再び天使の都に舞い戻りました。果たして実際、天使か悪魔か。このうだるような熱気と喧騒は、ここでしか感じられないものだと思います。








ちょっと友人のOfficeで暇してるので、考えたことをつらつらと。








最近、




「自分がどれだけやったか、思ったかじゃない。それが(無理なく、けれども時にはワザとらしく)どれだけ相手に伝わってるか」





ということを意識してます。





特に日本や韓国において、これは私の個人的な見解なのですが、





「自分がどれだけ尽くしたか。自分の時間をどれだけ犠牲にしたか」という評価軸が、仕事をする上で、特に強いような気がします。




まだ正社員としては働いたことはないのですが、なんとなーくそんな感じ。





「自分がこれだけ労力や時間、お金を使って、何かをしてるんだから、こんくらいは許されるだろう。このくらい感謝されて、当たり前だろう。こういう対価、サービスをうけて当たり前なんだろう。」









その矛盾?乖離?




っていうのかな。自分が予想してた程、相手のリアクションがない場合、もしくは、違う方向のリアクションが帰ってきた場合、そこでの対応の仕方で、コミュニケーションって全く違ったものになるのかな。って。




そりゃそうだけども。




少しずらします。





旅をしてて、自分が楽しいことって




•未経験の食事


•未経験の景色


•知らない人との出逢い



•それに付随する人間関係?打ち解けやすさ?楽しもうとする気持ち?





があると思うんですよね。そりゃ当然楽しくないわけない。自分のお金を、時間を使っているから。








そして、大前提としてあるのが





「すべて自分の選択」ということ。







日本だと当たり前に過ごしているこの一瞬でも、環境に流されて気付いたら過ぎていく時間でもない、責任?つていうのかな。













「自分がしたいことをして、したくないことはしなくていい」ということが大前提としてあるんだと思います。そこに集約される。




そこでまた「自由」の問題とかも出てくるけど、ここでの自由は、より精神的なもの?に触れている、と思ってます。





ほんとに自由だったらカオスになっちゃうからね、それは底なし沼。












※最低限の法律はもちろん守ってます。守らなきゃダメです。










でも、それって、日本にいても根本は実は一緒なんですよね。








海外に出ると、その範囲がすごーく、広くなる。










もっとかきたい事は山ほどあるのですが、


今日はこれから飲み会なので!










意味のわからない駄文におつきあいいただき、ありがとうございます。








タイのピチピチぎゃる





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