小原作左衛門久重の二男に左近右衛門久勝という人がいました。政信の弟です。

 

 この人は父の久重と共に飯山佐久間家に仕えていたようですが、寛永十五年(1638)の飯山佐久間家改易後に、会津藩主・保科肥後守(正之)に仕えたようです。

 

 その時に仲立ちしたのが、飯山初代藩主・佐久間安政の奥方・光寿院か、兄の京・金閣寺(鹿苑寺)の住持だった鳳林承章(ほうりんじょうしょう)だったようです。

 

 久勝は飯山三代藩主・佐久間勝次の近習だったようで、特別に配慮されたようです。

 

 承応二年(1653)十月、保科正之の上洛行列の先遣隊として京に来ていた久勝が、金閣寺の和尚の所へ挨拶に来ています。

 

 その手土産に木醂(きざはし)を持参しています。これは有名な会津塗の箸の事でしょうか・・・?

 

               信濃毎日新聞より