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 皆さんもご存じのように、前田対馬守家は尾張・前田城や一色城の城主で前田氏の本家だった家でした。


 しかし、その家督相続の時に、織田信長の命で荒子の利家が前田家を継ぐ事になったのです。対馬家にすれば不満もあったでしょうが、信長に逆らう訳にもいかず、家名のみを存続する道を選びました。


 その後も、いろいろと苦労をしながらも、後に加賀前田家の重臣として栄えたのです。その四代目が駿河守孝貞でした。正室は加賀八家筆頭の本多政重の娘です。禄高は二万一千石だったそうです。


 玉龍寺の位牌堂には、歴代対馬守家当主と奥方の位牌がズラリと並んでいました。孝貞の戒名は「直指院殿前駿州刺史従五位下義運鱗心(源隋)大居士」


 「刺史(しし)」とは唐名(からな・中国の官職の呼び名)で国守を意味します。駿州は駿河国ですので駿河守と同意語なのです。


 宝永四年(1707)八月十九日に亡くなっています。八十歳でした。


 今回の急な墓参は、十八日にある本からお寺さんの事を知ったのがきっかけでした。昨日十九日の墓参中に気が付いたのですが、孝貞の母である佐久間半右衛門の孫娘の命日は、なんと二日前の七月十七日だったのです。


 新盆の頃でもあり、盛政の時と同様に先祖の意向が私に働いたとしか思えませんでした。不思議な事が度々あるものですね。