本日も有楽町マルイではアマールカとクルテクの
グッズ販売をさせていただきました。
寒い中、たくさんのみなさまにお越しいただきまして
本当にありがとうございました!
クルテクと仲間たちのぬいぐるみが
チェコのかわいい空気を作っていました!
クルテクはチェコのナンバーワンの
人気キャラクター…
という言葉では、足りないぐらいの存在です!
チェコへ行くと…
チェコにとってクルテクは、
人気キャラクターという次元を超えています。
道路に信号や横断歩道があるように
チェコのいたるところにクルテクがいます。
もはや”チェコの宝”です。
チェコのこどもたちはクルテクを観て
育ちます。
そんなクルテクをご紹介していきたいと思います。
クルテクの作者ズデニェック・ミレルが
初めてクルテクのアニメを製作したのが、1957年。
ミレルは、1948年、
「お日さまを盗んだ億万長者」で監督デビューしました。
そして、いきなりベネツィア国際映画祭で特別賞を受賞したのです!
トルンカの片腕であり、信頼の厚かったブジェチスラフ・ポヤルが
監督デビューが、1951年で28歳のときです。
そして、1948年と言えば、
プラハの国立アニメーションスタジオ(AFIT)の責任者のトルンカのデビュー作が
1946年ですから、それからまだ2年しかたっていなかったのです。
戦後スタートしたプラハのアニメスタジオですが、
責任者のトルンカを始めアニメの経験は誰もなく、
全ての作業が手さぐりで試行錯誤の連続だったのです。
そんな中、当時のチェコスロヴァキア政府期待したのは、
トルンカなどの”類まれな才能”でした。
その中でミレルは若くして抜擢されて
応えたのです。
若くしてべネツィアで賞を獲ったミレルを
政府は大きく評価し、
大きなチャンスを与え続けました。
ただ、ミレルはデビュー作で
ベネツィア受賞という快挙にも
まったく満足しなかったのです。
自分のスタイルがこれだと思えなかったのです。
ミレルの初期作品を観てもわかりますように
作風が作品ごとに異なっていました。
「キツネとオオカミ」(1956年)
ご覧のとおり人形アニメにも取り組んだりしており、
自身の進む道を悩んでいたのです。
そんな中、考え事をしていたとき
もぐらの穴につまづいて
ヒントを得たのです。
土の中にいるもぐらは、地上の世界なんか知らない…。
そんなもぐらが地上の世界を見たらなんと思うだろう?
それも人間の世界に触れたら…。
みるみるミレルの創作意欲はわきました。
でも、もぐらなんて地味な黒い地味な動物を
主人公にしたアニメなんて、人気が出るのだろうか?
案の定、周りの人間に”もぐらを主人公にしたアニメ”の企画を話したら
大反対されたそうです。
でも、逆にそのことががミレルのチャレンジ精神に
火をつけたのです。
誰もやったことのないことに挑戦することに燃えたのです。
「常識に基づくならアニメを創る必要はない。」
ミレルに限らず、この時代の多くのチェコアニメ作家は、
この精神を持ってアニメ製作に取り組んでいました。
「誰もやったことのないことにチャレンジするから
楽しいんだ。」
ブジェチスラフ・ポヤルがよく言っていた言葉です。
シュヴァンクマイエルもイジー・バルタも異口同音に
このことを言っています。
シュヴァンクマイエルは
「自分の作品で、世の中を変える気がないなら、
アニメなんてやらないほうがいい。」
バルタは
「同じ引き出しからアニメを創ることはしない。
チャレンジすることにアニメは意味がある。」
表現に規制をされ続けていた
チェコの芸術家たちの
マグマのような熱い創作意欲が伝わってきます。
そして、ミレルは、1957年、
クルテクシリーズの第1作「もぐらくんとズボン」を
発表しました。
今日はここまでです。
続きはまた後日お話します。。
28日まで有楽町マルイの1階で
花馬車コーナーでアマールカとクルテクの催事イベントを
おこなっています!
チェコのナチュラルコスメブランド「MANUFAKTURA」との
コラボも行っています!
是非、いらしてください!
お待ちしております!