調布でカラオケしたりした。今夜は病院にいるから明日になったら、リリーに会いに行こうって。 次の日の朝、勅使河原先生から電話が…!「ごめんなさい。リリーちゃんがダメでした。」と。すぐに病院に駆けつけたけど… やはりリリーは… 呼吸ひとつもせず静かに静かに眠ってました。勅使河原先生もただただ「ごめんなさい。」と言うだけでした。その先生の目は真っ赤で、寝ないで必死に看病して下さったのが分かるほどでした。それから、私の母は、店を開けなければならないので、仕事に行き、親切にも勅使河原先生は車でリリーと私を慈恵院まで連れて行ってくれました。本当に感謝致します。ありがとうございました。 当時私は
、20歳で大学に通いながら調布のファミリーレストランでバイトしてましたが、バイト中も涙が止まらず数日間は… 何か胸にポッカリ穴が開いたようでした。バイト先に、友人が「これ、この前のカラオケの写真ね~」と言って数枚写真をくれました。家に帰って見てみると、その中の1枚の写真に、リリーらしき犬が写ってるんです。私がマイクを持って歌ってるところに、白いふわふわした煙のようなものが私を囲むように大きく写ってます。それが明らかに白いプードルに見えるのです。リリーが亡くなった日に撮った写真なので、やはりリリーだと思いました。 すみません_(._.)_ 朝からちょっと悲しい話題で。まりあがもう二度と犬が飼えない理由を 話したかったから。
さい!何時でもいいですから」と。次の日もやっぱりリリーの様子が明らかにおかしい。呼吸もとても苦しそうで、白内障になった目からは涙が流れてた。母は仕事休めず、私も仕事休めず とにかく仕事終わってから母がまた病院に連れて行った。勅使河原先生は「今夜は僕に預からせて下さい。頑張ります!」と力強く言って下さいました。その日私は、以前から約束してた小学校の友達とご飯食べたり調布でカラオケしたりした。今夜は病院にいるから明日になったら、リリーに会いに行こうって。 次の日の朝、勅使河原先生から電話が…!「ごめんなさい。リリーちゃんがダメでした。」と。すぐに病院に駆けつけたけど… やはりリリーは… 呼吸ひとつもせず静かに静かに眠ってました。勅使河原先生もただただ「ごめんなさい。」と言うだけでした。その先生の目は真っ赤で、寝ないで必死に看病して下さったのが分かるほどでした。それから、私の母は、店を開けなければならないので、仕事に行き、親切にも勅使河原先生は車でリリーと私を慈恵院まで連れて行ってくれました。本当に感謝致します。ありがとうございました。 当時私は
、20歳で大学に通いながら調布のファミリーレストランでバイトしてましたが、バイト中も涙が止まらず数日間は… 何か胸にポッカリ穴が開いたようでした。バイト先に、友人が「これ、この前のカラオケの写真ね~」と言って数枚写真をくれました。家に帰って見てみると、その中の1枚の写真に、リリーらしき犬が写ってるんです。私がマイクを持って歌ってるところに、白いふわふわした煙のようなものが私を囲むように大きく写ってます。それが明らかに白いプードルに見えるのです。リリーが亡くなった日に撮った写真なので、やはりリリーだと思いました。 すみません_(._.)_ 朝からちょっと悲しい話題で。まりあがもう二度と犬が飼えない理由を 話したかったから。