交通公社の担当の方にプランを見せると、スケジュールが大変タイトだと言われました。


 予算に制限(100万円)があるのに、何カ月滞在するかもハッキリ決めていませんでしたし、その計画にはイギリスや東欧まで含まれているもので、大変アバウトなものだったのです。


 とにかく、外国を見たいという単純な動機がベースにあったのだと思います。


 それで計画を練り直し、欧州の中央とイギリスを中心にしました。移動は鉄道でする事にし、途中で何かあった時に備えて、帰りの飛行機のチケットだけは確保して行こうと思い、ルフトハンザ・ドイツ航空のオープンチケットを買いました。パリからの北回りにしましたが、当時で片道24万8000円だったと思います。ボーイング747・ジャンボジェットが注目されていた頃です。


 当時は1ドルが306円で、持ち出しが1200ドルまでしか出来ない頃でした。


 行きはなるべく安く上げようと、交通公社お薦めの商品でした「欧州片道セット旅行」というものに決めました。


 これは、横浜港からソビエトの貨客船でナホトカまで行き、そこからシベリア鉄道でハバロフスク、イルクーツク、モスクワなどを経て欧州に入る片道の旅でした。行先はウイーン、オスロ、ヘルシンキの三つがあり、私はウイーン行きを選びました。料金は13万7000円だったと思います。10日間以上かかる旅になります。


 働いていた店の経営者に話をすると、英語の勉強も真面目にしていたという事で長期の休みをやるから行って来いと理解を示してくれましたが、一応退職して行く事にし、寮の荷物を金沢の実家に送り返しました。向こうが気にいれば何時まで居るかも判らないという安易な考えがあったからです。


 出発は秋の9月5日と決めました。


 今から44年前、昭和47年(1972)の私が21歳の時で、ちょうど欧州では第20回ミュンヘンオリンピックが開催中でした。