前日に泊まったホテルでは、さすが生まれて初めての海外一人旅への不安や興奮で寝る事が出来ず、金沢の友人に電話を掛けまくっていました。


 まあ、今も旅先の布団では寝られないのですが・・・・(笑)


 当日の昭和47年9月5日の朝が来ました。確かホテルの食堂で朝食を食べたという記憶がありますが・・・


 船はホテルの目の前の大桟橋から出ます。9時過ぎに集合だったと思いますが、早目に行った覚えがあります。5000トン級のハバロフスク号、そんなに大きな船でありませんでした。


 集合地点にはすでに多くの乗客が来ていました。私のようなリュックを背負った若者が多く、女性もかなりいて驚きました。でも、半数が外国人の若者です。


 安い旅費で欧州へ帰国する人たちのようで、アフリカ系の人もいました。


 当時はソビエトを個人的な旅する事は出来ず、添乗員が付き政府系の観光公社・インツーリストが全て管理していました。団体旅行です。


 船室は船底に近い所で、二段ベットが並んでいました。通関手続きを済ませ、乗船した甲板で皆で色々と話ている内に気持ちも落ち着いて来ました。


 フランスへ語学留学する人、アフリカまで渡る人、私のように周遊目的の人、友人訪問目的の人など・・・・多くの若者がまだ見ぬ海外を目指していました。


 11時ちょうどに船が汽笛を鳴らし桟橋を離れた時、今までドキドキして不安で一杯だった気持ちがピタッと収まりました。不思議な初めての体験です。これが肝が据わるという事なのかと思いました。


 船が岸壁を離れた瞬間、どうしても行けないのならもう海へ飛び込み戻るしか方法が無い、そんな事が出来る訳は無いと一瞬考えて、自分自身の中で覚悟がついたのでした。


 今でも印象に残っている強烈な体験でした。