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 『慶長日件録』慶長十六年(1611)十一月五日の項です。


 「晴、拂曉、佐久間備前ヨリ使者被示、鶏時後、女中男子誕生云々、木造長吉ヨリ蝋燭五十挺給也、次佐久間備州へ男誕生見舞ニ行、太刀馬遺也、有盃均、従盛方院、書状共致來也、佐久間備前ヨリ紅花五十袋給也、同大膳ヨリ蝋燭百挺給也、同久六ヨリ紅花十五袋給也、木造左馬助内義ヨリ紅花十袋給也、板根傳三郎見舞ニ來、」


 佐久間安政夫婦に次男の安長が誕生しました。内膳は安政の弟の佐久間勝之、久六は安政の嫡男の勝宗の事です。お祝いに秀賢は太刀と馬を遣わしたようです。秀賢の甥にあたる安長の誕生でした。


 安長は嫡男・勝宗が五年後に二十二歳で早世しますので、後に二代目・飯山藩主となりますが、この人もまたニ十八歳で亡くなってしまいます。皆、痘瘡(天然痘)によるものです。


 木造長吉や左馬助は、福島正則に仕えていた伊勢の木造氏の事でしょうか・・・・