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 いつも御教示頂いている長野県飯綱町の学芸員の方から面白いお話を伺いました。


 寛永七年(1630)頃から数回、佐久間勝之(信州・長沼藩主)や脇坂安元(信州・飯田藩主)主催の連歌会がありました。それに参加していた連歌師の里村昌琢(しょうたく)の句集の中に、二人が続いて詠んだ歌が出ているそうです。


 二人は将軍・徳川秀忠の談伴衆(安西衆)でしたので親交があり、その江戸屋敷も共に愛宕下の近い所にあったそうです。お互いの屋敷で会は催されたのでしょうか・・・・


 脇坂安元と言えば、賤ヶ岳ノ合戦で、佐久間勝之の兄の柴田勝政を討ったと言われる脇坂甚内安治の嫡男です。つまり、兄の仇の息子との親交だったのです。


 歴史が作る不思議な因縁ですね。


 因みに安西衆とは、駿河の安西(静岡市葵区安西)に宅地を与えられ徳川家康に近侍した御伽衆の事で、秀忠の時には一番上席の御伽衆とされました。