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 『慶長日件録』同年七月四日の項です。


 「晴、佐久間九右衛門女中天朔誕生女子云々、日取共書付遺也、従女房衆、爲祝義、双樽兩種遺也、」


 佐久間備前守安政に女子が誕生したという報が、秀賢の所にもたらされたようです。


 天朔とは一日の事でしょうか?伏見の佐久間屋敷からの報だと思われるので、知らせが届くまで三日かかったのかも知れませんね。


 当時の女中の解釈は「身分の高い既婚の女性」だそうです。安政の室である光寿院の事だと思われます。


 誕生した女子のこれからの祝いなどの日取りを全て書いたものと、祝儀としての樽酒二つと肴を女房衆に遣わせたようです。