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 谷口克広氏によると、本能寺ノ変の時に光秀は六十七歳、その嫡男・十五郎(光慶)はわずか十三歳だったそうです。


 信長は三好長慶の養子とした織田信孝に、いずれ四国すべてを与えようと計画していました。今まで長宗我部氏との間に立って斡旋に苦労して来た光秀の労はすべて無駄になります。それ以上に、元親と縁戚関係にあった近臣の斎藤利三の気持ちはどの様なものであったでしょうか・・・・・


 織田家を追われた佐久間信盛らの事も、自分の将来と重ね合わせたのかも知れません。老いを重ねる自分、幼い子供の将来など、光秀は不安だったのではないでしょうか・・・・


 本能寺にわずかな家臣と滞在する信長。今こそが千載一遇のチャンスだと利三がその背を押したのかも知れません。元親の書簡などもう手遅れだったのかも知れません。


 もちろん、これらは私の想像でしかありませんが、光秀と四つしか離れていない私には残された人生に対する思いは理解できます。当時は今と違い、すべてに命が懸かっていたのですからより深刻です。


 時代は違っても、人間の考える事は同じではないでしょうか。今まで歩んで来た人生の多くの事が積み重なり、最後の賭けとしてあのような行動を起こしたのだと思います。